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船から降り、そこからは少し歩くことになったが目の前に見えてきた建物に確かに圭志の記憶は揺り動かされていた。

「何となく見覚えのある気が…気のせいか?」

自然に囲まれた二階建てのログハウス。建物の影から覗く広い庭園に、屋根のあるテラス。
京介が鍵を開けるのを待ってログハウスの中に入れば、微かに木の香りが鼻腔を擽った。

「見ての通り一階が十六畳のリビングダイニングだ」

それからキッチンにトイレ、洗面所も一階で、寝室が一階に一部屋、二階に二部屋ある。

「家族とかゲストを呼んで使うことを想定して建てた建物だから寝室の数が多いんだ」

「へぇ…」

ログハウスの中を見回す圭志に、冷暖房完備のパネルを操作しながら京介はざっと説明する。

「風呂は外と中に一つずつ露天風呂がある。テラスから出れば分かると思うが、右手に庭園とプールがある。それを少し奥へ行けばテニスコートもあるし、テラスを真っ直ぐ降りて行けば海だ」

その一帯がプライベートビーチになってる。

「寝室は一階と二階どっち使うんだ?」

それによって荷物の置き場をどうするか、圭志が聞けば京介は振り向き答えた。

「一階で良いだろ。前は二階だったけど今は俺達しかいねぇからな。途中で二階に変えてもいいし」

「じゃぁ、荷物は上だな」

「あぁ。上行くなら俺のも持っておいてくれ。他に確認しなきゃならねぇことがあるから」

「分かった」

備え付けられた階段を上がれば幅の広い廊下が伸び、寝室だという二部屋が向かい合うようにしてあった。圭志は適当に右手側の寝室の扉を開け、荷物を置きに入る。

室内はきちんとベッドメイクされたシングルベッドが二台並び、ナイトテーブルと窓辺に違う花が入った花瓶が置かれていた。圭志は手にしていた荷物をベッドの上に置くと窓辺へと足を向ける。窓からはきらきらと輝く青い海と白い砂浜が見えた。

「…綺麗な景色だな」

耳を澄ませば波の音が聞こえてきそうだ。口許を緩め、窓辺から離れた圭志は荷物を置いた寝室を後にした。
階段を下りればテラスからやって来た京介に声をかけられる。

「今日はもう外にはいかねぇだろ」

「あぁ。移動だけで少し疲れた」

階段を下りきって圭志はさっそくキッチンに入り、水で手を洗うと備え付けの冷蔵庫を開けて中身を確認し始めた。


その様子を京介はダイニングにある木製のテーブルセットの椅子を引き、腰を下ろして眺める。

「一応一通りの食材は入ってるだろ?」

「おー、そうみたいだな」

圭志は背中越しにかけられた声に答えながら、ドアポケットに入れられていたミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。

「コップは…っと」

同じデザインのグラスが複数食器棚に並び、圭志はその棚からグラスを二つ手に取る。軽く水で洗い、製氷皿から氷を取り出すと三、四個氷をグラスの中へ入れ、その上へミネラルウォーターを注いだ。

やっていることは寮にいた時とそう変わらない。
そのことに気付き圭志は一人苦笑した。

「京介」

「ん…」

カラリと氷の入った水を受け取り、さっそく口を付けた京介の正面へ圭志もグラスを持って座る。傾けたグラスから冷えた水が喉を滑り落ち、その心地好さにふぅと圭志は息を吐いた。

「船の上は暑かったな。風は気持ち良かったんだけど…って、何だよ?」

喋っている間中ジッと正面から向けられていた視線に気持ちが落ちつかず圭志は眉をよせて返す。

「いや…。ただ、本当にお前と二人きりだと思ってな」

すると京介はそう言いながら緩く表情を崩し、圭志は一瞬言葉を詰まらせ仄かに頬を熱くさせた。

「…そういうことは思っても口にすんな」

「なんだ、意識してたのか?」

「うるせぇ」

こっちは朝から意識しまくりだったんだ、とは口が裂けても絶対に言えねぇ。
にやりと口端を吊り上げて笑った京介が憎たらしくて、圭志はつい睨み付けてしまった。
しかし、まったく効果はなく京介を喜ばせるだけに終わる。

「そう拗ねるな」

「だれも拗ねてねぇ」

「そういうお前も可愛いけどな」

「は…っ?」

視線を反らそうとした圭志は耳に飛び込んできた台詞に思わず京介を見つめる。

「お前…変なものでも食ったか?」

「最近はお前の作ったもんしか食ってねぇ」

至って真面目だと返された返事に圭志は自ら地雷を踏んだ気になり堪らず頬を赤く染めた。

「ちょっと待て。何か違う…」

言いながら手にしていたグラスをテーブルの上に置き、京介から視線を反らした圭志は椅子から腰を浮かせる。

「何が?」

その横顔を京介は余裕の表情で眺めていた。

何がと聞かれても上手く説明が出来ない。
腰を浮かせたまま考え込んだ圭志に京介は柔らかく瞳を細める。

「とりあえず座れよ」

その耳朶が赤みを帯びていることには触れず、京介は冷えたグラスに口を付けて促した。
すとんと元の位置に座った圭志はそっぽを向いたまま珍しくあーだのうーだの唸っている。

「俺は違ってもいいと思うぜ。むしろ、違う方がいい」

一口水を飲んでグラスから唇を離した京介は手に持っていたグラスをカラリと軽く振る。
目元を赤く染めたまま視線を戻した圭志に京介は続けた。

「同じじゃ此処に来た意味ねぇからな」

「…?」

「お前にはもっと俺に惚れてもらわねぇと」

なぁ?と色気たっぷりに投げられた眼差しに圭志は口をつぐむ。
目的が違うと即答すればよかったのだが、既にほんの少し落ちかけた身としてはむやみに反論することも出来なかった。

想像していた答えが返らないどころか沈黙した圭志に京介は首を傾げる。

「圭志?」

「お前ってほんと……嫌になる」

小さく呟かれた語尾は京介に届くことなく圭志の口内に消える。

ほんと、どこまで俺を落とせば気が済むのか。
またそれを嬉しく思う自分の心に圭志は小さく悩ましげな吐息を溢した。

「で…夕飯はどうする?」

そして、あからさまに話を変えた。

「……確かレトルトも用意してあったはずだ。お前が疲れてるなら今夜はそれでいいだろ」

いきなりの話題転換に京介は何か言いたそうにしていたが、結局は圭志の振った話題に乗り、追求する手を下ろした。

「ふぅん。じゃ、ちょっと確認してくる。米ぐらいなら炊いてもいいしな」

それでも、さっさと席を立った圭志の背中をどこか腑に落ちない表情で京介は見つめていた。

「今の会話の中で何かあったか…?」

圭志が言葉に詰まるようなことが。

椅子に背を凭れさせた京介はカウンターの向こう側に見える圭志の姿を目で追いながら、とりとめもなくその理由を考えていた。


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