38


「そうか?俺は今の台詞結構グッときたけど」

「は?」

コップから離した手で圭志のシャツの襟首を引き京介は瞳を細める。

「俺は素直に言ったぜ?だからお前も素直になれ」

「何を…っ…ん!?」

聞き返そうとした途中でちくりと首の後ろに甘い痛みが走り、思わず圭志の口から高い声が漏れる。

「あ…っおい、待て!」

続けて肩口までシャツを引っ張られ、露になった首筋から肌の上を伝い悪戯に唇が赤い痕を付けていく。その際一緒に肌を掠めた京介の髪に指を差し込み圭志は抗議の声を上げた。

「やめろ、シャツが伸びるだろ」

「言うことはそれだけか?」

肌に触れていた唇が離れ、耳元で囁かれた声が圭志の鼓膜を震わす。

「お前…な」

京介の髪に差し入れた手を諦めたようにゆっくり下ろした圭志は腰に回された手の方にその手を重ねた。

「…可愛いって言われたって嬉しくねぇんだよ」

重ねた手を叩き、腕を外すよう催促する。

「夕飯作るから離せ。…それにもともと朝以外ならお前に飯作ってやるって言っただろ」

「言ったな」

軽く叩いた腕は離されるどころか逆に強くなり、背中に京介の体温を感じる。身長はそう変わらないのに包まれるような感覚に圭志は小さく息を吐いて、再び口を開いた。

「よく考えたら家族以外で飯作ったのお前が初めてだったんだよ。なのにお前は美味いって言って食うし、…そう言われたら作るのも悪はくねぇ。……いい加減離せ」

自分の口にした言葉にそろそろ堪えられなくなって圭志は身を捩る。その耳にふっと吐息が掛かった。

「惜しいことしたな。明に食わせるんじゃなかったぜ」

「はっ…何言ってんだよ」

やんわりと腰から解かれた腕に圭志が身体ごと振り向けば意外と真面目な表情にぶつかる。

「京…」

それを目にして何かに突き動かされるよう今度は圭志から手を伸ばしていた。するりと正面から京介の首に腕を回し、首筋に顔を寄せる。

突き放されないのを良いことに、目の前にある肌に唇を寄せて赤い痕を付け返した。

「んっ…」

「圭…っ」

視界の端で京介の肩が微かに跳ねる。それに気を良くした圭志はそっと首筋から顔を離して京介を下から見上げると艶やかに笑った。

「さっきのお返しだ。今度こそ大人しく座って待ってろ」





そして、別の部屋では仲良く色違いのエプロンを身に付けて、宗太と皐月が宗太の部屋にあるキッチンに並んで立っていた。

皐月は右手に握っていた包丁をコトリとまな板の上に置くと、フライパンを用意していた宗太を見上げる。

「先輩、玉ねぎのみじん切り終わりました」

「それじゃ次は飴色になるまで炒めましょう」

「それ僕がやっても良いですか?」

「もちろん」

優しく頷き返され、宗太と立ち位置を変わった皐月はフライパンでみじん切りにした玉ねぎを炒め始める。
その様子を横から宗太が眺め、助言する。

「皐月。火は強火にして」

「はい!」

圭志に触発され宗太に料理を作ってあげたいと思っていた皐月はキッチンに入るなり手伝いではなく、宗太に教えを乞うた。そしてさっそく実行に移し、宗太から色々と教えてもらいながら夕御飯作りをしていた。

メニューはありきたりなハンバーグとサラダ、それに味噌汁とご飯だがフライパンに向かう皐月の横顔は真剣で、その姿は十分に宗太の胸を温かくさせた。

「飴色ってこんな感じで良いですか?」

「うん、いいね。そしたら一度火を止めてこの皿に移して。本当は一晩冷蔵庫に入れておくと甘くなって良いんだけど」

「そうなんですか?」

きょとりと宗太を見上げてきた皐月に宗太は丁寧に説明を付け加え、次の作業へと促す。

「少し玉ねぎを冷やしてる間に先にサラダと味噌汁でもつくりましょうか」

「僕、サラダなら何となく作れると思います。何となくですけど…」

自信があるのかないのか、ちょっぴり不安そうな顔で言った皐月に宗太はくすりと笑ってその頭を撫でた。

「サラダも一緒につくりましょう。まずはレタスから…」

キッチンに甘さを存分に含んだ宗太の声が落ちる。皐月はその声に手元を見たり、宗太を見たりと忙しなく動く。

「こう…ですか?」

「うん、そう。上手いね」

褒められると皐月は分かりやすくぱぁと表情を嬉しそうなものへと変え、その度に宗太は抱き締めたくなる衝動に駆られたが、皐月の一生懸命な様子にぐっと堪えて頭を撫でるだけに留めた。

次第にキッチンから食欲をそそる良い匂いが漂いだす。盛り付けの段階に入って宗太はふわりと優しく皐月を胸の中に抱き寄せた。

「わっ、宗太先輩?」

「皐月…、どうして貴方はこんなに可愛いんでしょう」

無防備に見上げてきた皐月の額に口付けを落とし、間近で視線を絡める。ほんのりと熱を宿し見下ろしてくる眼差しに皐月はかぁっと顔を赤くさせた。

「皐月」

「ぁ…」

するりと頬を撫でられ、顎にかけられた指先が皐月の顔を上向かせる。
まるでそれが合図のように皐月は目元を赤く染めながらそっと瞼を伏せた。





甘い雰囲気が漂う二部屋とはまだ少し遠い、それでも自分の意思で初めて静の部屋へと足を踏み入れた明はどきどきと襲いくる緊張と今まさに戦っていた。

足を踏み入れた部屋は物が乱雑に置かれ、とても生活感がある。そのことが余計、明が静を意識する原因にもなっていた。

先にリビングに入った静はかけていた眼鏡を外すとテーブルの上に置き、明を振り返る。

「なに突っ立ってるんだ?入って来いよ」

「う…うん」

ソファの上に丸めて置いてあったブランケットを畳んで場所を開けている静の後ろ姿を見つめ、明は小さく深呼吸する。なるべく静を意識しないように努めてリビングの中へと入った。

「適当に座れ。メニューはそこに置いてあるから」

そう言って静は畳んだブランケットを寝室の方に片付けに行く。静の姿が見えなくなってソファに座った明はついきょろきょろと室内を見回してしまった。

「こんなになってるんだ」

静らしいといえばらしい部屋。緊張だけではなくどきどきする。
直ぐにでも熱くなりそうな顔を横に振り、そんな自分を誤魔化すようにルームサービスのメニューを手にとった。

「…そういえば冷やし中華美味しかったな」

麺類のページを開き、明はポツリと溢す。
その隣へ音もなく戻ってきた静が腰を下ろし、触れるか触れないかギリギリまで近付いた距離に明は肩を揺らした。

「昼に冷やし中華食べたのか?」

「…っ、そう。黒月が作ってくれて…神城と三人で食べたんだ。美味しかったよ」

喋りながらも明の意識は隣にいる静に向かう。

「俺も料理とか出来た方がいいのかな?」

手にしていたメニューのページを無駄に捲り、明は静の反応を窺った。

「手料理か。確かに食べてみたい気もするが…あぁ、だからって黒月に習うは無しだからな。習うなら宗太にしておけ」

先程、生徒会室で仲が良さそうにしていたはずが明が圭志の名前をだした途端これだ。明には圭志が駄目で、宗太なら良いと言う基準がいまいち分からなかった。

「で、なに食べるか決めたのか?」

「えっと…」

「どれ?」

メニューを開いていた明の手に静の右手が重ねられる。明の持つメニューを横から覗き込んできた静に明は息を詰めた。

「……っ」

重ねた手が小さく震えたのに気付き、メニューから明に目を向けた静はたったそれだけで顔を赤くさせた明を見て口許に弧を描く。

「明」

すぐ側で囁くように明の名前を呼び、静は重ねた手を握って元から鋭い眼差しを和らげた。

「今はまだ何もしねぇよ。安心しろ」

「……っ、うん」

「本当はしたいけど、お前を泣かすと煩い奴等がいるからな」

「なっ―…」

「ま、ゆっくり行くさ」

絡んだ眼差しが離れていき、明は小さく息を吐く。慣れない緊張感とすぐ隣に感じる体温にどきどきと鼓動を早らせながら明は再びメニューに視線を落とした。けれども、どうしても意識は静から離れなかった。


[ 117 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -