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九琉学園が夏期休暇に入り、生徒会が仕事を終え二週間。それから実家へと帰って来て更に一週間が過ぎた。

八月の頭を過ぎ、今は中頃へと差し掛かかっている。

自室のソファで寝そべっていた静は手にした携帯電話から目を離して、ゆっくりと身体を起こす。
そして手に持っていた携帯電話をポケットに捩じ込むとクツリと口端を歪めた。

「明…お前がその気なら俺にも考えがあるぞ」

待てども待ってる相手から何の連絡もない状況に、静はソファから立ち上がり実家に帰ってきてからは外していた伊達眼鏡を手に取った。

それなりに身形を整えて静は自室を後にする。

「出掛けてくる」

一言家人に告げて、静は車を出してもらった。
行き先を告げれば運転手は少し困った顔をしながらも車を走らせ始めた。

窓の外を流れていく景色を、窓に肘を付きながらなんとなく眺める。

「………」

その間も携帯が知らせるのは待ち人以外からの着信。

あまりにもうるさく鳴る携帯電話に静は細く息を吐き、仕方なく携帯電話をポケットから取り出した。

「くだらねぇ用じゃないだろな」

携帯電話を操作して、待ち人以外からの電話とメールを目的地に着く間、静は面倒臭そうに処理していた。



それからどれぐらい経ったか、車は緩やかに大きな門の前で停車する。

「先に帰っててくれ。必要になったら呼ぶかもしれないが」

車から降りながら静は運転手に言い、携帯電話をマナーモードに切り替えてポケットへとしまった。
静がピタリと閉められた門を見上げ、言い付け通りに車が去ってから、静は不意に右手側から声をかけられた。

「あれぇ?ひょっとして…佐久間さん?」

そちらへ顔を向ければ、さらさらの黒い髪にきょとんと黒い目を丸くした、明の幼馴染みである透が立っていた。

「三澄、お前も明に用か?」

「用っていうか…」

答えながら口ごもった透はジッと静を見上げる。
透と静は同じクラスでもあり、間に明を挟んで知らない間でもない。

暫し沈黙した透はそれからにぱっと何かを企むように顔に笑みを浮かべ、口を開いた。

「明に用なら僕が案内しますよ。伊達に幼馴染みしてませんから」

「…それなら頼むか」

「うん、着いて来て」

透は閉ざされた門の前を通り過ぎ、脇に設置されていた使用人達がぐくる門を開けて新見家の敷地に入る。

「勝手に入っても平気なのか?」

「うん、僕がいるから多分平気。一応監視カメラもついてるし、ダメならダメで警備員がとんで来るでしょ」

さらりと常識はずれな行動をとる透に静はそれもそうだな、と他人事のように相槌を打った。
門から玄関とおぼしき場所まで車両が通る道以外は芝生に覆われている。

「なんか、犬でも飼って戯れてそうな庭だな」

ごろごろと転がるには気持ち良さそうな庭の景色に思わず静の口からそんな言葉が零れた。

「うん、飼ってるよ。ゴールデンレトリバーを一匹」

すると透から肯定の言葉が返される。

「飼ってるのか」

「えっと…確か名前はレオだったかな」

「ふぅん」

両開きの玄関扉の前で足を止め、透はあっ…と声を漏らす。

「どうした?」

「そういえば今日、明のお父さん居るとか言ってた。…佐久間さん、明に会う前に先におじさんに挨拶とかする?」

「そうだな…」

急に振られた話にも静は落ち着いた様子で顎に指先を添えた。









「初めまして。明の父の輝(ひかる)です。まさか佐久間家の御子息とうちの明が知り合いだったとは…」

「初めまして、佐久間 静です。明とは友達で、家のこととか関係無しにいつも仲良くさせてもらってます」

通された応接室は大きな窓があり、ソファとテーブル、隅に置かれた棚の中にはアンティークが並んでいた。明るい室内で見るオレンジ色がかった茶色の髪は明と同じ。穏やかな光を灯す目は真っ直ぐに静へと向けられていた。

身長は僅かに静より高く、年齢は四十代ぐらいか、柔らかい雰囲気が輝を取り巻いていた。

ソファに座るように勧められ、話を通してくれた透も静の隣へと腰を下ろす。

「透くんもいつも明と仲良くしてくれてありがとう」

「明とは友達だから」

向けられた穏やかな眼差しに透は少し照れたように表情を崩して返した。

「うん。それで佐久間くん、私に用とは何かな?」

「実は夏休み中、明がうちに遊びに来る約束になっていたんですが中々連絡もつかず…もしかして家の手伝いで忙しいのかなと思いながらも、失礼を承知でこうして足を運ばせて頂いたんです」

すらすらと口を動かし、静は伺うように訊く。

「明はやはり忙しいんですか?」

「ん?そんなことはないと思うけど。帰ってきて数日は家のことであちこち連れ回してはいたけど…」

はて、と輝は顎に指を添えて思い出すように首を傾げた。

「それでは、家の用事は済んだと?」

「そうだね。…明はまだ高校生だから、夏休みの間はなるべく子供らしく過ごして欲しいと私は思っているんだよ。一生に一度の貴重な時間だからね」

「それは…」

にこりと邪気のない顔で微笑まれて、静は思わず言葉に詰まる。
何だか急に全てを見透かされているような気がして、そんなわけもないのに、微かに走った緊張で静の表情が強張った。

「明を遊びに誘いに来たのは透くんを除いて佐久間くんが初めてかな」

にこにこと笑って輝は言葉を続ける。

「透くん。明は自室にいると思うから佐久間くんを案内してもらえるかな?出来れば私がしたいところなんだけど、この後仕事が入ってしまっていてね」

「構いませんよ。僕も明に会いに来たから」

「それじゃ、悪いんだけど私はこの辺で失礼させてもらうよ」

「いえ、こちらこそ貴重なお時間をとって頂きありがとうございました」

輝がソファから立ち上がるのと一緒に静と透もソファから立ち上がり、静は軽く頭を下げた。

その姿に輝はにこりと笑っていた瞳をほんの少し細める。

「これは私が言うことじゃないのかも知れないけど、佐久間くんはもう少し子供っぽくても良いんじゃないかな」

「は…?」

「今の私は明の父親であって、佐久間くんの取引相手ではないんだよ?友達の父親相手にそれはちょっと堅すぎるかな。これはあくまで私の見解だけど。…どうかな?」

必要以上に畏まった態度の静に輝はやんわりと言葉を紡ぐ。
指摘された静は一瞬虚を突かれたような顔になって、ゆるゆると苦笑を浮かべた。

「実を言うと俺も、誰かの家に私的に遊びに誘いに来たのは初めてで…」

「うん。そちらの顔の方が私は君らしい気がするよ。明の友達なら私にまで気を遣うことはない。透くん共々、いつでも家に遊びに来なさい」

終始穏やかな空気を纏っていた輝が応接室を出て行き、静は透に案内されながら応接室を出て絨毯の敷かれた廊下を歩く。

「はぁ…、久々に緊張した。明の親父さんって見かけによらず手強いな」

「そりゃぁ新見家の当主だもん。人生経験の浅い僕達じゃすぐ翻弄されちゃうよ」

「でも分かった。明の真っ直ぐさとか、純粋なとこはあの人の教育の賜物か」

「うん。そうだと思う」

学園に入っても変わらない姿勢は、明が幼い時からこの屋敷でのびのびと愛情を注がれて育てられたものが根源にあるからだろう。


途中で階段を昇って、二階へと上がる。

「明って、父親似か?」

「うん。見たまんま。目元とか鼻筋は母親似らしいけど」

この先だよと透が言って、静は何気なく会話の続きで訊いてみた。

「母親は今日はいないのか?」

「あ…、うん。明のお母さんは明が小学生の時に病気で亡くなっちゃったから」

ひっそりと小さい声で返された言葉に、自然と静の声も小さなものになる。

「余計なこと訊いたか」

「ううん。…さっ、ここが明の部屋だよ!ドンッと驚かしてやろっ」

一つの扉の前で足を止めた透は明るく笑って、静に場所を譲った。
その扉を見て、静はクツリと微笑ましげな笑みを溢す。

「“あきらくんのへや”か」

扉にはひらがなで書かれた可愛らしいプレートが提げられていた。
静は右手を持ち上げ、コン、コン、と手の甲で扉を軽く二度ノックしてみる。

「………」

少しして中から物音がし、扉越しに声が返ってきた。

「透?何でノックなんか…、入っていいよー」

扉の外にいるのは透しかいないと明は思い込んでいるらしい。
思い返せば、輝も透以外で明に会いに来たのは静が初めてだと言っていた。

とりあえず、入っていいと許可をもらった静は遠慮なくドアノブを下に下げ、扉を引いた。

「宿題の手伝いなら…っえ?とお…る、えっ?」

「邪魔するぞ、明」

部屋に入れば、明はソファに俯せになって転がっていた。ソファーの前にあるローテーブルには、ジュースと漫画が数冊詰まれている。

「えっ…は…?なんで…静?」

ぐるりと見回した室内は中央にテーブルとソファ、その向かいに液晶テレビ。窓の側には鉢に入れられた観葉植物。窓側とは逆の壁に本棚。
奥に扉があり、その先にもうひと部屋あるようだった。

がばりと慌てて起き上がった明に、静はにっこりと爽やかに微笑む。

「随分有意義に夏休みを満喫してるようだな、明くん」

「っ…これは、その…あの…」

ばたばたと無意味に手を動かして、明は何かを言おうとして言葉にならない様子だ。
狼狽えた明を助けるように静の後ろから透がひょっこりと顔を出す。

「やっほー、明!」

「あ…透」

透の姿を目にして明はあからさまにホッとした顔をした。
しかし、助かったと思ったのも一瞬で透はひらひらと右手を振って笑って言った。

「何か今日は大変そうだから宿題はまた今度で良いよ」

「えっ、待って!透!」

ばさりと漫画を落として明はソファから立ち上がる。

「それからちゃんと佐久間さんに電話出来なかった理由を説明するんだよ〜。がんば、明」

透は自分の言いたいことだけ言って、明の制止も聞き流して部屋から出て行ってしまった。
部屋に残された明は立ち上がったままの体勢で恐る恐る静の顔を見る。

視線がぶつかると静はにっこり微笑んだまま、静かに明の側へと足を進めた。


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