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第三章 33以降のサイドストーリー
(敷島 雅也と甲斐 岬)
風紀室で自分だけ停学を言い渡された岬は何が何だか分からず混乱したまま風紀委員に送られ自室へと帰ってきた。
「どうして…」
繰り返される疑問に応える声はなく、岬は力なくその場にへたりこむ。
岬の部屋は親衛隊長としては地味な部屋で、暖色系で統一されたクッションにソファ。テーブルの上には紅茶を好んで飲む岬の為に用意されたティーポットとカップ。
それは同室者と一緒に選んで購入した品々。
どれぐらいそうしていたのか、岬がリビングの入口で座り込んでいると、玄関の鍵が開く音がした。
そして扉を開き、同室者の敷島 雅也が左頬を赤く腫らせて帰ってくる。
「っ、雅也…!?」
その顔を見た瞬間岬は慌てて立ち上がり、雅也に駆け寄った。
「どうしたのその頬!?誰にっ…っ、まさか僕のせいで…」
ぶるぶると体を震わせ青ざめた岬に、雅也は痛む頬を動かし、ぎこちない笑みを浮かべる。
「岬さんのせいじゃありませんよ。これは俺のケジメです」
「でも!…っ、その怪我、本当なら僕が受ける罰だったんでしょ」
ぎゅっと唇を噛み締め、顔を歪ませる岬に雅也は手を伸ばそうとして、止めた。
公には知られていないが、雅也が九琉学園へと入学したのは岬を護衛する為だ。それが親から言われた、親会社の子息を守ることだとしても、守ると決めたのは他ならぬ雅也自身。
雅也は持ち上げかけた左手をグッと握り、ゆっくりと下ろす。
(俺が触れていい人では無い…)
代わりになるべく優しく聞こえる様な声を出した。
「後悔、しましたか?」
「えっ…?」
自分のとった行動、その結果もたらされたもの。
雅也を見上げる岬の瞳には戸惑いと、…確かに浮かぶ後悔の色。
「その気持ち、忘れないで下さい」
「…雅也?」
ジッといつになく真剣な目で見つめられ、岬は漠然とした不安を覚えた。
リビングの入口で立ち止まっていた岬は雅也に促されてソファに座る。
「岬さん」
そして、雅也はソファには座らず、岬の足元に膝を付くと自分に下された処分を伝えた。
「俺はもう岬さんの側にいられないけど…」
「何で、どうして雅也だけ!それなら僕だって!僕がっ、――僕、京介様に言って―…」
ソファから立ち上がろうとした岬を制し雅也は首を横に振る。
「良いんだ、俺のことは。俺よりきっと岬さんの方が…」
これから辛い思いをするはずだ。
親衛隊は解散、その内ほとんどの者が退学を言い渡される中、親衛隊長である岬だけが何故か停学処分。何も知らない周りからどんな目を向けられるか。
そのことが気がかりで、その時側にいられないことだけが雅也の心残りだった。
いつの間にか自分も岬も閉鎖された学園の中で、悪しき風習に染まってしまっていて。
それに気付きながら岬を止められなかった、止めなかった自分。
雅也は自嘲する様にふっと瞼を伏せ、岬のこれからを心配をする。その耳に、小さな嗚咽が届いた。
「…っ、ふっ…ぅ…っ」
そっと目を開けて見上げれば、ソファに座る岬が大きな瞳から涙を溢れさせていた。
「泣かないで下さい、岬さん…」
「僕がっ、僕が…。雅也は悪くないのにっ。僕が京介様を好きになんてなったから、だから…!」
「それ以上言っては駄目です。岬さん…神城のこと、本当に好きだったんでしょう?」
「ん…っ、好き、好き…今も好きなんだ。でもっ、もう…僕は…。京介様に取り返しのつかないことをっ。だって、だって、羨ましかったんだ!京介様に真っ直ぐ見つめられる黒月が!それなのに…、想いを寄せられてるくせに、それを邪険にする黒月が憎かったんだっ!僕には一度だって向けられたことがないのに…!」
しゃくり上げながらも、堪えきれずその想いをぶちまける岬を雅也は静かに見つめる。
ぽろぽろと落ちる透明な滴を、雅也は場違いにも綺麗だと思った。
暫く泣いていた岬の目は赤く、雅也はすぐに蒸しタオルを用意すると岬の目元にやんわりと押しあてる。
「僕にはもう、京介様を好きでいる資格なんて…」
弱々しい声が岬の口から溢れ落ちる。それを、雅也は強い口調で否定した。
「人が人を好きになるのに資格なんてない。資格も性別も立場も、何も無いんです」
シンと静まり返った室内に雅也の言葉が続く。
「…だから岬さんが神城を想うのは自由で、それは誰にも止められない」
「………」
「ただ、…俺達は間違えたんです。好きなら何をしてもいいわけじゃない」
蒸しタオルを押さえる雅也の手に、不意に岬の手が重ねられる。
「雅也…」
「はい」
「それでも僕は黒月が許せない。…怪我をさせたのはやりすぎだったって思うけど」
重ねられた岬の手は雅也より一回り小さく、男の手としては柔らかい。
「…それで良いんじゃないですか。許せなくて当たり前なんです。自分の好きな人が邪険に扱われたり、自分以外の人を見つめてたりすれば誰だって嫉妬する。…人を好きになるってことは楽なことばかりじゃない」
ぬるくなってきた蒸しタオルを岬の目元から外すのと一緒に、雅也は重ねられた岬の手もそっと外す。
「雅也も…?」
「…はい」
それきり会話は途切れ、雅也は熱を持ち、痛み出した左頬を湿布の上から冷やす為に、岬をリビングに残し部屋を出て行った。
その後、岬には一週間の停学処分。どこで力が働いたのか雅也は表向き九琉学園からの退学で、その実、兄弟校でもある七泉学園への転校と相成った。
夏休みを目前に控え、浮かれた様子で登校する生徒達の中で停学処分中の岬は一人、自室に籠っていた。
雅也と共に使っていた二人部屋。岬一人になった途端やけに広く感じて、岬はソファの上で膝を抱えた。
「………」
何をするでもなく、ジッとリビングのテーブルを眺める。テーブルの上には自分で淹れた冷めきった紅茶とティーポット。
「…っ、…ふ…ぅ…っ…」
眺めていれば泣きたくもないのに何故か視界が滲んで、嗚咽が溢れた。
それが嫌で抱えた膝に顔を強く押し付ける。
そしてタイミングを計ったかの様に鳴る携帯電話。
着信音で相手を分けている岬は気付けば迷わずその電話をとっていた。
「もしもし…」
『岬さん?…もしかして泣いてました?』
若干涙声になっていたのかもしれない。けれど岬は雅也にそれを知られたくなくて、虚勢を張る。
「泣いてない。僕が泣くわけないでしょ」
『……そうですか。岬さん、夏休みは例年通り終業式が終わった日に実家に帰りますか?』
「ん、その予定でいるけど」
『なら、学園には入れませんが近くまで迎えに行きます』
「え?いいよ…。雅也だって忙しいでしょ」
停学中の自分とは違って雅也は転校を余儀無くされたのだ。慣れ親しんだ地を離れ、今だって岬を構っている暇などないぐらい慌ただしいはず。
けれども雅也はそんな様子を微塵も感じさせず、岬を押し切った。
『俺が迎えに行きたいんです』
「でも…」
『何時頃行けばいいですか?』
「…お昼前には終わると思う」
一筋の跡を頬に残して止まった涙。岬は抱えていた膝を伸ばし、しっかりとソファに座り直す。
『分かりました。じゃぁ、その日は学園の近くまで来たらまた電話します』
「…うん」
『岬さん』
「なに?」
『何もなくても電話してきて良いですから』
岬は意外なことを聞いたという様にきょとんとした表情を浮かべ、次に口の端を緩める。
「くだらない事でも?」
『良いですよ』
「何それ、ふふっ。でもありがと雅也。…僕、ここで頑張るよ。黒月と京介様を見ると胸はまだ痛むけど、これが僕に与えられた罰なんだ」
『岬さん…』
「もう二度とあんな真似はしない。次に好きな人が出来たら、僕が自分の力で振り向かせるんだ」
そう告げた声はまだ少し震えていたが、すっきりとしたものだった。
その台詞に雅也は優しく低い声で頷き返し、また電話しますと言って話を畳んだ。
岬は通話の終わった携帯電話をテーブルの上に置くと、冷めきってしまった紅茶に口を付ける。
「うっ…、やっぱり美味しくない。今度雅也に淹れ方教えてもらおうかな…」
目元で光る滴を指先で弾き、岬は丸みを帯びたティーポットをソッと優しく撫でた。
「でもその前にもう一回淹れてみよ」
こうして一つの恋が終わり、季節は暑い夏へと突入していった―。
end.
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