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「せ…い。いつから、そこに…」

目を見開いた明の頬がじわりと熱を帯びる。
その一方で静の纏う空気は冷たく冷えていく。

「お前、好きな奴がいたのか?」

鋭い、刺々しいとも感じられる静の態度に明の肩が小さく震える。
その様子に静の眼差しは更に剣呑としたものになった。

「黒月か?」

「っ、何言ってんだよ静まで。知ってるだろ。黒月は…」

「黒月は京介のものだ」

どこか冷めた物言いで明の言葉を遮った静に明は戸惑いながらも返す。

「ものって、黒月は荷物じゃないんだからそんな風にい…」

「――黒月を庇うな」

言うな、と続くはずだった言葉は静かに発せられた怒気混じりの鋭い声に掻き消される。
えっ、と目を丸くした明との間に合った距離を縮め、静は苦々しい表情で吐き捨てる様に言った。

「お前を守ってきたのは俺だ」

初めて静の口から聞く、初めて見るそんな静の姿に明はどきりと鼓動を跳ねさせ目を見開いたまま立ち尽くす。

(静は…今…なんて…)

明を見下ろす眼差しに甘さは無い。ただそこには複雑に絡んだ感情を表すような青みがかった瞳がレンズ越しに…

「…焦げ茶じゃない」

透の話が本当だとすると中等部の時はカラーコンタクトでもしていたのだろうか。
そんなことを考えている場合では無いのに、明は自分が思っているよりも随分落ち着いていた。もしかしたら静よりも。
そこに覚悟の差が、明のぶれない芯の強さが窺えた。

「…静。一つ聞きたいことがあるんだ」

向けられた凛とした明の眼差しに静は無言で先を促す。

「俺が静と初めて会ったのは、…俺が副委員長に指名されてからじゃない?」

その問い掛けに静は明に確信を持たせるような大きな反応は見せなかった。
代わりに、質問を質問で返される。


「何でそう思う?」

「それは…」

「誰かに何か吹き込まれたか?」

いつになく冷たい態度をとる静に明はグッと拳を握って、手を伸ばせば触れられる位置に立つ静を見上げきっぱりと言う。

「何か今の静おかしいよ」

「何処が?」

「何処って…分からないけどいつもの静じゃない」

「ふん…、いつもの、な。じゃぁ聞くが、お前は俺の何を知ってるって言うんだ。なぁ、明」

すと静から伸ばされた手に明はピクリと肩を震わせる。一歩後ろに下がりそうになった足に力を入れてその場に留まり、逃げずに頬に触れてきた静の手を受け入れた。
そのことに逆に静が眉を寄せる。

「…今日は逃げないのか?」

「っ…、だって、もう逃げる必要ないから」

その言葉が強がりだと、震える空気が静に伝えていた。

「確かに、俺は静のこと知らないよ。でも、知ってることもある」

「………」

「静はいつも俺をからかって遊ぶけど、俺が危ない目に合いそうな時や困ってる時はちゃんと助けてくれる。たまに優しいし。それに…俺が気付けなかっただけで静は俺を守ってくれてたんだろ?ごめん、今まで気付けなくて」

さっきの言葉はそういう意味だったんだろ。

本心を覗かせない静が思わず溢した台詞。

胸を過る微かな恐怖を呑み込み、決意を秘めた明は静の口から零れたその言葉を信じてみようと思った。

頷いて欲しいと揺れる眼差しに静は嘲笑するように笑みの形に唇を歪める。

「はっ…なんだそりゃ」

「―っ、せ…い…?」

「相変わらず人が良いなお前は」

そして、嘲笑するように浮かべられた笑みは自分を嘲笑う笑みへと変わる。

「俺はお前が思ってるほど良い人じゃない」

明の頬から離した手で、静は耳に掛けていた眼鏡の弦に触れて薄く笑った。

「それでも…俺が知ってる佐久間 静はそういう奴だ」

直ぐにでも逃げ出しそうになる足を踏ん張りながら明はグッと顔を上げ、凛とした表情で言う。
それを受けて何処か殺伐としていた空気がゆるりと緩んだ。

(あぁそうだな。お前の言った通り明は俺が思ってたより強いよ)

静は指を掛けていた眼鏡をソッと引き抜き、胸ポケットに引っ掛けると直に明と目を合わせた。

絡んだ視線に明は息を呑む。
たった一つ、眼鏡を外しただけで静の印象はガラリと変わった。

顔立ちが整っているのは知っていたが、露になったすっと通った鼻梁に切れ長の鋭い眼差し。青みがかった瞳は何処か神秘的で、真っ直ぐに見つめられた明の頬にじわりと熱が集まる。

「え…あ…」

途端に、それまで冷静に対応していた明があたふたと慌て始める。
とくとくと早まる鼓動についていけずに、明は顔を赤く染めて静から視線を反らした。
その様子に静はクッと低く笑いを溢し、緩めた唇で囁くように名前を呼ぶ。

「明」

「な、なに…?」

「人と話す時は目を見て話すんじゃないのか」

「うっ……」

いつの間にか普段の調子を取り戻した静に明は顎を掴まれ、無理矢理目を合わせられる。
そして、いつになく真剣な声が明に向けられた。

「お前が誰を好きでも関係ねぇ。俺はお前が思うほど良い人じゃねぇからな」

「だから、それは…」

「明」

「ん…?」

ふわりと、顎を掴むのとは逆の手が明の腰を浚う。

「えっ、ちょっ…な!」

「俺と付き合え」

「――!?」

突然落とされた言葉に明は息を詰めて目を見開く。
腰を抱かれ、腕の中で驚愕する明に静は初めて想いを音に乗せた。

「――お前が好きだ」

「っ…」

「嘘でも冗談でもなく、…本気で」

明だけに伝わるように耳元へ寄せられた唇が明の鼓膜を震わせ、心を震わせる。

「ぁ…おれ…」

きゅぅと疼いた胸に、早まる鼓動に息苦しさを感じて明は唇を震わせる。
答えはもう決まっているのに、明の唇はそれ以上言葉を紡げずに動きを止めてしまう。
返らない返事をどうとったのか静は重ねて言った。

「俺が怖いか明?」

耳朶を擽る吐息に明の肩が跳ねる。
その声に、明は懸命に首を横に振ることで応えた。

「なら、………嫌いか?」

耳元で発された声は掠れ、静がどんな顔をして言ったのか明からは見えない。ただその声は明の胸をきゅぅと切なく締め付け、この言葉には言葉で返さなくてはいけないと明は感じた。

顔を赤く染めたまま明はこくりと喉を鳴らし、皆から貰った勇気を力に変えて、震える声を押さえつけて口を開く。

この機会を逃せば次は無い、そんな予感を胸に抱いて。

「き、嫌いじゃ…ない」

「あき…」

「……………好き」

たったの二文字、口にするだけで明の心臓は壊れそうなほど早く脈打っていた。


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