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じりじりと近付いてくる静に明はこくりと息を飲み、意を決した様子で潔く口を開く。

「――ごめん」

「…それは何に対してだ?」

浮かべていた笑みをひっこめ、静は明の正面で足を止めた。
すると明は静から目線を少し下に落とし、ポツリと言う。

「連絡出来なくて」

「しなくて、じゃないのか?明は俺に会いたくなかった?」

透に助けを求めた明の姿が静の脳裏にちらつく。
今日まで連絡を待っていた静は、期待していた分思わず口調がきつくなった。

「そんなわけないだろ!」

だが、静の胸に蟠っていたものは直ぐさま切り返された明の一言であっという間に吹き飛ぶ。

「連絡しようと思ったけど、携帯壊れちゃって…」

「……三澄に聞けばいいだろ」

「知らないって言われた」

「…………あの野郎。誰の味方だ」

目線を下に落としてた明は耳に届いた低い声音にパッと顔を上げた。

「静?やっぱ怒ってるよな。家まで来るぐらいだし」

「家の番号、学園の事務所には問い合わせなかったのか」

「したけど、個人情報は教えられないって断られた」

家に行こうかとも思ったけど、静が留守だと困るし、俺が一人で行くには佐久間家は敷居が高い気がして。

「それで、諦めてだらだらと転がってたわけか」

「なっ…あれは、見なかったことにして!」

静を取り巻いていた空気が緩み、からかうようにクスリと笑った静に明の頬が熱くなる。
学園じゃ見られなかった明の新たな一面に静は仕方なく、連絡が来なかった件はあの姿で相殺してやろうと心の中で思った。

「それで、バックアップもないのか?」

明は頷き返して、ローテーブルの上に漫画と一緒に置かれていたグリーンのスマホを手に取る。

「お、スマホに代えたのか」

「まだ使い方はイマイチだけど」

そう言って明はぎこちない指使いで、アドレス帳を開いて静に画面を向けた。明から見せられたアドレス帳には自宅と父親、三澄の名前しか登録されていなかった。

「見事にまっさらだな」

「……ごめん」

「少し貸してみな」

携帯電話と違い、画面が大きく薄っぺらい。明の見てる前で静はちょこちょこと画面をタップし始めた。

「静…?」

「俺の番号とアドレス、登録しておくからな。後できちんとバックアップもとっておけ」

ほら、と登録が完了したのか静の手からスマホが返ってくる。

「あ…ありがと、って…あれ?」

「どうした?」

明は画面へ視線を落として、それから静を見上げる。

「透のアドレス消えちゃったみたいなんだけど」

「あぁ、悪い。俺もあんまり慣れてないから、間違えたかも」

「う〜ん、透ならまた後で訊けばいいか」

「そんなことよりも先に新しくなった番号とアドレス、俺に送れよ。そしたら京介達の番号も送ってやるから」

「それは助かる」

ホッと、ようやく気の抜けたような笑みを溢した明に静は横道に反れかけた話を元に戻す。

「それと…お前は勘違いしてるようだけど、俺はここにお前を迎えに来たんだぞ」

「迎え…」

静の口にした言葉を理解するように繰り返した明の頬に静は右手を添え、レンズ越しにゆるりと瞳を細めた。

「待てども連絡が来ないから、俺直々に拐いに来た」


堂々と誘拐宣言をした静を明はぽかんと見つめ返す。

「え…?拐うって…」

「言葉通りだ。お前、今日から家に泊まりに来るんだよ」

既に決定したことのように告げられ、明は戸惑いを隠せずに口を開く。

「そんな、いきなり言われても…」

戸惑う明の頬をそっと撫で、静は僅かに眉を寄せて悲しそうな表情を作った。

「俺の家に行くのは嫌か?」

「嫌ってわけじゃないけど、いきなり行ったら迷惑だろ?それに…なんか、緊張する…し」

思ってることを素直に吐き出す明に静は心の中でひっそりと可愛いなと呟く。
家に泊まりに来るというだけでこんな戸惑って、おろおろと不安そうな、それでもちょっと興味は引かれるのかきっぱりと断らない。

「そんな心配しなくても大丈夫だ。今、家に親はいないし、不安ならずっと俺にくっついてればいい」

そう、別にまだ両親にコイツが俺の恋人ですと紹介するわけじゃない。さすがに俺もその辺は手順を踏んでいくつもりだ。

「う…ん」

行ってもいいのかなと、分かりやすく傾き出した明の天秤に静はあとひと押しとばかりに言葉を重ねる。

「家に来れば俺のこともっと教えてやれるぜ。確か中学の頃の写真とかもあるし、お前と初めて会った時の話もしてやってもいい」

「っ、行く!」

明が気にしていた、興味を引かれるようなものを並べ立てれば明の中で迷惑や不安よりも好奇心が勝ったのか次の瞬間にはパッと瞳を輝かせて頷いていた。
それに良しと頬を緩めた静はさっそく携帯を取り出すと明の頬から手を離し、先ほど乗って来た車の運転手へ迎えに来るよう電話を掛けた。

「…俺だ。迎えに来てくれ」

まだそう遠くへは行っていないだろうからそんなに待たずに迎えは来てくれるだろう。
用件だけを告げて通話を切る静に明は遅蒔きながらジワジワと、これから静の家に行って泊まるという言葉を実感してきてそわそわしだす。
それを横目に静はクスリと口端を緩め、眼差しを和らげた。

「明。一応泊まるのに必要なもの用意しておけ。まぁ俺としては身一つでもいいけどな」

むしろ明さえ来ればいい。

いつものからかうような笑みでもなく緩んだ顔で囁かれてボッと明の顔が一瞬で赤く染まる。

「っ、よ、用意するよ!」

ストレートに届いた明を求める静の言葉に、これ以上ないぐらい明は吃り、静の視線から逃げる様に泊まりに必要な着替えやら寝間着をカバンの中に詰め込み始めた。
とりあえず夏休みの宿題も持って行こうと別のことを考えることで冷静になろうとした明だったが、思ったよりも動揺していた頭はうっかり大事なことを聞き忘れていた。

荷物を纏める明の様子を楽しそうに眺めていた静は明のうっかりミスに気づいて喉の奥で小さく笑う。

良いのか明、訊かなくて?
俺は一泊とも二泊とも、いつまで泊まりかなんて、期限なんか決めてないぞ。
まぁでも帰りたいって言ったら明はストレートな言葉に弱いようだから、まだ一緒に居たいと告げればお前はまた顔を真っ赤に染めて、狼狽えて、可愛いんだろうな。

「えーっと、他には…」

数時間後には己の自室にある明の姿を想像して、静は機嫌良く明に声を掛けた。

「何か足りない物があったら俺が用意してやるから、大体荷物が纏まったなら次は出掛ける準備しろよ」


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