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やがて陽は暮れ、夕食をレトルトのカレーで済ませた圭志はキッチンに立ちながらダイニングで寛いでいる京介に声をかける。

「暇なら先風呂入って来いよ」

「そうするか。あぁでも、どうせなら一緒に入るか?結構広いからいけると思うぜ」

まだ見ていないが、確か外も室内も露天風呂だと京介は言っていた。
僅かに間を開けた圭志は首を横に振って答える。

「今日はいい。疲れたから後でゆっくり一人で入りてぇ」

「なら先にもらうぜ」

「おぅ。ゆっくりしてこい」

京介が風呂場へ消えたあと、夕飯の後片付けを済ませた圭志は荷物を置いた二階へと上がる。

「此処に来てまでこれは…仕方ねぇよな。学生の本分だし」

鞄の中から所謂夏休みの宿題を取り出し、それを持って一階へと降りた。
大体の宿題は寮にいた時に処理したのだが。

つらつらと英文の書かれたプリントと数学の問題集をテーブルの上に広げ、圭志はシャーペンを握った。

「このながったらしい英文を訳せって、藍人の奴嫌がらせかよ」

基礎を織り混ぜながら綴られた英文に文句を溢しながらも圭志はシャーペンを走らせる。
すっかり昼間の空気を忘れた圭志はいつもの調子を取り戻して、京介が風呂から上がるまで宿題と格闘していた。

ぽたりとシャーペンを握った右手の甲に滴が落ちる。

「おいっ」

「あぁ…宿題か」

風呂から上がった京介はテーブルの上に何か広げてやっている圭志の側に足を向けると横から覗き込んだ。

「ちゃんと髪拭いてこいよ」

「ん?落ちたか?悪い」

身を引き、頭に被せていたタオルで髪を拭き始めた京介に圭志は咎めるような視線を送った。
わしゃわしゃと髪を拭き直す京介は半袖Tシャツに下はスウェット。

「そういや俺もまだ少し残ってたな」

髪を拭いたタオルを下ろしながら京介は思い出したように呟く。

「少しってお前いつやってたんだ?俺、見てねぇぞ」

圭志の知る限り京介は生徒会業務に掛かりきりだったはずだ。その間に圭志は夏休みの宿題を処理していたわけで。

「夏休み前に、出される課題が分かってる授業は先に配布してもらったり。教師も生徒会の忙しさはよく知ってるからな、免除してくれる奴もいる」

「それでも宿題はあるんだろ?」

「あったな。生徒会の仕事の息抜きついでに終わらせたけど。…残ってるのはそのややこしい英文プリントだけだ」

眉を寄せて圭志の手元に視線を落とした京介はもはや嫌がらせだな、と圭志と同じことを言う。

「お前もそう思うか?」

同じ思いを抱いていた京介に圭志は染々と聞き返す。

「も、ってことはお前も…」

そのことに共感を覚えて圭志は京介を見上げた。

「あぁ。これはねぇよな。ちょっと訳してみたら有名な歌詞だったけど」

「へぇ…」

言いながら椅子を引いて圭志は立ち上がる。

「上がったなら俺、風呂もらうな。プリントやるならその訳見てもいいぜ」

京介の横を通り抜け、風呂へ行く仕度をしに向かった圭志の背に京介もテーブルの側を離れながら返す。

「それは遠慮しとく。自分でやらねぇと意味ねぇからな。お前は風呂でゆっくり疲れでもとってこい」

「…ん」

ちらと背後を振り返った圭志は京介がキッチンに入っていくのを視界の端に映し、自分は風呂へ入る為にダイニングを出た。
二階に置いた鞄の中から寝巻きに使っている服を取り出し、風呂場へと足を向ける。

どこからか湯を引いているのか、総檜造りの浴場には湯気が立ち、たっぷりのお湯が張られていた。
壁際にはカランが二つ設置されており、木製の手桶と桶、椅子がその側へ寄せて置かれている。
他に京介が持ち込んだのだろうシャンプーやボディーソープなどが脇に置かれていた。

それを借りて髪と身体を洗った圭志は透き通るほど綺麗なお湯の中へ足を入れる。
ざぁっと溢れた湯に身を浸からせ圭志は浴槽の縁に背中を預けた。

「熱いけど気持ち良いな…」

鼻腔を擽る檜の香りにそっと目を閉じ、圭志は露天風呂を堪能した。

その頃、キッチンで麦茶を入れた京介はグラスをテーブルの上に置くと二階に上がり、荷物の中から言われるまで忘れていた残りの宿題を引っ張り出していた。

一階に下りて、圭志の広げたテーブルの向かいに座ると同じ英文のプリントを広げてさらさらとシャーペンを走らせ始める。

「余計なことに時間とられたくねぇってのに…。あー、こいつ何だったか」

度忘れした単語の所でトントンと軽く指でテーブルを叩き、京介は眉を寄せる。

「あぁ…そうだ。あれだ」

頭の中をひっくり返し、引き出した単語に一度止まってしまったペンを再び動かし始めた。

静かな部屋に夏の虫の音が届く。

「………」

そして、風呂から上がった圭志は真面目な顔をしてプリントと向き合う京介の横顔を目にして声も掛けず、京介が気付くまで暫し足を止めて端整なその横顔を見つめていた。









時間が過ぎるのは早いもので、宿題を片付けダラダラしていればもう寝る時間だ。

二人きりなので別に夜更かししようが誰に注意されるわけでもなかったが、特に今日は別荘に来るまでの長距離移動で疲れを感じていた圭志は寝室の扉を開けるなり真っ直ぐにベッドへ向かう。
その後を当然とばかりに京介がくっついてきて、後ろ手に寝室の扉を閉めた。

一階の寝室にはロングのダブルベッドが一つ。脇にナイトテーブルと小型の冷蔵庫。ナイトテーブルの上には笠を被せたテーブルランプが淡く灯っていた。

「何でこの部屋だけベッドが一つなんだ?」

ベッドに上がりながら圭志は首を傾げ背後を振り向く。

「そりゃこの部屋がホストの寝室だからだ。上はゲストルームだって言ったろ?もてなす側が同じ階でだらだらしてるわけにもいかねぇだろ」

ゲストが入れば色々と手配したりしなければいけないしな。

「それは分かるが、だからって何で…」

「ベッドが一つしかないのは趣味だ。いい歳して家の親の寝床は一緒だからな」

「あぁ、家と一緒か…。万年新婚夫婦」

ふっとどこか遠い目をしてスペースを開けた圭志の横へ京介は身を滑り込ませる。先に身体を横たえた圭志の腰に腕を回し、自分の懐へと京介は圭志の身体を引き寄せた。

「おいっ」

僅かに抵抗をみせた圭志の耳元へ唇を寄せ、軽く食む。ひくりと肩を揺らした圭志に京介は囁くように言葉を流し込んだ。

「いいだろ少しぐらい。減るもんじゃねぇし」

「…っ耳元で喋んな。今日はやらねぇからな。これ以上疲れさせんな」

「分かってる。今日は、な」

頷き返しながらも京介の悪戯は止まらない。耳朶を食んだ唇は圭志のこめかみを擽り、腰へと回された手が圭志の腰を撫でる。

「お前…な」

ぞくりと肌が粟立つ感覚に圭志は身を捩り、愉しそうに笑う京介を軽く睨み付けた。

「触るぐらい良いだろ」

「その妙な触り方は止めろ」

「その気になって困るからか?」

くっと漏らされた笑み混じりの声が肌を擽り、こめかみを伝い落とされた唇が京介を睨みつける目元へ落とされる。

「…ならねぇよ」

「なら別にいいだろ?」

「ったく…」

本当にやる気はないのか戯れるように落とされ続ける唇に圭志は諦めたように身体から力を抜いた。

「もういい。俺は寝る。邪魔すんなよ」

もぞもぞと京介の腕の中で寝やすい体勢をとる。

「あぁ、おやすみ」

「ん…」

瞼を閉じる直前、近付いた唇に吐息を掠めるように唇を奪われたが圭志は構うことなく、それを受け入れるように瞼を下ろした。

「おやすみ…圭」


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