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「サンダルは止めた方がいいな。靴にしろ」

出掛ける準備を整え、玄関に向かった先で圭志は京介に後ろから声を掛けられた。

「それと…」

振り向いた瞬間、圭志に向かって京介は薄手の長袖シャツを投げて寄越す。

「っと…」

危なげ無くシャツをキャッチした圭志は京介が半袖シャツの上に薄手の長袖を着ているのに気付いた。先程までは半袖シャツ一枚だったはず。

疑問が顔に出ていたのだろう京介が言う。

「それ羽織っとけ。怪我すんといけねぇからな」

「怪我って…お前何処に俺を連れてくつもりだよ?そんな危ない場所なのか?」

投げ渡された長袖シャツを広げ、言われた通りに袖を通す。

「危なくはねぇが、木の枝とか葉っぱとか色々あるだろ」

「あるだろって…この服、お前のじゃねぇか」

「サイズはそう変わらねぇから着れるだろ?行くぞ」

靴を履いて玄関出た京介に続き、圭志もスニーカーを履いて玄関を出る。
周囲に人家はないが念の為、京介は鍵をかけてポケットにしまった。

外に出た途端上から降り注ぐ太陽がジリジリと肌を突き刺す。眩しい上に暑い。

「こっちだ」

「ん」

京介に促されて圭志は京介の隣に並んで庭園の見える方へと足を進めた。
海があるのとは逆方向で緑の多い道を行く。足元には煉瓦の道が庭園の中へと伸びていて、程なくして二人は庭園の入口に辿り着く。

「迷路になってるのか?」

薔薇や夏の花花が鮮やかに咲く植え込みは道なりに真っ直ぐ伸びたかとおもえば右に左に、緩やかなカーブを描いたと思えば巡り巡って道を戻ってきたりとまるで迷路のようだった。

「ま、迷路に違いはねぇな。側に寄りすぎると薔薇の棘があるから気を付けろ」

庭園の中へ足を踏み入れ、京介は迷いなく道を進む。

「ここって誰か手入れしてるのか?」

「月に一回業者が入ってる。使ってねぇ別荘とはいえ定期的に手入れはしねぇと駄目になっちまうからな」

庭園の中央には水を噴き上げている噴水がある。ザァザァと流れる水の音と弾ける飛沫が涼しげだ。

その側には庭園を楽しむ為のものか、西洋風の洒落た東屋があり、ちょっとしたティーパーティーでも開けそうだ。
しかし、京介と圭志に特別花を愛でるという趣味もなく東屋の前をただ通り過ぎる。


暫く進むと庭園の終わりが見え、庭園を抜けた途端に視界は開ける。
煉瓦の敷き詰められていた道は灰色のコンクリートに変わり、その先にテニスコートが見える。

「こう暑いとせっかくあってもテニスとかやる気起きねぇよな」

テニスコートは二面。
多少木々の影に入っているとはいえ、陽射しがキツい。
じわりと額に浮かんだ汗を拭い圭志がぼやけば京介が応える。

「後で時間あったらプールにでも入るか?」

「おっ、いいな、それ」

テニスコートをぐるりと囲う緑のフェンスの側を通り、京介の足は更に奥へと進む。コンクリの道から反れ、ならしていない雑草の生える砂利道へ。
道から外れればそこは当然緑溢れる自然界だ。

「長袖ってこの為だったのか」

左右から伸びる木の枝をくぐり、生い茂る葉っぱで怪我をしないよう避けながら圭志は前を見据える。

「こんだけ荒れてんともうねぇか…?」

道を反れてから先を歩き出した京介は周囲に首を巡らせ、何かを探している様子だった。
道から反れてこんな所に一体何があるというのか、圭志は首を傾げる。

「確かこの辺だった気が」

いきなり足を止めた京介に倣い圭志も足を止めるが京介の探している何かは特に見当たらない。
草木と蔦に覆われた大木ならドンと目の前にあるが。

「京介。いい加減教えろよ。こんな所に何があるっていうんだ?」

「…ここは…昔遊び場だった。見つけたのは偶然で、当時はもう少し綺麗な場所だったな」

「遊び場?」

「よくあるだろ?子供が迷い込んで勝手に秘密基地にしちまうとか」

ふっと笑った京介の横顔にそれが過去の話だとピンと来る。
過去のことに気をとられてばっかいるなと口では言う癖に京介はちゃんと圭志を思い出の場所に連れてきてくれたらしい。

そう思うと何だか心が擽ったい。

「もうずっと前のことだし流石に何もねぇか」

ぐるりと圭志も辺りを見回し、京介のように懐かしむ気持ちは沸かないが瞳を細め、口許を緩めた。

「なぁ…京介。ここにどんなものがあった?覚えてる範囲でいい」

「俺も確りと覚えてるわけじゃねぇけど確かここに迷い込んだのは…今、通ってきたテニスコートの方からだったな」

親達がテニスで遊び始めて、始めは京介も圭志も物珍しく大人達の姿を眺めていた。

「けどテニスって一試合が長いだろ?子供がそんなジッと大人しく待ってるわけがねぇ」

大人の目を盗んで京介と圭志は探検に出た。
船で来た時も船内探検をしていたし、その頃はやたら探検とか好奇心が大きかった。


この別荘へ初めて来たのは京介も圭志も五歳ぐらいの時か。
当時、周りの人も建物も二人の目には全てが大きく映って見えていた。

ガサガサと大人なら余裕で横切れる草木の中を、隙間を縫って、服を汚しながら二人はこの場所を見つけた。

〔ここ、俺たちだけの秘密基地にしよう!〕

〔じゃぁ誰も入って来れないよう罠もしかけねぇとな!〕

「ここを秘密基地にしようって言ったのはお前だぜ、圭志」

「俺が?」

驚く圭志に京介は頷き返し、蔦の絡まった大木を指差す。

「この木の下辺りが窪んでて、武器だとかいってそこらに落ちてた木の実やら頑丈そうな枝やらを拾ってきて隠したな」

「へぇ…何と戦うつもりだったんだか」

「ここは一応基地だからな。不用意に踏み込んでくる自分達以外の人間だろ」

肩を竦めてしょうもねぇことしてたなと京介は呟く。

「で、その大木の横に子供が乗れるような太い枝が低い位置に何本か伸びてて、その周りを目隠しするように草が真っ直ぐ上に伸びてた」

自然に伸びた草を引っ張って結んだりして壁を作って、何本も伸びた枝の上に大人達が休憩用に持ってきたレジャーシートをこっそり持ち出して被せた。

「…それでよく見つからなかったな」

レジャーシートを持ち出したってことは一度大人達の元へ戻ったのだろう。

「何かテニスの試合が白熱してたからな。こっそりというわりに堂々と持ち出した気もするな」

「はぁ…」

我ながらやることが大胆というか無謀だ。

「それもまぁ探検の延長で、任務感覚でやってたんじゃねぇの」

その辺はよく覚えていないと京介は言う。

「来てみたが結局…何も残ってねぇしな」

「それは仕方ないだろ。何年前の話だと思ってんだ」

圭志はがっかりした気持ちより、気にかけてくれていた京介の気持ちの方が嬉しく、特に残念だとは思わなかった。
蔦の絡まった大木に手で触れ、圭志は視線を下に落とす。ここにあった筈の秘密基地を想像して圭志は口許を緩めた。

「もう…いいぜ。無いもんはしかたねぇよ。行こ…う、ん?…あ!」

京介!といきなり声を上げて圭志は大木の前にしゃがみこむ。

「どうした?」

不思議そうに圭志の側へ寄った京介は圭志に腕を掴まれたかと思えば下へと強く腕を引っ張られた。

「おいこれ見ろよ!」

余程興奮しているのか腕を引っ張られ、たたらを踏みそうになった京介へ圭志はテンション高く大木の幹の下の方を指差して言う。
身を屈めた京介は促されるまま圭志の指先が指す場所へと目を向けた。

そこには今にも消えてしまいそうな程薄い字で、けいし、きょうすけと拙い字が幹に刻まれていた。





ガリガリと尖った石で幹を削る。
大木の前に立ち、あまりにも熱心に作業するその後ろ姿に首を傾げた。

〔何してるんだ京?〕

〔ここが俺たちのってシルシ付けてんの〕

〔あ、俺の名前〕

ぼんやりと幻のように目の前に浮かんだ光景に圭志はしゃんだまま、同じように名前の彫られた幹を眺める京介を下から見上げる。
そして、にやりと口端に笑みを乗せた。

「このシルシやったのお前だろ?」

自信を持って向けられた眼差しに京介はハッと驚いたような顔で圭志を見返す。

「思い出したのか?」

「ここに俺達のっていうシルシを付けてるってお前が言ったとこだけな」

視線を幹に戻して圭志は笑み混じりに言葉を続けた。

「あん時のお前可愛かったなー」

「はぁ?」

「ちっこくて、少し生意気だったけど今より可愛いげがあって」

「…ガキの頃なんて皆そんなもんだろ」

いきなり何を言い出すんだと言いたげな京介を無視して、圭志は掴んでいた手を離すと立ち上がる。立ち上がりながら圭志は京介を振り向き、ふっと瞳を細めた。

「それがいつの間にやらこんなでっかく格好良くなりやがって」

「…それは褒めてんのか?」

「まさか。ムカつくって言ってんだよ。…ほんと、どうしょうもねぇぐらい」

言葉とは裏腹に絡められた瞳に滲む愛しさに、口を開こうとした京介は何も言わずに口を閉じた。
代わりに口許に弧を描く。

浮かべられた笑みに圭志も表情を崩して、足を踏み出す。

「…もう戻ろうぜ。ここは暑い」

「そうだな。…プールにでも行くか」

「あぁ」

二人は暑い空気が取り巻くなか別荘に向かって、歩いてきた道を戻って行った。



「にしても暑さが半端ねぇ」

別荘に入る頃には二人とも羽織っていたシャツを脱ぎ、圭志は半袖のシャツを掴んでパタパタと内側に風を送っていた。

「七月でこの暑さじゃ八月入ったら死ぬだろ」

「なぁ京介。俺、涼しい所に行きたいって言った覚えあんだけど」

別荘の鍵を開け、中に入っていく京介の背中を追い、圭志も別荘の中へ上がる。
ログハウスの中は外よりか温度は低く、少しだけほっとした。

「自由に入れるプールも海もある。涼しい場所だろ?」

「あのな」

「そもそも夏なんだ。何処行ったって暑いのに変わりねぇ。それとも海外が良かったか?」

室内を風呂場のある方へ向かって歩く京介に付いていく。

「開き直んな。ったく…ここで十分だよ」

京介は脱衣所の扉を開けたかと思えば、徐に収納棚を開け始める。

「京介?」

ちらりと見えた棚の中にはどうやらタオルなど備品が入っているらしい。
その中から京介は何かを見つけると投げて寄越す。

「それ使え。ゲスト用の水着だ」

透明なビニールに包まれた新品の水着に圭志は視線を落とし、別の水着を片手に収納棚を閉じた京介は水着のパッケージを開けながら言った。

「プールにはここから風呂場の中を通って行ける。着替えはここでするんだ」

「へぇ、そりゃまた便利だな」

暑い外を歩かなくて済むし、プールから上がったら真っ直ぐ風呂にも入れるってことか。



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