09


話を振った俺に永原さんはにこやかな笑みを崩さず、俺の話に乗ってくれた。

「そうそう、廉さんとはあまり二人で話す機会もなかったなと思いまして」

噂話や貴宏から廉さんの話を聞くことは多いんですけどと、永原さんは何だか含む様な言い方をして俺を見る。

「それは良い話なのか?それとも…」

前に聞いたみたいに姫がどうとか、俺は知らなくても良い話しか。
噂話とは無縁な俺は少しばかり警戒して聞き返す。すると永原さんはそんな俺の様子をどう思ったのか、優しげに眼差しを緩めると苦笑を浮かべて言った。

「大丈夫ですよ。噂は良い噂ですし、貴宏の話もほぼ廉さんに関する惚気話とかで悪口とかではないので」

「あ、そう…ですか」

それはいいのか、悪いのか。っていうか、工藤は永原さんを相手に何を言っているんだ!?胸の中から込み上げてきた恥ずかしさに今すぐ工藤の所に行って、その頭を叩きたい衝動に駆られる。じわりと赤みを帯びた耳朶に、小さく握られた拳を目にして永原さんは自然と話の向きを変えてくれる。

「そう言えば、廉さんはたしか隼人さん達とは違う学校に行ってるんですよね?」

うちでは修平達が隼人さん達と同じ学校ですけど。
体育祭では大変だったでしょう。

二ツ目駅というこの辺りでは比較的大きい駅へと足を踏み入れ、改札はそれぞれ交通系ICカードが入ったカードやスマホを改札ゲートに翳して通り抜ける。俺ももちろん、通学時に使用している水色のパスケースを手に改札を通過する。
駅の中を歩きながら俺は永原さんと話を続けた。

「そう。俺だけ白桜高校なんだ」

「隼人さん達が通う青楠高校に行こうとは思わなかったんですか?」

これは素朴な疑問だ。廉さんと隼人さんの付き合いは小学生の頃からだと聞いているが、同じ高校を選ばなかったのは何故なのかと永原さんは世間話をするついでの様に不思議そうな顔をして聞いてきた。それに俺はちょっぴり口籠る。

「あー、それは…。笑わないって約束してもらえるなら」

答えながら、俺は電車の時刻を表示している電光掲示板に目を向ける。

「もちろん、笑いませんよ」

後から追いついて駅のホームで一緒に足を止めた仲間達は俺が白桜高校を選んだ理由を知っている。そのせいか何だか生暖かい目で俺を見て来る。気のせいではなくて。

永原さんから言質を取った俺は白桜高校を選んだ一番の理由を告げた。

「制服が学ランだったから」

そう単純に着てみたかった制服で選んだのだ。隼人達の通う青楠や聖の通う朱明。永原さん達が通っている緑高校の制服は色やデザインは違えどみんな基本的にネクタイにブレザーだ。その中で唯一、白桜高校の制服は学ランだったのだ。とは言え、緑高校だけは俺の偏差値的には無理だったと思うが。

そんな人に寄っては馬鹿馬鹿しいと言われるかもしれない選び方に、俺はちらりと理由を聞いた永原さんの反応を窺う。
視線のぶつかった先で永原さんは柔らかく口元を緩めて頷き返した。

「いいですよね。俺も一度は学ランを着てみたいと思った事があります」

「っだよな!ブレザーは中学の時そうだったから、学ランに少し憧れがあってさ」

同意されたのが嬉しくてつい声が弾む。

「自分に似合うかどうかはおいといて、学ランは学生の時にしか着れませんしね」

「だよな」

うんうんと頷いた俺に、永原さんはふと悪戯めいた表情を浮かべると俺達からまだ離れた位置にいて、話をしている工藤と隼人の方にすっと一瞬視線を流す。

「永原さん?」

「廉さんに一つ、良い事を教えてあげます」

「ん?なに?」

「中学の時、貴宏も一時だけ学ランを着ていたことがあるんですよ」

「え?」

「あれはたぶん、転校してくる前の学校の制服でしょう」

学ランを着た工藤。そんなの、見てみたいに決まってる。緑高校の制服を着ている姿でさえ、どきりとさせられる格好良さがあったのだ。

「写真とかないの?」

「残念ながら。俺は持ってません」

思わず勢い込んで聞いた俺にも永原さんは嫌な顔一つ見せずににこやかな笑顔を浮かべたまま、続けて言う。

「貴宏の家にならあるかもしれませんが」

「…そっか」

家か。それに転校前ってことは、工藤は元からこの街にいたわけじゃないんだな。何だか不思議な感じがする。

「ちょっと、アンタ!廉さんを勝手にそっちに引き込まないでくれる?」

「うん?どうした、矢野?」

俺と永原さんの話に割って入る様に慌てた様子で矢野が声を上げた。
きょとりと矢野を見る俺に矢野はまったく危機感がないんだからと何事か呟いて、永原さんをじとりとした目で見る。

「そうやって廉さんを狼の巣に誘導するの止めてくんない?危ないだろ」

「狼の巣…。言い得て妙ですね」

咎める様な矢野の視線を受けても永原さんは柔和な笑みを崩さぬままくすくすと笑う。

「こっちは笑い話じゃないんだけど」

これだからDollのツートップは油断ならないんだからと、矢野はよく分からない文句を零して言う。
何の話かやや遅れて自分なりに理解した俺は心配性すぎる矢野を安心させる為に、はっきりとその事実を言葉に乗せた。

「危ないもなにも、俺、工藤の家になら行った事あるぞ」

「え?」

ざわっと三人の話に聞き耳を立てていた仲間達が密かにざわつく。
俺の発言に驚く矢野とは対照的に永原さんは落ち着いた様子で頷いている。工藤から聞かされて知っていたのだろう。でも、矢野はそこまで驚く事か?
俺は矢野を見て話しを続ける。

「一緒にテスト勉強したりしたけど、別に危ない事は何もなかったぞ」

「そっ、それは、今までの話であって、これからは…」

「ないとは限らないっス」

いつの間にか陸谷が矢野の後ろに立って、矢野の言葉を援護するかのように言葉を継いで言った。

「おい、お前ら。なに騒いでんだ?」

そして、そこへ工藤との話も終わったのか隼人が近付いて来て、ごちゃごちゃと騒ぎ始めていた仲間達を抑えるように声を投げる。

「悟。お前まで何かしたのか」

騒ぎの中心にいたせいか、永原さんにも工藤の視線が向けられる。だが、永原さんは面白そうに口元を緩めただけで、その責任の所在を工藤に投げ返していた。

「俺じゃなく、貴宏のせいでしょう」

「はぁ?」

その辺は少し工藤が可哀想に見えたけど、俺は二人の会話に余計な口は挟まず黙っていた。その間にも隼人が仲間達を説得していた様だったけど、あちこちからよく分からない嘆きの声が上がっていた。

「あー…それはもう、お前ら黙って好きにさせてやれ」

「そんなっ、隼人さんまで諦めちゃうんですか!?」

「俺達の総長が…!!」

「うぅっ…」

「総長がいれば彼女なんかいなくても頑張れたのに!」

「現実を見ろ。んで、ビーチに工藤を沈めようぜ」

「あぁっ!!」

とりあえず、電車の中では静かにしろと、最後に一喝されて仲間達は到着した電車にすごすごと乗り始める。

「隼人さん。いつの間に方針転換したんだよ」

矢野達に続き、電車に乗り込んだ隼人は一足先に車内に足を踏み入れた俺とその後に続いた工藤をちらりと見て肩を竦めて返した。

「本人が初めてしてきた恋愛相談だ」

これはもう見守ってやるしかないだろう。

反対側のホームに滑り込んで来た電車の音に掻き消されるような声量で告げられた台詞に矢野と陸谷は目を見開く。

「廉さん、自覚したのか?」

「いつの間に…」

仲間達も何だかんだと騒いではいるが、廉の気持ちの変化には薄々とみんなが気付いていた。それでもわいわいと騒ぐのがLarkの仲の良さの表れでもあった。

「ま、そういうことだ。覚えといてくれ」

とんっと、軽く握った拳で矢野の胸を叩き、隼人も工藤達の元へ向かう。

「慎二」

「大丈夫だ。驚いたけど、想定内だ」

ドアが閉まりますとアナウンスが流れた後、ゆっくりと扉が閉まり、電車は走り出した。






「俺の家はあの辺ですかね」

「へぇ、そうなんだ」

永原さんと工藤の間に立って俺は手すりに掴まりつつ、流れていく車窓の景色を眺める。座席はいくつか空いていたけど、他の乗客の為に座らなかった。俺達だけで席を占領するもの気が引けるし、仲間達によっては大きな荷物もある。

「そういや、廉。隣町に展望台が出来たの知ってるか?」

「え?そうなの?いつ?」

隣に立った工藤に相変わらず心臓はどきどきと早めのリズムを刻むが、何とか普通に会話は出来ていた。

「少し前の話だろ?たしか先週だったか」

俺の質問に合流してきた隼人が答え、永原さんがその言葉を補足する。

「土曜日にオープンしたらしいですね。展望台の他にもレストランや色々な店が入ってるとか」

「えー、何でみんな知ってるの?」

それとも俺が知らなさすぎるだけか。
少しばかり不服そうに零せば隼人がフォローするように言ってくる。

「俺だって正確なことまで覚えてない。それにお前は自分のことで手いっぱいだろ?仕方ない」

「そうですよ。貴宏はどうせ誰かさんを連れて行きたくて拾ってきた情報でしょう?」

ふっと笑う様に流された視線にも怯むことなく、工藤は潔くその言葉を認めて頷く。

「まぁな。…廉。興味があるなら一度行って見ねぇか?」

「えっ…と、それは皆で?」

「何でだよ。俺と二人でだ」

そのコントの様なやり取りに隼人と永原さんが苦笑を浮かべる。

「廉。そりゃさすがに工藤サンが可哀想だろ」

「いえ、もしかすると貴宏と二人で行くのが嫌だという意思表示かも知れませんよ?」

「お前らなぁ」

完全に面白がっている二人を工藤はじろりと睨み付ける。
俺はそれどころではなかったけど、永原さんの言葉を聞いて慌てて言い直した。

「そうじゃなくて!嫌じゃないし、行く!」

工藤と隣町の展望台。

「だ、そうですよ。良かったですね、貴宏」

「お前な。何か俺に恨みでもあるのか?」

「そう言う貴宏には何か心当たりでも?」

俺を間に挟んだまま軽口を叩き合う工藤と永原さんの様子にほっと息を吐く。今の俺の返事は可笑しくなかったよなと、助けを求めるように永原さん越しに隼人を見れば、小さく手招きされる。
ちょうど次の駅へと差しかかり、減速した電車に合わせて俺は二人の間から抜け出し、隼人の隣へと移動した。すると何故か頭をぽんぽんと軽く叩かれて、俺は吊革に手を伸ばして隼人を見返す。視線の先で隼人が緩く笑う。

「大丈夫だ。良かったな、廉」

「うん」

小さく落とされた声に俺も小さく頷き返し、隼人の隣に来て、落ち着いてきた思考回路が冷静に回り出す。自然と口元が緩んだのは仕方がないだろう。

「やっぱり強敵は相沢か」

「さて、それはどうでしょうね」

俺と隼人の些細なやり取りを見て、工藤と永原さんがそんな言葉を呟いていたなどと俺は知る由もなかった。






「お、海が見えてきたぞ、廉」

電車に揺られること約四十分。俺は隼人のその声に窓の外を流れていく景色に瞳を輝かせた。
きらきらと太陽光を反射させて光る海には、もうすでにサーフィンを楽しんでいるサーファーの姿などが見える。

「おぉっ!」

「海だ!」

仲間達の間にもそわそわと浮足立つような空気が流れだし、海を視界に捉えた俺もテンションが上がってくる。

「海は久しぶりだな」

「俺も今年は行く機会もないと思ってましたが」

工藤と永原さんも窓の外を見て、そんな会話を交わしている。

やがて到着した駅からはぱらぱらと人が降りる。
実はこの駅より先に行った所に、大型の駐車場やアミューズメント施設が併設されたここよりも大きくて立派な海水浴場があるのだ。そのおかげというのも変だが、こちらの海水浴場はそれほど混むこともなく、地元の人間達だけで落ち着いて楽しむことが出来るのだ。海には数は少ないが海の家もあるし、無料の更衣室や有料のシャワー室もある。駅からは歩いて十分という距離だ。



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