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同じようにカレンダーへと目を向けた圭志は八月の登校日か、と口の中で繰り返す。
寮の工事は登校日の五日前に終わる予定で、登校日の三日前には帰省していた生徒達の入寮が始まる。

カレンダーを見つめたまま圭志は顎に右手を添え、日程を思い返していた。

(あのファイルがあれば…)

「…まだ間に合うか」

ポツリと小さく呟かれた言葉を側にいた京介だけが拾う。そのことに考え事をしていた圭志は気付かなかった。

「ま、そういうことでよろしく。皐月ちゃん、宗太には登校日は大変かも知れないって言っておいて」

「分かりました」

きゅっと表情を引き締めた皐月が頷き返し、それを確認した静は張り詰めていた空気を壊すようにおもむろに椅子から立ち上がった。

「あ、そうそう、それから。一応報告しておくと明が夏休み中俺の家に遊びに来てくれることになった」

「えっ、本当ですか!わぁ、良かったですね静先輩!」

静の口から出た吉報に皐月がぱぁっと表情を明るくさせる。珍しく自分から申告した静と喜ぶ皐月を眺めていた京介は尚も考え事をする圭志を見て静かに側を離れた。

「ただいま戻りました」

その直後に宗太と明が生徒会室に戻ってくる。二人が出て行く前と変わらぬ空気に戻っていたことで明が気付くことはなかったが、宗太は何かがあったことに薄々気付いていた。

書類の入ったクリアファイルを手に再び応接室のソファに座った明は向かい側で何やら考え事をしている圭志を見て首を傾げる。

「どうかしたのか黒月?」

「ん…あぁ。どうしたもんかと思ってな」

「何が?」

クリアファイルから書類を出しながら聞いた明に圭志は意識を向け、口許だけで笑った。

「一緒にいるのも悪くねぇけど、対峙するのも結構好きなんだよな」

「は?えっと…、まったく話が分からないんだけど」

いきなりそんなことを言われれば誰だってそうだろう。困惑する明を放置し、会長席に座ってノートパソコンを開いた京介の姿を横目で見て圭志はひっそりと囁いた。

「本当…好きだぜ」







カタカタとパソコンの画面上に打ち込まれた文面は二人の関係を考えるとおかしなものだった。

立ち上げられたメール作成画面の宛名は桐生 渚。茶色い柔らかそうな髪をぴこぴこと跳ねさせ、同色の大きな瞳も持つ小柄な少年だ。2年B組所属で圭志の親衛隊長でもあり風紀委員でもある。先の事件では風紀委員の一人として京介の力にもなっていた。

京介は迷わず打ち込んだ文面を読み返し送信をクリックする。

〈黒月 圭志の身辺を再調査しておけ。特に生徒会に反感を持つもの、反生徒会、E組、それから…〉

送信済みにメールが格納されると送ったメールを消去し、少し別の作業をしてから京介はパソコンを終了させた。

「佐久間」

ふと見れば圭志が静に何やら話しかけている。
苦手だと言っておきながら自ら近付いた圭志を京介は訝しく思ったが、追及しようとまでは思わなかった。

なぜなら、静を見る圭志の眼差しが静と話をしていながら別のところに向けられている様子だったから。

「どうやら本当に前言撤回するつもりはねぇらしいな」

明から伝え聞いた言葉。
圭志は風紀委員長にはならない。断れないなら京介を会長の座から下ろすとまで言った。
それは京介を守る為だったらしいが、圭志は周囲の問題が片付いた今でもそれを続ける気でいるらしかった。その理由は定かではないが。

「意地を張ってるのかと思ってたが少し違ったか…」

そしてそんな圭志に対し、京介も手を抜く事はない。それは例え恋人関係になったとしても変わらない。

「………」

しかし、圭志に何らかの思惑があって静に話し掛けているんだとしても正直面白くはない。

「あの、神城…?何か怖いんだけど…」

静の方を見ていた京介はふと遮られた視界に、机の前に立った明を見上げる。視線が合うと明はおずおずと手に持っていた紙を京介に差し出した。

「書類出来たから」

「あぁ、早かったな」

差し出された書類を受け取り、軽く目を落とした京介は明にそれと…と言われて明に目を戻す。

「…迷惑かけてごめん。ありがとう」

それだけちゃんと言いたかったんだと明は明るい表情を見せて机の前から離れようとした。

「待て、明」

「え?あ、もしかして何か不備でもあった?」

「いや。お前、あの二人を見てどう思う?」

あの二人と言われて静と圭志を眺めた明は首を傾げたのち不思議そうに言う。

「どうって、仲良くなった?」

「仲良く、か。お前は…いや、やっぱり何でもねぇ」

そうだな。お前はそういう奴だったなと勝手に自己完結されてしまい、明は一人さらに首を傾げた。



結局夕方まで皆揃って生徒会室で過ごした後、それぞれ部屋へと帰っていく。

「皐月、今夜は何作りましょうか?」

「あっ、今日は僕も手伝います!」

「夕飯か…。明、どうせお前もルームサービスでとるだろ?面倒だから一緒に食べようぜ」

「え…と…、……うん」

エレベータで一階下へと下りた面々は自然とバラけて相手の部屋へと入って行く。

そして、京介と共に部屋へと帰ってきた圭志は帰りつくなりキッチンへと入った。手を洗い、コップを二つ出すと流れるように冷蔵庫を開けてドアポケットから麦茶ポットを取り出す。

二つのカップにとくとくと麦茶を注ぐと、リビングのエアコンをつけ近付いてきた京介に圭志はカウンター越しに麦茶を注いだコップを片方差し出した。

「ん…」

「さんきゅ」

二つの内片方のコップはカウンターの内側に置き、麦茶ポットを冷蔵庫に戻しながら圭志は京介に聞く。

「夕飯は豆腐とワカメの味噌汁にご飯でいいよな?他に食べたいものがねぇならおかずは野菜炒めにするって言っといたけど…」

「いいぜ。けど毎回そんなに手間のかかるものじゃなくてもいいんだぜ?」

一度冷蔵庫のドアを閉め、京介を振り返った圭志はリビングの椅子の背にかけていたエプロンを取りにキッチンを出る。

「そうは言っても食べるなら美味いものがいいだろ?」

「まぁな。お前が良いなら良いけどよ」

京介は受け取ったコップに口を付け、麦茶を飲みながら側へ寄ってきた圭志を見る。
椅子の背に掛かっていたエプロンを身に付けながら圭志も京介を見返した。

「別に作るのは嫌いじゃねぇし、お前の分なら。…座って待ってろ」

ふいと最後の方は視線を外され、背を向けた圭志に京介はコップをカウンターの上に置きながら片手をその背に伸ばす。

「――っ!?」

黒のエプロンを身に付けた圭志の腰に腕を回し、引き寄せて京介は圭志を背後から抱き締めた。瞬間、強張った身体は京介を振り返ると力が抜けたように弛緩する。

「何すんだよいきなり」

顔だけで振り返った圭志は京介を睨み付けてはいたが、別段怒った様子は無い。それこそが圭志の照れ隠しだと京介は見抜いていた。

昼間の、冷やし中華を頼んだ時の素っ気ない態度といい。
腰に回した腕を少し緩めると京介はふっと圭志の耳元で低く笑う。

「お前可愛いこと言うようになったな」

俺の分なら良いのか?
ん、と促してみれば圭志の態度はいつもと同じでばっさりと切るように言葉を突き返してくる。

「それのどこが可愛いんだ。いちいち耳元で喋るな」

それは本当に些細な違いで、じわりと本人の意図をよそに薄く赤く染まった耳朶が密かに真実を告げていた。隠すということは圭志にも自覚があるということで…京介は殊更笑みを深めた。


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