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「明。ここで無理して笑う必要はねぇからな」

明を連れて生徒会室に入る前、圭志は明に一言そうかけていた。

「うん…ありがと」

ぐるぐるとまだ混乱しているのであろう、あまり顔色が良いとは言えない明は小さく頷く。もしかしたら眠れなかったのかも知れない。

そんな明に気を配りつつ圭志が静かに生徒会室の扉を開けば、先に部屋を出た京介と、宗太と皐月がさっそく生徒会業務に取りかかっていた。

「あ、おはようござます。先輩」

「おはようございます。申し訳ありませんが黒月くんと明はそちらの応接室のソファを使って下さい」

「おぅ」

片手を上げ、応えた圭志は明を連れて応接室のソファに座る。応接室の机の上には宗太あたりが気を利かせて纏めておいたのだろう風紀の書類が置かれていた。

「先輩、飲み物は紅茶と麦茶とどちらがいいですか?」

自席を立って圭志達の側へ寄ってきた皐月が聞く。

「あー、俺は紅茶で。明、お前はどうする?」

「…麦茶」

「分かりました。少し待ってて下さい」

給湯室へと入っていった皐月の背を見送り、圭志は何とは無しに会長席に座る京介へと視線を流した。

「ん?なんだ?」

その視線にすぐに気付いた京介が書面から顔を上げる。

「いや、別に…」

「暇なら明の手伝いでもしてやれ。そこに纏めてある分が風紀の書類だ」

やはり、と圭志が書類に視線を戻せば、間に机を挟んで向かいのソファに座った明がのそのそと書類を広げ始めていた。

「明。俺も少しなら手伝うぞ」

「うん…」

すっかり明るさをなくしてしまった明に、圭志はそれ以上話しかけることはせず、皐月が淹れて持ってきてくれた紅茶に口を付けて、黙々と手伝いを始めた。






静かな室内に紙の擦れる音とペンの走る音がする。

昨日から圭志を始め、宗太や皐月、京介に気を使われていることに気付いて明は少し申し訳ない気持ちになっていた。

本来なら自分一人で裁かなければならない風紀の仕事を、何故か生徒会室で圭志に手伝ってもらいながら。明は自分の情けなさに顔を曇らせる。

そしてそれを見咎めて圭志が口を開く。

「疲れたなら休めよ」

「…大丈夫」

ここまで自分が弱いと明は思っていなかった。決して自分が強いと思っていたわけでもないが。

明はベッドの中で一晩ぐるぐると考えていた気持ちを、昨日親身になって話を聞いてくれた圭志に思いきって相談してみることにした。

いつまでもこの状態が良いものではないと、根が真面目な明は思っていたし、分かってもいた。

「なぁ、黒月」

「どうした?」

明から話しかけられて圭志は紙を捲っていた手を止める。紙面に向けていた顔を上げ、明と視線を合わせた。

「あのさ…」

「ん?」

「酷いことされたのに、どうしても嫌いになれないってやっぱ…そういうこと、なのかな…?」

不安そうな顔で圭志を見返してくる明に、圭志はそうだなぁと腕組みをする。

「お前は佐久間にされたことで一番何が嫌だった?」

「え?」

「何が許せないと思った?」

「それ…は…」

当然、その相談事は静かな生徒会室内にいる三人にも聞こえていた。


考え込むように再び沈黙してしまった明を圭志は急かすこともなくゆっくりと待つ。

「おれ、は…」

瞼を伏せて、明は時間をかけてぽつりぽつりと溢し始めた。

「俺、は…いつも本気か冗談か良く分からない態度でからかってくる静が一番許せない」

「どうして?」

「静はいつも面白半分で俺のことからかって、その反応を見て楽しんでるんだろうけど、俺は…その度に嫌な思いをするんだ」

だから、と明は言葉を続ける。

「静の言うことはあまり信じないようにしてる。だって、何もかもを真に受けてたら馬鹿みたいだろ?」

自嘲するように笑った明に圭志は眉をしかめ、同じように仕事をしていた手を止めて話を聞いていた京介も、だから言ったんだと、ここにはいない相手に向かって心の中で悪態を吐いた。

初めて聞く、静に対する明の気持ち。それはこれまで明が静を頑なに避けてきた理由としては十分なものだった。

「お前は佐久間を信じたいのか?」

「…よく、分からない。でも、何となく、これじゃいけないと思うんだ」

思えば、明は何事に対しても真面目で、くよくよしたりもしない。前向きで、苦手なことはあっても嫌だからと言って逃げ出したりはしない。

今度もまた、逃げずに明は立ち向かおうとしている。

自分の気持ちと、静に。

「ほんと、佐久間にやるには惜しいぜ」

「黒月?」

「何でもない。…けど、そんな急いで結論を出す必要はないと思うぜ。お前のペースで良いんだ。その後で心が決まったなら待ってやればいい」

とりあえず明にはまだ三日猶予がある。

待つ?と不思議そうな顔をして首を傾げた明に圭志はソファから立ち上がると、明の側に回り込んでその腕を掴んだ。

そして、京介へ声をかける。


「そこの仮眠室借りるぞ」

「あぁ」

ちらと京介と視線と交わした圭志は明を立たせると、掴んでいた腕を離して明の背を押す。

「話が纏ったとこでお前は少し寝ろ明。昨日眠れなかったんだろ?顔色が悪い」

「え…そう、かな?」

「気付いてなかったのか。なら尚更だ。早く寝ろ」

ぐいぐいと有無を言わさず圭志は明の背を押し、生徒会室の奥に設置されている仮眠室に明を押し込んだ。

「ちょっ、黒月!」

「昼になったら声かけるからそれまで寝てろ。仕事は…処理しといてやる」

バタンと仮眠室の扉を閉め、一方的に押し切った圭志に室内から三人の視線が突き刺さる。

「お前…」

「先輩…」

「明の顔色の悪さには気付いてましたが、黒月くんそれはちょっと無理矢理じゃ…」

「こうでもしねぇと明の場合寝ねぇだろ。仕事が、とか言って。倒れたらどうすんだ」

三人の言葉に圭志は肩を竦め応接室に戻ると、机の上に広げていた風紀の書類を集めて纏め、机の片隅に重ねて置いた。

「京介。明が寝てる内に俺ちょっと出てくるから」

「構わねぇが、どこ行く気だ?」

「少し敵情視察に。噂のサッカー部エースの姿でも確認してこようかと思ってな」

応接室から京介の座る会長席の前まで歩みを進めた圭志は机に肩肘を付き、椅子に座ったまま見上げて来た京介に嫌に真剣な声をかけられる。

「安藤か…。あまり近付くなよ」

「何かあるのか?」

「俺が気にいらねぇ」

「は?」

「今回は明の為だって分かってるが、本来安藤なんざお前がわざわざ足を運んで見る奴じゃねぇ」

「…分かってる。明の件がなけりゃ俺も安藤なんかに用はねぇよ」

安心しろと、圭志は言い置いて京介に背を向けた。

「渡良瀬、俺の居ねぇあいだ明を頼むな。皐月も」

「分かりました」

「はいっ」

力強い返事に後を任せて圭志はサッカー部が練習試合をしているグラウンドへ向かった。


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