一人より二人(宗太×皐月)


ピピッと鳴った体温計を手渡せば先輩は秀麗な眉を寄せ、険しい表情を浮かべた。
その様子をベッドの中からおずおずと見上げる。

「少し熱がありますね」

「うっ…」

ちらりと落とされた怒ったような視線に怯む。
すると先輩はふぅ…と息を吐いて体温計を片付けだした。

「先ぱ…」

声を掛けようとすれば先輩の手が伸びてきて、体温を測るために開けていたシャツのボタンを留められる。

「せ、先輩!僕自分で…!」

「大人しくしてなさい」

手を出そうとすればぴしゃりとはね除けられて押し黙る。
ボタンを留めて離れていく手に、しょんぼりとした声が零れた。

「……ごめんなさい」

「別に怒ってるわけじゃありません。…心配したんです」

「…はい」

離れていくかと思った手は枕に預けた僕の頭を優しく撫でる。
見下ろしてくる瞳は柔らかい。

「次からは夜中でも連絡しなさい」

「でも、先輩に風邪が移ったら…」

「風邪よりも皐月が一人で苦しんでいる方が私は辛いんです」

「先輩…」

くしゃりと頭を撫でられ、ベッドの横で身を屈めた先輩の顔が近付く。

「今日は私も休みです。皐月が寝るまで、起きてからも側にいます」

だから今はゆっくりお休み…と額に唇が落とされ目元に朱が走る。

「お、お休みなさい」

どきどきと鼓動が早まって、逆に眠れそうになかった。けれども、これ以上心配を掛けて先輩の顔を曇らせたくないと瞼を閉じた。

「お休み、皐月」

すぅと零れ出した寝息に頬を緩める。ベッドの横に持ってきた椅子に座り宗太は皐月の寝顔を眺めた。

「私に遠慮なんて必要ないんですよ?」

一緒に登校しようと皐月の部屋を訪れれば、珍しく皐月はまだ起きていなかった。どうしたのかと寝室に足を向ければ皐月は熱を出していた。
聞けば夜中に寒気を感じて、それから朝方になって熱が出たということらしかった。
連絡をくれなかった皐月にも、気付かなかった自分にも宗太は腹を立てていた。

「病気の時は一人でいるより二人でいた方が安心するんでしょう皐月?貴方が私にそう言ったんですよ?」

《少しってどれぐらいですか?僕、それまで一緒にいます》

あまり人の通らない廊下で。
お互い中等部の制服に身を包んでいた。

その日は朝起きて、少し調子が悪いかなぐらいに思っていた。それが三時間目を過ぎ、四時間目の移動教室に向かう途中の最中で本格的に具合が悪くなってきた。
心配するクラスメイトには保健室に行くと言って、人通りの少ない近道を足早に歩く。しかしその間に目眩までしてきて宗太は廊下の壁に手をついた。

「…やばいな」

立ち止まって動けなくなる。
誰かについてきてもらえばよかったかと息を吐いたその時、宗太の背中に男にしては高めの声が掛けられた。

「どうかしたんですか?大丈夫ですか?」

壁に手をついたまま返事もなければ振り返りもしない宗太を訝しく思ったのか、声をかけた生徒が宗太を追い越し前へと回り込む。

「先ぱ…って、顔色悪いですよ!大丈夫ですか?今、保健室に…」

上履きの色からして一年。
目の前に現れた小柄な生徒は見ず知らずの宗太に対して自分のことのように眉を下げて言った。
小さく呼吸を整え、あまりにも心配そうに見てくる後輩に宗太は年上として受け答えをする。

「ちょっと目眩がしただけで、少し休めば治まります。それより貴方は授業では?」

「あ…」

宗太が訊いたと同時に授業開始の鐘がなる。

「ほら、私のことはいいから早く行きなさい。今ならまだ少しの遅刻で…」

ふるふると宗太の言葉を遮るように後輩は首を横に振る。そして、言った。

「少しってどれぐらいですか?僕、それまで一緒にいます」

「なに馬鹿なことを」

「馬鹿じゃありません。病気の時は一人でいるより二人でいる方が安心するんですよ?」

くりっとして澄んだ丸い目が真っ直ぐに宗太を見上げ、ふんわりと笑った。

「先輩。騙されたと思って少しの間僕が側にいることを許して下さい」

「………」

「立ってる方が楽ですか?座れるなら座った方が」

ずるずると壁に手をついたまま宗太はその場に座り込む。その隣へ後輩がちょこんと腰を下ろした。
緩やかにだが、目眩が軽くなってきた気がする。
これが彼の言う安心か?まぁ病は気からとも言いますし…。
そんなことをぼんやりと思って宗太は後輩へ目を向けた。

「無関係な貴方まで、私のせいで授業をサボらせてしまってすみません」

「いいえ。先輩が謝ることじゃないです。先輩は僕に行けって言ったのにここに留まったのは僕ですから」

気にしないで下さいと後輩はまた無邪気に笑った。

「………名前、訊いても?」

「僕ですか?僕は流 皐月です」

「…皐月」

「はい。えっと先輩は…」

伺うように見上げてきた皐月に宗太は知らず柔らかく表情を崩す。

「渡良瀬 宗太です」

「渡良瀬先輩?」

「宗太で良いですよ」

訂正を入れれば皐月は呼び直して笑った。

「宗太先輩」

その日より一週間。
三時間目の授業が僅かに長引き、四時間目の移動教室に向かう途中。近道をした廊下で宗太は皐月を見つけた。
しかし、皐月は一人ではなく。壁側に背中を向けて立つ皐月の後ろには皐月と同じぐらいの背丈の生徒。
皐月の正面には背も高く、力もありそうな柄の悪い生徒が二人。

「止めて下さい!人を呼びますよ!」

皐月は二人を前に毅然とした態度で言う。だが、背も低く力も無さそうな皐月の台詞に二人はげらげらと笑うばかりだった。

「庇っているのか?」

皐月の背に庇われている生徒は顔を青ざめさせ震えている。
宗太は迷うことなく前へ足を進めた。
そして硬い声で間に割り入る。

「こんな所で何をしているんですか」

「あ…っ、宗太先輩!」

名前を呼ばれて皐月には笑みを見せる。二人組にはそれと真逆の眼差しを向け言い放つ。

「風紀を呼びました。すぐに来てくれるそうです」

もちろんハッタリだが、嘘と気付かない二人は捨て台詞を残して去って行く。そうしてその場には宗太と皐月、皐月に庇われた生徒が残された。
皐月はほっとしたように吐息を溢して宗太を見上げる。

「助かりました。ありが…」

「皐月」

御礼の言葉を宗太は遮る。柔らかかった瞳を険しくさせて皐月に向けた。

「この前もそうですけどいつもこの廊下を使ってるんですか?」

「え?いつもじゃなくて…この時間だけ」

「それなら次から遠回りしなさい」

「でも…」

いきなり遠回りをしろと言われて皐月は戸惑う。

「もっとちゃんと人気のある道を歩きなさいと言っているんです」

厳しくも続けられた台詞に戸惑いをみせていた皐月はハッとして、次にはふんわりとした笑みをみせた。

「そうします。心配かけてごめんなさい」

ぺこりと、別に謝らせるつもりで言ったわけではないのに小さく頭を下げた皐月に今度は宗太が戸惑う。

「いえ…」

「あ、次の授業に遅れちゃうので僕達はこれで!」

背中に庇っていた生徒の手を引き皐月はその場を去って行った。
それからまた二週間、宗太が近道である廊下を使って皐月に会うことはなかった。

「…私の言い付けを守ってる?」

廊下を歩きながら宗太はふと呟く。
素直そうな、宗太の言いたいこともすぐに察した聡い皐月なら有り得る。
たったの二回会って少し話しただけの皐月のことが何故か宗太の頭から離れなかった。
自分で人気のある廊下を歩きなさいと言っておきながら、近道で会えないことを宗太は酷く残念に思っていた。

「私はなんて身勝手なことを。会わなければ会わないで何も気にする必要なんてないでしょう」

頭を横に振り、ふと自嘲気味にため息を溢す。

「…ぃ、…宗太先輩!」

その背中に突然、ここでまた聞くことになるとは思わなかった甲高い声がかけられた。

「皐月?」

振り返れば、数秒前まで宗太の頭の中を占めていた皐月が宗太の元へと駆け寄って来るところだった。

「先輩!」

その姿に宗太は自然と柔らかく表情を崩す。

「そんなに慌ててどうしました?」

その時になって宗太は自分の気持ちに気付いた。
皐月の顔を見た瞬間ほっと綻んだ心に。
真っ直ぐ宗太へと向けられた純真な瞳に。
…皐月に出会ったあの日、宗太は恋に落ちていたのだ。

すとんと胸の中に落ちた感情に宗太は納得して口許に笑みを浮かべる。
宗太の前で足を止めた皐月は一度宗太と目を合わせるとぺこりと頭を下げた。

「この間ちゃんとお礼を言えなかったので。ありがとうございました」

「いえ、あの時は皐月が無事で何より。一緒に居た子は?」

「大丈夫です。彼は僕のルームメイトで…」

話ながら皐月は少し落ち着かなさげに自身の背後をちらちらと見る。

「あぁ…もしかして彼を待たせてますか?」

「えっと…はい」

「そう何度も授業に遅れるのも良くないですし…皐月。貴方が良ければ次の休みの日にでも食堂で話しませんか?」

警戒心を抱かせないように大勢の生徒がいる食堂を選んで宗太は何気なく持ち掛けた。
少しでも、皐月も宗太と話がしたいと思ってくれたのか返された返事はイエス。

こうして学年の違う宗太と皐月は交流を持つようになっていった。

「…ぃ、宗太…先輩」

控えめな声に呼ばれてハッと目を開く。
顔を上げればベッドの上で上体を起こした皐月が心配そうに宗太を見ていた。

「大丈夫ですか、先輩?疲れてるなら部屋に」

「…つい寝てしまったみたいですね」

皐月の看病をしているうちに椅子に座ったまま寝てしまったらしい。
心配気に見てくる皐月に目元を和らげ宗太は安心させるように笑った。

「大丈夫です。皐月の方こそ体調はどうですか?」

椅子から立ち上がり、ベッドの脇に立った宗太は皐月の額に手を伸ばす。
前髪を少し掻き上げ、掌で触れる。

「寝たお陰か大分楽になりました」

「うん、でもまだ少し熱いかな」

見上げてくる皐月の頬の色も大分戻ってはいたが油断は禁物だ。
額に触れていた手を引き宗太は室内の時計へと視線を走らせる。
そこで皐月が目を覚ました理由に気付いた。

「もうすぐお昼になりますし何か消化の良いもの作りましょうか。皐月は何かリクエストありますか?」

「いえ…宗太先輩が作ってくれるものなら何でも。お任せします」

純真な瞳に浮かぶ信頼の色と愛情に宗太は頬を緩めて頷く。

「分かりました。出来上がったら起こしに来ますから、それまで皐月はもう少し身体を休めてなさい」

「はい」

布団の中へと大人しく戻った皐月の頭をくしゃりと優しく撫で、見上げてくる皐月に宗太は緩く弧を描いた唇で言った。

「病気の時は一人より二人で」

「あっ…それ…」

「そうですよね皐月」

「覚えて…」

目元を赤く染めて呟いた皐月に宗太は笑って返し、ベッドの側から離れる。

「キッチン借りますね」

すぐ戻りますと宗太は寝室を出る。
一人寝室に残された皐月は宗太の溢した言葉にきゅぅと心を震わせていた。

初めて会った時の事を先輩は今でも覚えていてくれたんだと、恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになった表情で布団に潜り込む。
あの日あの場所で先輩に声をかけなかったら。そう思うと皐月は自分を褒めたくなった。

「宗太先輩…大好きです」

こんな気持ち知らなかったんだろうなと、温かな気持ちに包まれて皐月は宗太が起こしに来るまで少し、微睡みに身を委ねた。


end.


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