30


生徒会室に戻ってきた圭志は室内に京介しか居ないことに気付き、声をかける。

「渡良瀬と皐月は?」

「先に昼に行かせた」

ちらりと室内にある時計に視線を走らせれば11時過ぎたところで。
圭志は明を押し込んだ仮眠室へ足を向ける。

「圭志」

「ん?」

漸く書面から顔を上げた京介はペンを置き、圭志の背中を眺めて瞳を細めた。

「遅かったな。安藤に会ったのか?」

「遠目で確認しただけだ。…その後少し藍人と立ち話して」

「藍人?…あぁ、鏡か。なんでいるんだ。教師にも退寮通知が出てるはずだろ」

訝しげに呟いた京介に圭志は仮眠室の扉を開きながらさらりと返した。

「なんか竜哉さんに呼び出されたらしいぜ」

「アイツに…?」

カーテンの閉めきられた薄暗い仮眠室の中に入った圭志はベッドの上でタオルケットにくるまって眠る明を見つけた。

圭志が側に寄っても起きる気配はまったくなくて、明はすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てている。

「顔色は良くなったな」

それだけ確認すると圭志は明を起こさずに仮眠室を出た。

朝から珍しく真面目に書類を処理していたおかげか生徒会の仕事は一通り終わり、机上に散らばっていた書類を纏めていた京介は仮眠室から一人出てきた圭志に気付いて視線を投げた。

「起こさなかったのか」

「ん、まだ良いだろ。お前昼はどうするんだ?渡良瀬達みたいに食堂行くか?それとも購買で何か…」

「さっぱりしたものが良いな。お前、冷やし中華って作れるか?」

トントンと纏めた書類を引き出しに仕舞いながら京介は世間話でもするかのように軽く圭志に話を振る。

「作れなくはねぇが…少し時間かかるぞ。それでもいいなら作ってやってもいいけど」

「なら決まりだな。三人分。明の面倒は俺が見とくからお前は一度部屋に帰って昼飯作って持って来てくれ」

「構わねぇけど、味の保証はしねぇからな」

椅子から立ち上がり休憩するのか応接室のソファに向かいかけた京介の足が圭志の台詞を耳にして止まる。そして京介は圭志を振り向き、ふっと笑った。

「大丈夫だろ。昨夜の飯も美味かったしな」

「…そうか。じゃぁ作ってくる」

まさかそんな些細な言葉でこうも気持ちが動くとは。圭志は緩みそうになる口で素っ気なく返して京介に背を向ける。

バタンと閉ざされた生徒会室の扉に、京介は苦笑を隠せなかった。

「思ってることばればれだぜ圭志」










一旦京介の部屋へと戻ってきた圭志は椅子の背に掛けていたシンプルな黒のエプロンを身につけるとキッチンに入り、水で手を洗う。

鍋や包丁、ボウルに計量カップと使用する道具を幾つか用意すると、それから冷蔵庫を開けて冷やし中華に使えそうな具を取り出した。

「と、その前にタレ作って冷やしとかねぇと駄目か」

まずは昆布だしから作らなくては。
圭志は計量カップ二杯分の水を鍋に入れるとその中に昆布を入れ、コンロの火をつけた。中の昆布を沸騰寸前になった所で取り出し火を止めれば、昆布だしの出来上がりだ。

次にその昆布だしに酢とみりん、醤油に砂糖とごま油…と合わせて鍋を沸かす。ちょうど良い具合になってきたら火を止めて、冷めるまで待つ。

その間に圭志は冷蔵庫から取り出したエビや胡瓜、トマトを調理していく。

「あ、そういや卵もいるよな」

トントントンと軽快に包丁で胡瓜を細切りにしていた手を止め、圭志は思い出したように呟く。
途中になっていたタレ作りの鍋にしょうが汁とレモン汁を加えて混ぜ、別の器に移してから冷蔵庫に入れた。

代わりに卵を取り出し、ボウルの中で割って菜箸でかき混ぜる。そこへ水溶きかたくり粉を少し加え、フライパンで薄焼き卵を作った。

「この調子でいくと多分夕飯も俺が作るんだろうな」

胡瓜と同じ様に薄焼き卵も細切りにし、冷蔵庫から中華麺を取り出した圭志は冷蔵庫の中身を見て、当たり前の様に夕飯のメニューまで考え始めていた。

「昼は麺だから、夕飯はやっぱり米が良いよな…」

夕べは唐揚げだったから今夜は野菜でも使って…。









当たり前の様に圭志が昼食作りをしている頃、京介は生徒会室の応接室のソファで休憩をとっていた。

宗太が作って置いたのだろう麦茶を冷蔵庫から取り出し、氷を入れたグラスに注いで応接室のテーブルの上に置く。

「あと九日か」

学園の寮を出るまで。

京介は冷えたグラスに口を付け、麦茶で喉を潤すとポツリと溢した。
そうして暫し何やら思案気に宙を見つめる。

「…荷物を運び入れたら後は人払いさせておくか」

カラリと溶けた氷が静かな室内に音を響かせ、やがて仮眠室の扉が開く。
ぐっすり寝た事で少しはすっきりしたのか顔色を元に戻した明が扉の向こうから姿を現した。

きょろきょろと室内を見回し、応接室に京介を見つけると明は応接室に足を向ける。

「神城…。迷惑かけたみたいで、ごめん」

「気にしてねぇよ。それより起きたならその辺座って待ってろ」

その辺と言われて明は京介の向かい側のソファに戸惑いながら腰を下ろす。

「他の皆は?」

「宗太達なら昼食べに出てる。圭志は今昼飯作りに一旦部屋に戻ってる」

作りにという所で明はちょっと引っ掛かったが、それよりも明は京介と二人、こうして面と向かい合って座り、話すのは久し振りだった。

圭志が編入してくるまで、明にとって京介はどこか近寄りがたい存在であり、そして今思えばそれを見越してか、いつも間には静が立っていてくれた様な気がする。

そんなことを思ってぼんやりと京介を見ていたせいか、京介が訝しげな視線を寄越す。

「何だ?まだ調子が悪いなら寝てろよ」

「えっ、あ…ううん、何でもない。もう大丈夫」

それに慌てて明は首を横に振り、曖昧に笑って誤魔化す。
しかし、それで誤魔化されてくれる程京介は甘くはなかった。

「嘘だな。何か言いたいことがあるなら言ってみろ」

真正面から向けられた鋭いともいえる眼差し、それを明はいつの間にか自然と受け止められるようになっていた。

「じゃぁ…一つだけ。静は訊いても答えてくれなかったけど、神城なら知ってるんだろう?静は何で俺を風紀なんかに指名したんだ?ずっと不思議だったんだ」


目を反らさず目の前にある現実を受け入れようとする明の姿勢に京介は微かに口許を緩める。

「今更それを知ってどうする?」

「分からない、けど。知らないよりは知ってたい。静が何で俺を選んだか」

迷いの無い目。
元より京介は明が嫌いではない。だから、京介は明の問いに持っていた答えを開示してやる。

「お前も一度ぐらい不思議に思ったことがあるはずだ。風紀になってからむやみやたら声を掛けてくる奴が居なくなっただろう?」

「それは…」

「面白半分に声を掛けてくる奴の大半は権力者に弱い。風紀の決定権を持つ人間なら尚更、下手にちょっかいかけて自分の首を絞めたくはねぇからな」

残っていた麦茶に口を付け、京介は話を纏めた。

「静がお前を副委員長に推したのはそういう理由だ。何も面白がってのことじゃねぇ。…理解したか?」

向けられた視線の先で明は困惑を隠しきれない様子で京介を見返す。

「それってまさか…俺の為、だった…のか?」

恋愛事には疎い明でも流石に京介が何を言っているのか明にも分かった。
生徒会室の扉が軽く二度ノックされ、昼食を終えた宗太と皐月が戻ってきたのを京介は視界の端で捉えながら明に頷き返す。

「いい加減お前も知るべきだ。…明。お前は知らず静に守られてきたんだ」

「………」

「今後どうするかは自分で決めろ」

空になったグラスを手に京介はソファから立ち上がり、心配そうな顔でこちらを見てきた宗太に余計な手は出すなと視線で告げる。

「…それなら何で静は俺に教えてくれなかったんだ」

応接室を離れようとした京介の背にその声は届いたが、あえて京介はその問いには答えなかった。

「ところで、まだ黒月君は戻って来てないんですか?」

「圭志なら…」

コンコンと軽い音では無く、ガンガンと何かがぶつかる音が室内に響く。

「来たみたいだな。皐月、扉を開けてやれ」

「はいっ」

京介に言われて皐月が生徒会室の扉を開ければ、トレイで両手を塞がれた圭志が廊下に立っていた。


[ 109 ]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -