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開いてみれば着信表示には明より一足先に実家に帰った幼馴染みの名前が表示されていた。

「もしもし…透?」

『あ、明?やっほー、お仕事お疲れ〜』

耳に届いた聞き慣れた明るい口調に明は肩から力が抜けたように小さく口許に笑みを浮かべた。

「そっちも家の用事とか大変なんじゃないのか」

『まぁね。家に帰ってそうそうパーティーに連れて行かれたよ』

「そっか。お疲れ。それでどうした?何かあったか?」

リビングソファに座り、明は電話口に向けて疑問投げ掛けた。
すると透は思ってもみなかったことを口に上らせた。

『何かあったのは明でしょ?』

「え?」

『ほら、包み隠さず僕にも言ってみなよ。これでも僕だって心配してるんだから』

「透…」

一体どこから情報を得ているのか考えると背筋に薄ら寒いものを感じるが今気にすべきことはそこじゃない。

『それで、あっ、もしかして佐久間さんにもう告白された?』

「こっ…、こ…」

『にわとり?』

「こ、告白って何の話だよ!俺は別に…!」

カァッと顔を熱くして、つい電話口に向かって明は大声を出していた。

『チッ、せっかく協力してあげたのに。…なぁんだ、佐久間さんも意外と煮え切らないなぁ』

だから透が何か小さく溢した声には気付かなかった。

「そもそもどうしてこ、告白になるんだよ。静は別に俺なんて…」

自分で言っててちくりと痛んだ胸に、次第に言葉尻が小さく曖昧になる。
こんな些細なことで胸が痛くなるなんて初めてで、俺はやっぱり……そうなんだ。

『明』

「………」

『もしかして覚えてないの?』

「………何を」

『明言ってたじゃん。中等部の時、人は見かけによらないんだなって。不良に助けられたって』

いきなりそれが何だと言うのか。
明は続く透の言葉を待った。


そして言われた台詞に目を見開く。

「えっ…、ちょっ…待っ…」

思わずソファから立ち上がり、明は携帯を耳元にあてたまま意味もなくぐるぐるとリビングの中を歩き出す。

「嘘…。だって、違う…」

『もうっ、僕が明に嘘吐いてもしょうがないでしょ?』

だけど、だって、と繰り返す明の頭の中には見苦しくない程度に中等部の制服を着崩した一人の生徒が思い浮かべられていた。

肩につくかつかないか位の、明るめの金髪を後頭部で緩く結い、明を見下ろす鋭い眼差しは焦げ茶色。

〔お前らそこで何してる〕

同時に、言われた言葉も思い出す。

〔あんな野郎にまで律儀に答えるなんてどこまで人が良いんだお前は〕

やはり今とはまったく違う。
髪型は違うし、色だって青みがかった黒で、瞳だって。何より今は眼鏡をかけているし…。

「いや…人ちが…」

『いじゃないからね!中等部の時、明を助けてくれた不良は間違いなく佐久間さんだよ』

中々認めない明に透ははっきりと、きっぱりと一言一句違わず同じ台詞を繰り返した。

「…ちょっと待って」

『待ってもいいけど現実は変わらないからね』

「………」

シンと沈黙が保たれたのは約五秒。
透はいきなり話題を変えてきた。

『側に圭ちゃん居る?』

「…いない、けど。黒月に何の用だ?」

『ん〜、夏休みの間遊べないかなって。聞くの忘れちゃって』

「多分無理だと思うぞ。夏休みの間はずっと神城と一緒みたいだし。ちょっかいかけない方が…」

『そっか。会長とねぇ。圭ちゃんが楽しそうならいいや。僕も夏休み中に僕だけを見てくれる恋人欲しいな〜。あ、そうだ明。佐久間さんとの仲が進展したらちゃんと僕に報告してね。それじゃ、頑張ってね明』

「あ…」

プツリと、突然掛かってきた電話はこれまた突然切れた。言いたいことだけ言って口も挟ませてくれなかった透にリビング内を彷徨いていた明は足を止めた。


陽射しが眩しい窓の外を見つめ、明は携帯電話を片手に持ったまま黙り込む。

「……あの不良が静?」

今とまったく結び付かないその姿に明は首を傾げるばかりだ。

「そういえば俺、静が眼鏡外したとこ見たことないっけ?」

そんなことを考えている内に明はちくちくと痛んでいた先程までの胸の痛みをすっかり忘れていた。

ヴーヴーと手の中で再び鳴り出した携帯に、明は思い込みでディスプレイを確認せずそのまま電話に出る。

「もしもし透?まだ何か…」

『新見…?』

「え…」

聞こえてきた声は透より低い声だった。
しまったという顔をして一旦耳から携帯電話を離した明はディスプレイ表示で相手を確認する。
しかし、アドレス帳には登録されていない番号なのかディスプレイには十一桁の数字が羅列されているだけだった。

「えっと…どちら様ですか?」

『あぁ、ごめん。安藤だけど…友達から新見のケー番聞いて掛けさせて貰ったんだ。驚かせたかな?ごめん』

「いや、えっと…」

圭志達から色々言われていた明は安藤にどう対応したらいいのか分からず曖昧に言葉を濁す。

『新見が夏休みの間忙しいっていうのは分かってるんだ』

「あ、うん」

『今日は学園にいるんだろう?』

「まぁ…」

『俺も部活で学園に居るんだ。…少しでも良い、会えないか?』

「………」

安藤の声は何だか真剣で、明は少し考え込む。
…考えて、明は口を開いた。

「寮のロビーで良ければ…」

『良かった。新見は今からでも平気か?』

「うん」

頷き返せば途端に明るくなった声が返ってくる。

『じゃぁロビーで』

そうして途切れた通話に明はほっと小さく息を吐いた。
誰かを疑い警戒するなんてことに慣れていない明は神経を使い、少しばかり疲れてしまう。

開いたままの携帯電話を操作し、明は言われていた通り電話を掛け始めた。










京介の部屋へと帰ってきた圭志はキッチンに立って洗い物を始めながら、リビングのソファに落ち着いた京介と会話を続ける。

「…そんな奴も居たな」

興味もないと言った風情で返された台詞に圭志は苦笑を浮かべた。

「で、結局赤池ってどんな奴なんだ?」

忘れていたぐらいなので、直ぐには思い出せないのか京介はそうだな…と宙を睨むとややあってから言う。

「E組を纏めるだけあって妙なカリスマはある。だが、俺から見たら力業一辺倒で頭はそこそこって感じだな」

「まぁ…だからE組なんだろ?」

「噂じゃどっかの族の頭を張ってるとか色々あるが、所詮噂だ」

へぇと圭志は相槌を打ちながらスポンジを置いて、食器についた泡をお湯で洗い流す。

「お前の相手じゃねぇってことか」

「そうだな」

あっさりと頷き返し、肩を竦めた京介の言葉に被さるようにしてテーブルの上に置いてあった携帯電話が鳴り始めた。

「圭志、お前の携帯鳴ってるぞ」

「誰から?」

パチリとフラップを開いて確認した京介は表示されていた名前にすと瞳を鋭くさせ、キッチンに立つ圭志に答える。

「明だ」

「明?何かあったのか?悪いんだけど京介出てくれ」

洗い流した食器を乾燥機に入れながら圭志は京介にそう頼んだ。
そうして請け負った京介が電話に出れば明は掛け間違えたと思ったのか一度電話を切ろうとした。

「待て、明。間違いじゃない」

『えっ、もしかして神城…?』

「圭志の手が空いてなかったから俺が出ただけだ。それでどうした。何かあったから掛けてきたんだろ」

『あ、うん。実は…』

圭志の代わりに話を聞き始めた京介は安藤という名が出てきたことに真剣な表情を浮かべる。
食器を乾燥機にかけ、ざっと手を洗い、掛けてあったタオルで手を拭いた所で圭志もキッチンから出て京介の隣に座った。

「それで…?あぁ…、お前にしちゃ良い選択だ。ロビーだな。分かった。一人で動くなよ」

念押しするように言って通話を終えた京介から携帯を受け取り、話の断片を聞いていた圭志は京介を見て言う。

「安藤か?」

「今から下のロビーで会う約束をしたんだと。誰から番号を聞いたんだか直接明に電話してきたらしい」

ゆっくりとソファから立ち上がった京介の顔に、場違いにも微かに笑みが浮かんでいるのを目敏く見つけ、圭志は訝しむ。

「…お前、何か変なこと考えてねぇか?」

「どこが。俺はただ手間が省けて楽だと思っただけだ」

行くぞ、と今度は何やら自分の携帯を取り出して操作し始めた京介の背を見つめ圭志も歩き出す。
場違いにも浮かべられた京介の笑みに、不覚にも目を奪われた事実を隠して圭志はそっとリビングのドアを閉めた。



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