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幼馴染である透の家以外で、私的な泊りなど初めての明は自分の用意した、大したものなどそんなに入っていない荷物が車のトランクに大事そうに仕舞われるのを眺めて、緊張に顔を強張らせた。
明の家は静の家とは違い、規模もそこまで大きな会社ではなく、両親の穏和な性格もあってか普段は堅苦しいことからは無縁だった。そのせいか、こうも洗練された運転手の動作を見ていると余計に気を張ってしまう。
それを知ってか知らずか静は突っ立ったままの明の肩を軽くポンと叩くと、乗ろうぜと車のドアを開けて待つ運転手の方へと足を向けた。
明は律儀にもお邪魔しますと言って、静に続いて佐久間家の車に乗り込む。
間もなく車は新見家を後にする。
そしてそれを誰にも気付かれる事無く、遠くから透が見送っていた。
「あーぁ、皆良いなぁ。僕も恋人が欲しくなって来ちゃったよ」
などとぼやいていた事も誰も知らなかった。
二人を乗せた車は安全運転で佐久間家へと向かってひた走る。
車内は程よく冷房が効いており、後部座席の窓には人目を遮るようなスモークフィルムが貼られている。
車が走り出してからだんまりな明の横顔を、静は行儀悪く窓に片肘を付いて眺める。
「今から緊張してたら身体が持たないぞ」
「うっ…分かってるけど。俺は誰かさん達と違ってそんなに神経図太くないし」
普通こうなるだろうと言い返してきた明に静は緊張を解す為か、その話に乗った。
「誰かさんが誰だか想像は付くけど、俺まで一緒にしてくれるなよ」
「えっ!」
「何だ、その顔は。傷つくなぁ」
わざとらしく大げさに嘆いた静に明は疑いの眼差しを向ける。
「だって嘘くさいから。だいたい静が普通なら俺とかもっと普通の人の神経は糸か何かもっと細いもので出来てると思う」
「そりゃいくら何でも細すぎだろ」
何もしなくてもプッツリいくぞと言われて、明はじゃぁ釣り糸とかと即答し直した。
「何でまたそこで釣り糸とかが出て来るのか、俺にはお前の思考回路が読めないな」
突拍子の無い回答に静が呆れたように呟けば、明の中では何やら話が繋がっていたのか、唐突に話し始めた。
「いや去年の夏にさ、透達の家族と一緒に川に行ったんだよ」
「へぇ、去年は三澄と一緒だったのか」
明が自ら静に自分のことを話してくれるらしい。静は貴重な機会にそのまま話の先を促すことにした。
それにどうやら静を相手にしている内に明の緊張は和らいだらしかった。
「うん。そこで初めて川釣りに挑戦したのを思い出して」
「釣れたのか?」
「苦戦したけど、イワナとヤマメが釣れたんだ」
その時のことを思い出したのか、明は柔らかく頬を緩める。
「釣りか。…俺はやったことないな」
「初めてだったけど楽しかったよ。他にも河原でバーベキューしたりして」
自分とはまったく違う夏の過ごし方をしている明が静には生き生きと輝いている様に見えた。それもまた学園の中では見ることの出来なかった明の新たな一面だ。
「なぁ、明」
「ん?なに?」
「お前が普段どうやって夏休みを過ごしてんのか、俺も体験してみてぇんだけど」
「体験って、普通の事しかやってないと思うけど?」
首を傾げつつも、特別拒否するような理由もなく、明は別に良いよと頷き返した。
車に乗った時はあれほど家の家格を意識していた明だったが、静個人のこととなると意識は向かないのか、静のことを自分と同じ一人の人間として扱う。
その切り換えは無意識なのか、天然なのか、懐が深いというべきなのか判断に困るところだが、静はそんな明の事を好ましく思っていた。
色々と話をしている間に車は守衛の詰め所がある門を抜け、佐久間家へと到着した。
玄関から少し離れた場所で停車した車から降りれば、何故離れた場所で停まったのか明は足元を見て気付いた。
玄関周りの地面からレンガが敷き詰められており、そこにはレンガで小道が作られていた。更にその道の両脇には可愛いらしいランタンを模した照明が並んでいる。
「ほとんど母親の趣味だ」
明の変わりに運転手から荷物を受け取ってくれたのか、明の鞄を手にした静が目の前の光景に目を奪われている明の隣に立って言う。
「凄い。なんか童話に出てきそうな家」
「それが目標らしいからな」
ちらりと見える庭には、これまたレンガ造りの花壇や花を愛でながらお茶の出来るテラス。建物は白を基調としているのか白壁にとんがり屋根と、二階には屋根の上に大きく張り出したバルコニー。更にその奥の方には煙突らしき頭が見える。また、一階には大きな明かり取り用の窓が並び、白いレースのカーテンが掛けられていた。
とにかくどこを見てもお洒落な洋館だった。
「後で色々案内してやるから、まずは家に入るぞ」
「あ、うん」
背を押され、静に続いて明は佐久間家の玄関に向かった。
実際に使用しているのかは不明なドアノックハンドルの付いた玄関扉に手を掛け、静は一瞬動きを止める。
「………」
しかし、明はまだ建物の外観に気をとられていたのでその事には気付くことなく。静は鍵を開錠する手筈を省くと玄関扉を開けるなり、明を自分の背中に隠すように一歩前に進み出た。
「静?」
「厄介な奴が戻ってきてやがる」
当然、意味の分からない明は静の行動に首を傾げたが、その呼び掛けに重なる様に静の口から悪態の言葉が零れ落ちた。
「どうしたんだよ?」
静にとってのイレギュラーが生じたのは分かったが、明が驚いたのは静が素直に言葉に感情を混ぜて吐露したことだった。いつも飄々とした態度であまり素直に感情を見せようとしない静が。
一体、誰が戻ってきているというのだろうか。
明の疑問にちらりと背後を振り向いた静は見つかる前にさっさと俺の部屋に行くぞ、とだけ返してくる。
そして、赤い絨毯の敷かれた上を足早に歩き出した静に明は黙って付いていきながらも頭の上には疑問符を飛ばしていた。
「ちっ…」
そんな前を歩く静から舌打ちが聞こえてきたのは階段を数段上がった時だった。
「あれ?何だ。静も帰って来てたのか?」
階段の上から若い男の声が降ってくる。
「お前、今回は帰省しないんじゃなかったのか」
「まぁ、そのつもりだったんだけど。ちょっと母さんの様子見しつつ、忘れ物取りにな」
若い男の声というよりか、見上げた先には自分達と同じ歳位の男が立っていた。
背は明と同じぐらいか、髪は茶髪に染められていて、英字の柄が入ったTシャツに半袖のパーカー。ダメージジーンズにスニーカーを履いていた。
「で、そいつ、誰?」
明の視線に気付いたというより、静の話が終わったから、今度は自分の番だというように、男は静と一緒にいる明の素性を問うてくる。
「うちのチームにそんな奴いなかったよな?」
男は静が答える前に首を傾げて呟く。
「誰がチームだ。こいつの前で誤解を招くようなこと言うな」
「じゃぁ、あれか!個人的な舎弟とか?」
ポンと両手を叩いて、閃いたという顔で宣った男に静は一段と冷たい声を出す。
「お前のその狂った価値観でものを言うな。……こいつは学校の同期だ」
「へぇ〜、っていうと九琉の」
何が珍しいのか階段を跳ねる様に下りてきた男は静が背中に庇う様に立った明の顔を覗き込む様に見てくる。
一連の静とのやりとりで分かったことだが、この目の前の茶髪の男は明がもっとも苦手とする部類の男だ。
チャラい見た目を裏切らない軽い発言に言動。
それでも覗き込む様に見られて、目が合ってしまえば無視する事も出来ない。
「で、何さん?俺は佐久間 岳(ガク)」
「えっと、…初めまして。新見 明です」
「おい、明。こいつに自己紹介なんてしなくていい」
「そういうわけにもいかないだろ」
こんな近くにいて聞こえないはずがない、棘のある言い方をした静に明は二人の関係は分からないまでも一応人の礼儀として静に咎めるように返しておく。
だが、岳と名乗った男は静の言葉など気にした様子もなく、からりと笑うと新見くんかと明の名前を確認する様に繰り返した。
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