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エレベータの中に入っても手は繋がれたままで、離す機会を失って明は妙にそわそわとする。
八階のボタンを押し、カードリーダーにカードキーを滑らせた静はそんな明の様子に口許を緩めた。

そわそわと周囲のことに敏感になっていた明は横顔に感じた視線にふと顔を上げる。するとちょうど見下ろしてくる静の視線とぶつかり、不自然なほどぎこちなく視線を反らした。

「明」

「…なに?」

「夏休み中、家に遊びに来いよ」

「え…あ、でも…」

うろうろと明の視線は迷うように足元をさ迷う。

「邪魔だと思ったら始めから誘ったりはしねぇ」

「ぅ…」

先に定番の断り文句も断たれてしまい、明の頬にはじわりと熱が集まる。

「嫌じゃないなら良いな?」

ほどなくして体に感じていた浮遊感はピタリと止まり、エレベータが八階に着いた事を知らせる。
静かに開いたエレベータのドアに静はちらりと視線を投げ、人がいないことを確認するとエレベータを降りずに閉じるボタンを押した。

「あっ…」

「明」

「お、降りるんじゃないのか?」

慌てて開くボタンに伸ばされた明の手を浚い、びくりと肩を震わせた明と目を合わせ静はその掌に唇で触れる。

「来れば俺のこと教えてやる」

「…っ」

「初めて会ったのが何時かどうかも含めて全部。…どうする?」

意地の悪い言い方だと、自分でも思いながら静は明からの返事を待った。

「……静はずるい」

「知ってる」

「そう言われて…俺が行かないって、言うわけないのに」

「それも分かってる」

明の性格や優しさに付け込んで言っているのだ。
どこで捻くれたのかタチの悪い。

「でも、多分、そう言われないと俺も頷けないと思う…」

「明?」

繋いだままだった手にきゅっと力が込められる。
頬を赤く染めながらも真っ直ぐに静を見つめ返して明ははっきりと自分の意思でその言葉を口にした。

「行くよ、俺。静の家に」

そうして、何度目になるか明の返事を聞いた静はふっと瞳を細めると優しく笑った。

「…あぁ、お前ってやっぱり」

「っわぁ!ちょっ、やめっ…静!」

繋いでいた手を引き寄せ静は明の腰を浚うと抱き、恥ずかしさからじたばたと逃げようとする明を強く腕の中に抱き締める。

「…手放せねぇよ」

耳朶を擽った低い吐息に明は真っ赤になって、ただ目の前にあった静のシャツを掴む。

「明」

「……っ」

「生徒会室行くの止めて部屋行くか?」

ひっそりと耳元で囁かれ台詞は冗談でもなくことのほか真剣な声音で、明は慌てて小さく首を横に振った。

「…それは…まだ、無理」

「まだ、か。…仕方ねぇから許してやる」

「うん…」

随分な言い方にも明は気付かず素直に頷き返す。こう何度も不意打ちで抱き締められたり、触れられたりと、慣れない行為に明はもうへとへとだった。

「良し、行くか」

十分に明を抱き締めた静は明の腰に回していた腕を解くと、開くボタンを押し、明の手を引いてようやくエレベータから降りた。

赤い絨毯の敷かれた歩き心地の良い廊下を歩き、二人は生徒会室の扉の前で足を止める。
そして、ノックも無しに扉に手をかけた静に明はハッと我に返って声を上げた。

「静!ちょっと待って、手…!」

しかし、返ってきたのはにやりと企むような面白がるような笑みで、明の制止を振り切り静は扉を開けてしまう。

「――っ」

ただでさえ、静と二人でいるだけでも恥ずかしいのにと明はまた違った恥ずかしさを覚えて、気持ちとは裏腹に繋いでいた手を強く握り締めた。

「やっと来たか、遅かったな静」

「まぁな、色々あって」

「大丈夫だったか明」

「え…?あ、うん」

けれど、明が思っていたような反応ではなく京介も圭志も普段と何も変わらない様子で。

「明先輩、…良かったです」

「アイスティー二つ入れて来ますね」

皐月に至っては自分のことの様に嬉しそうに笑ってくれて、宗太はいつものように給湯室に紅茶を入れに席を立った。

その様子に、力の入っていた手から力が抜け、明は小さな声でポツリと溢す。

「……皆、ありがと」

誰にも聞こえないぐらい小さく呟かれたその言葉をただ一人すぐ側で拾った静は何も言わず、繋いでいた明の手をゆっくりと離した。










応接室のソファに座った圭志と向かい合うように、明は反対側のソファに腰を下ろす。
静と明が一緒に入室してきた時点で二人の関係がどうなったのか聞かずとも皆には分かっていた。

テーブルを間に挟み正面に座った明を見て圭志は緩く表情を崩す。

「頑張ったな明。お前もやれば出来るじゃねぇか」

「…黒月。ありがと」

「まぁ、アイツが相手じゃこれからが大変かもしれねぇけどな」

ちらりと視線を向けた先にいた静は副会長席に積まれた書類を見て眉をしかめていた。

「宗太。俺の勘違いじゃなければこれお前と皐月ちゃんの…って、京介が処理する書類まで入ってるように見えるんだが?」

「何か問題ありますか?あるなら聞かないこともありませんが、いったいどの口が言うんでしょうね?」

「そ、宗太先輩。少しやり過ぎじゃ…」

無言で視線を交わした静と宗太は、静が大人しく椅子を引いて座ったことで決着をみた。
会長席に座ってその様子を眺めていた京介はクッと喉を鳴らして低く笑う。

「迷惑かけといてただで済むわけねぇだろ」

「聞こえてるぞ京介」

ジロリと眼鏡の下から睨み付けてくる鋭い眼差しを京介は涼しい顔でかわし、椅子から立ち上がる。

「聞こえるように言ったんだ。…明、夕方までの書類忘れてねぇだろな?」

「あっ!部屋に置いたままだ!取ってくる」

座ったばかりのソファから立ち上がった明に、静も椅子から立とうとして京介に先を制される。

「宗太。ついて行ってやれ」

「え…、はい」

何故か指名された宗太は戸惑った表情を浮かべながらも頷く。

「見ての通り静は忙しそうだからな。かといってまだ明を一人には出来ねぇ」

「…分かりました」

明と宗太が生徒会室を出て行ってすぐ、椅子に座り直した静が口を開いた。

「なるほどな。で、明を遠ざけて何か話があるんだろ?」

どこかピンと張った空気に、一緒に残された皐月は緊張しながらも話が始まる前に口を挟む。

「あの、それって僕が聞いても大丈夫な話ですか?駄目なら席を外しますけど」

意見を仰がれた京介は皐月へと目を向け、返事を返す。

「構わねぇからそこにいろ。場合によってはお前から宗太に伝えてやれ」

そう言われて皐月は何の話が始まるのかと緊張を高めながらも真剣に耳を傾けた。

そして、京介の切り出した話は明にちょっかいをかけ、今は静を敵視している赤池のことであった。

「安藤自身がシロだってのは確認できたが、赤池の影があったのも事実だ。お前、今後赤池をどう処理するつもりだ」

「何の話かと思えば…人の面倒を見るのは御免じゃなかったのか京介」

椅子に背を預け、腕組みをした静は軽く目を見張り京介を見返す。京介は応接室へと歩きながら真面目な顔で答えた。

「俺に迷惑がかからなければそのつもりでいたんだがな。どのみち、夏休みが終われば赤池だけじゃなくE組は動き出すだろ」

「その根拠は?」

「夏休み明けに生徒総会があるのを忘れたか?」

「あぁ…そういうことか」

ソファに座って話を聞いていた圭志を見下ろし、京介はすっと瞳を細める。

「秋の生徒総会は特に大事なものだ。春の総会とはわけが違う」

九琉学園では年に二回、春と秋に生徒総会が開かれていた。通常の総会では各委員会からの報告、優秀な成績を納めた部活動への表彰、会計報告、質疑応答に加え、今回からは親衛隊の活動報告も加えられる。そして何より…

「今まで空席にしてきた風紀委員長の指名がある。奴等にとって最後の好機だ」

生徒会長と兼任してきた分、これまで目が行き届かなかった場所もこれで漸く目が行き届く。しかし、それも指名が無事済めば、生徒総会が問題なく終わればの話だ。

見下ろしてくる京介を見上げ、視線を絡めた圭志が何やら意味ありげに嘯く。

「…足を掬われないよう気をつけた方がいいぜ」

そして始めから風紀委員長への就任を突っぱねている圭志の思惑はどこにあるのか。向けられた挑戦的な眼差しに京介も口角を吊り上げた。

「そうだな。気を付けるとするか」

シンと…数秒落ちた沈黙を静が破る。

「京介。迷惑かけといて悪いが赤池とは俺個人で対決したい」

「ケリは自分で着けるか?」

「あぁ。元はと言えば俺が蒔いた種みたいなもんだからな。それぐらい自分でするさ。ただ、頭を潰したとなるとE組の連中も黙ってないだろうからそっちをお前に任せることになると思うが…」

椅子に凭れていた背を離し、静は眼鏡のブリッジを押さえながら京介へ言葉を投げた。

「それは別に良いがその決着はいつ着ける気だ?」

「そうだな、日程的には登校日になるか。八月の終わりの」

早くてもその日だと、壁に掛けられていたカレンダーを見て静は言った。


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