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街中では手を繋ぐ代わりに、肩を並べて皐月と宗太は楽しげに歩く。
にこにこと嬉しさを隠しきれない様子の皐月に宗太の頬も緩む。

「暫く来てないだけでお店変わっちゃってますね」

「そうだね。春休みに来た時にはあの角にはカフェがあって一緒にお茶しましたね」

「はい!あの時は映画を観に行った帰りで…」

「ふふっ、皐月は大分はしゃいでましたね」

「うっ…、それは忘れて下さい。恥ずかしいです」

「それは無理かな。あの時の皐月は可愛かったですから」

然り気無く引き寄せられて、耳元でひっそりと囁かれた台詞に皐月の頬が薄く赤く色付く。

「今も、可愛いことに変わりはないですけど」

そう言って皐月の頭をさらりと撫でて、宗太は一件の呉服店の前で足を止めた。

「さぁ、着きましたよ皐月。此処です」

「あ…」

どっしりとした店構えに、昔ながらの和風建築。入口脇には屋号の入った藍色の暖簾。
宗太は皐月を促しながら、呉服店へと足を踏み入れた。

「ようこそ、いらっしゃいま…せ?って、流?と、そっちは…渡良瀬先輩じゃないッスか」

「えっ、…あ、速水くん!?あれ、でも?」

そして、来店した二人を迎えたのは学園で知った顔の速水 一夜だった。
驚く皐月に先に冷静さを取り戻した宗太が穏やかに口を開く。

「ここは速水呉服店なんですよ皐月。速水君に応対されるのは初めてですが、彼が居てもおかしくはありません」

「あー、もしかしてうちのお得意先の渡良瀬さんって先輩のことッスか?」

速水呉服店は明治創業の歴史ある呉服店で、華道や茶道、旅館といった着物を扱う業界で有名な呉服店の一つでもあった。
そして宗太の実家は老舗旅館である。家を継ぐべき宗太の兄は美容師になってしまったが。

「他にいなければそうでしょう。…それにしても、速水君。その頭は」

宗太も一瞬、接客に出てきた一夜が誰だか分からなかった。一夜は着流しに身を包んだ腕を持ち上げると、がりがりと心持ち落ち着かなさげに頭を掻く。

「これッスか?これはまぁ…社会勉強の一環ッスよ」

一夜の髪は目立つ赤色から黒色に戻っていた。
目のカラコンも外しているのか真っ黒で、学園にいた時より落ち着いた色合いが何だか一夜を大人っぽく見せていた。

「で、お客さんは本日どのような品をお求めで?」

頭から手を離した一夜はすっと表情を引き締め直して、宗太達と向き合う。纏う雰囲気の変わった一夜に宗太も合わせて、客として口を開いた。

「今日は浴衣を。皐月と私の分で」

一夜の視線が宗太から皐月に移り、一つ頷く。

「浴衣でしたらこちらですね。中へどうぞ」

背を向けた一夜に案内されて二人は店の中程まで進む。そこには色も柄も豊富な反物が揃えられていた。

「わぁ…僕、呉服店に入るの初めてで、何だか凄いですね」

「一揃え仕立てるんでしたら、帯はこちらから合わせてお選び下さい。他にも腰帯と下駄、巾着もありますので」

きりりと大人びた表情で接客する一夜に宗太は相槌を打ち、一度下がってもらう。

「分かりました。少し二人で見たいので」

「あぁでは、何かありましたらお声掛け下さい」

大人しくその場を離れた一夜に宗太は苦笑を浮かべる。

「先輩?」

「いえ、学園での速水君を知っているせいか何だか速水君が別人に見えてしまって」

「僕もそう思います。何だか知らない人みたいで、ちょっとどきどきします」

「大人びた表情と着物が魅せる艶っぽさのせいでしょうか。少しハッとさせられますね」

さぁ、と宗太は続け、見上げてくる皐月の頭を撫で柔らかく表情を崩した。

「皐月に似合う浴衣を選びましょうか」


生地は黒色から白、藍色に淡い紫に空色と数ある中から色を選んでいく。その上で蜻蛉が飛んでいるものや美しい流水線を描く模様、縦縞や竹や蝶、豊富な柄が揃う中からお互いに似合ったものを合わせて決めていく。

「宗太先輩はどれ着ても格好良いから…迷っちゃうな。う〜ん…」

あれこれと真剣な眼差しで宗太の浴衣を仕立てる為の反物を選ぶ皐月の姿に宗太は嬉しげに表情を綻ばせる。

「嬉しいことを言ってくれますね」

「でも…先輩が他の人に好きになられるのは…ちょっと嫌です」

反物からちらりと宗太に向けられた目は、僅かに恥ずかしさを含んでいて。余すところなく皐月の気持ちを正直に告げていた。

「そんな心配は無用ですよ。例え誰かが私を見ていても、私が見つめる先にいるのは皐月だけです」

ふわりと小さな心配ごと皐月を言葉と眼差しで包み込んだ宗太は反物に手を伸ばす。

「皐月には明るい色が似合いそうですね」

「――っ」

言葉を詰まらせ、かぁっと赤く頬を染めた皐月はぱっと宗太から顔を反らして手元の反物に視線を落とした。

そして、宗太には皐月が選んだ黒地に矢絣柄の落ち着いた反物。合わせる帯はグレーで格子柄。
皐月には宗太から淡いベージュに格子柄の反物。帯は茶色で献上柄。

その他に下駄や巾着は一夜に声を掛けて、一通り見てもらった。

「では、こちら一揃いで手配致します。引き取りは来店か配送かどちらにしますか?」

「引き取りに来ますので私の方に連絡下さい」

「分かりました」

「それと支払いは渡良瀬家ではなく私個人で」

「でしたら少々お待ち下さい。あちらで…」

一夜と宗太のやりとりを眺めながら皐月は大人しく待つ。
店の奥へと宗太を通した一夜は古参の従業員へとバトンタッチをして、支払いや連絡先などの細かいことを任せた。

「はぁ〜、何か顔見知りだとちょっとやりずらいな」

店内で待つ皐月の元へ近付いてきた一夜はきりりとした態度を崩して頭を掻く。そんな一夜の姿を見て何となく分かるような気がした皐月は苦笑を浮かべた。

「ん…?」

その皐月の視線に気付いて一夜は何を思ったのか怪しげに口端を緩める。

「そういやぁ流は黒月先輩が今どこに居んのか知ってんのか?」

「え?…知らないけど、どうして?」

いきなり振られた話題に皐月は律儀に答えつつも首を傾げる。

「休みの間イロイロと遊んで貰おうと思って携帯に電話かけたのに繋がらねぇんだよ。メールは届いてるはずなのに返事も来ねぇ」

「あ…それは、たぶん、会長といるからじゃ」

「ふぅん…、携帯も見れないほど忙しいってか。…会長様と黒月先輩は一体ナニしてるんだろうねぇ」

「さ、さぁ…」

クスリと艶やかに笑った一夜に、ただでさえいつもと違う格好の一夜に皐月は危うげな空気を肌で感じてじりじりと後ずさる。
しかし、次に一夜の口から発された台詞に下がりかけた足を皐月は止めた。


「それにしても…渡良瀬先輩か。ちょっと良いかもな」

言いながら店の奥へと目を向けた一夜に皐月は戸惑う。

「顔が良いのはもちろんだけど、落ち着いた穏やかな物腰に一途な心。浮気とかぜってぇしなさそうなタイプだよな」

宗太へと向けられていた視線が皐月へと戻ってきて、一夜はゆるりと口端を吊り上げ、内緒話をするように皐月へと低い声で囁いた。

「なぁ、お前の渡良瀬先輩俺にくれない?」

「な…っ、駄目です!」

「どうして?俺も誰かに一途に想われてみてぇな」

「だ、駄目ったら駄目です!先輩は僕の大事な人ですっ!」

思わず力が入って皐月はぶんぶんと首を横に振って一夜の言葉に噛み付く。

「駄目って言われるほど、余計欲しくなるよなぁ」

「っ、あげるとかあげない以前に僕は先輩を誰にも渡したりしない!」

キッと一夜を睨んで皐月は言い放った。
すると一夜はにやにやと浮かべていた妖しげな雰囲気を消し去り、ひょぃと軽く肩を竦める。

「それはそれは…熱いことで」

「…えぇ、だから貴方が何を言ったか知りませんが皐月を虐めないで下さい」

支払いその他諸々を済ませた宗太は聞こえてきた皐月の声に急いで皐月の元へと戻ってきた。
一夜に言い放った皐月は、宗太の姿を目にいれて、遅れてやってきた羞恥心にぶわわっと首筋まで真っ赤に染めた。

「あっ…う…、今のは…」

「嫌だなぁ、人聞きの悪い。虐めてなんかないッスよ。ちょっとした世間話をしてただけっすよ」

あたふたと慌てる皐月の側に行き、落ち着かせるように宗太はぽんぽんと皐月の頭を優しく撫でる。いまいち掴み所のないふざけた態度をとる一夜に身体を向け、宗太は鋭く釘を刺す。

「からかいが過ぎると私も容赦はしませんよ」

「あーはいはい、分かりましたよ。またの御来店をお待ちしております、お客様」

がらりと接客用の顔になった一夜に宗太はそれ以上口を挟まず、側にいる皐月の頭を撫でて店の外へと促した。

「行きましょうか皐月」

「…はい」

「…ちぇ、穏やかそうに見えて堅いな。柔和そうに見えるその面を啼かしてみたかったんだけどなぁ」

その背後からぼやくように聞こえてきた一夜の声に皐月は宗太の手をぎゅっと握る。
急に手を握ってきた皐月に宗太は驚きながらも皐月の好きにさせた。

「誰にもあげないんだから…」

繋いだ掌から伝わってくる宗太のぬくもりに、ほわほわと温かくなる気持ちを自覚しながら皐月はぽつりと小さく溢す。

「皐月?」

「っ、…なんでもないです」

赤くなったままの顔を俯かせ、皐月はふるりと首を横に振った。



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