01


「………」

ころりと、手にしていたシャーペンを広げたプリントの上に転がす。
机の上に一緒に乗せていた携帯電話へちらりと視線を向けて何度目になるか分からないため息を落とした。

「はぁ〜〜っ、どうしよっ…」

ばたりと机に伏せ、空になった両手で頭を抱える。熱くなった頬にカサカサとしたプリントの感触が不快に思えた。

「どうしたら、いい…?」

誰もいない冷房を効かせた自室で自問自答する。
ウンともスンともいわなくなった携帯にのろのろと手を伸ばして、パチリと画面を開けば…
不在着信 一件
相手は工藤だった。
別に手元に携帯電話がなかったわけでも、気付かなかったわけでもない。
出るかどうか迷っている内に電話が切れてしまったのだ。

「う〜〜、何だよこれ」

ただ電話に出るってそれだけなのに何故か緊張してしまう。どきどきしてボタンを押す指が震えて。…何故か、何てのは嘘だ。
俺は気付いてしまったのだから。

「〜〜っ、もうダメだ!考えても埒が明かない。後で…後で工藤に掛け直そう」

そう、今やってる夏休みの宿題が終わったら。
終わったら必ず。
持っていた携帯電話を元の位置に戻して上体を起こす。今日も降り注ぐ暑い陽射しを窓の外に見て俺は椅子から立ち上がった。

「その前に飲み物でも持ってこよ」

自室を出て俺は一階へと続く階段を降りる。

あの事件の日から三日。
頬に張られていた湿布はとることが出来たが、まだ少し違和感が残る。
一緒に巻き込まれた妹の悠は何とかトラウマにもならず今日は朝から友達とプールに出掛けていた。
シンとしたキッチンに入り、飲み物を用意するついでに食材チェックをして俺は昼ご飯のメニューを考える。

「う〜ん、何かさっぱりしたもの…。あ、肉が残ってる」

次から次へとどうでもいいような用事や考えごとをしては、俺は本題から遠ざかっていた。
そうして宿題もやりかけのまま、携帯電話も夜まで机の上に放置された。

「……メール…四件」

夕方には悠も帰ってきて、夕飯作りにお風呂と全てを済ませて俺が自室に落ち着いた頃にはとっぷりと陽が暮れていた。
チカチカと点滅するランプに気付き携帯電話を手にすればメールが四件来ていた。
一つは学校の友達からで遊びの誘いだ。
もう二つは矢野と隼人から。俺が今日向日葵に顔を出さなかったから矢野は心配してメールを寄越したらしい。
隼人は…

「海に行くぞ?」

明後日、向日葵に朝十時集合。水着持参のこと。

「って、いつの間にそんな話に。いきなりだな」

今日皆で決めたのだろうか。もちろん行くけど。
俺はポチポチと返信メールを作成して送り返した。
そして残る一件のメールを意を決して開く。
すると中には俺の怪我を心配する文と最後に一言。

「…会いに行って良いか?って…何で。いつも勝手に会いに来る癖に何で今になって訊いてくるんだよ」

これじゃ俺が困る。
差出人名はもちろん工藤で。
学校の友達や矢野、隼人には直ぐ返信して終わったけど工藤に関しては意識し過ぎて返信するまで十五分は悩んだ。ちなみに、返信をしないという選択肢は俺の中には最初から無かった。
再び意を決して押す送信ボタン。
悩んだ末の返事はたった二行。
怪我はもう大丈夫。
来るなら好きにすれば。

「って、ちょっと素っ気なかったかな。でも、待ってるなんて返事したら俺が会いたいみたいだし…」

結局メールを返信した後も俺はベッドに転がり携帯を手に持ったまま悩み続けていた。
こんなのいつもの俺じゃないと、頭では分かっているけど自分ではどうしようもない。
今だって少し工藤のことを考えただけで胸がどきどきしてきて頬が熱を持つ。
これが恋だと…俺は初めて知る感情に恥ずかしいやら嬉しいやらもうどうすればいいのか分からなくてごろごろとベッドの上を転がる。

「どうしよう、どうすればいい…?」

困った時真っ先に頼りにするのは隼人だが、内容が内容だけに相談しずらい。隼人なら笑わないで話を聞いてくれるかも知れないが返ってくる反応を思うとちょっとだけ怖い。
うんうんとまた思考の渦に嵌まっていれば、手に持っていた携帯がいきなり鳴り出し、俺は大袈裟なほどビクリと体を揺らしてつい反射で通話ボタンを押していた。

「もっ、もしもし…?」

『………』

「…あれ?もしもーし?」

『………』

がやがやと押し当てた電話口から騒がしい音は聞こえてくるが、問い掛けても掛けてきた相手の声は一切聞こえず俺は訝しむ。
一旦携帯電話を耳から離し、ディスプレイで相手の名を確認するも、そこには見覚えのない090から始まる携帯番号だけが表示されていた。

「…もしもし?どなたですか?もしかして誰かと間違えて…」

と、そこまで言ったところで電話口の向こう側からふふっと微かにだが笑い声が聞こえてきて、それきり通話はプツリと途切れた。

「っ、なに…今の…」

気味の悪い電話にざわりと鳥肌が立ち、顔から血の気が引く。
そこでふと前にも似たような電話があったことを俺は思い出した。
あれは聖の名前で家に電話がかかってきたのだ。俺が代わった時には切れていたが、それどころではなくなって今まですっかり忘れていた。

「……あ」

忘れていたといえばもう一つ。
携帯のメール受信ボックスにこれも見も知らぬ相手から俺の写メ付きのメールが送られてきていたのだ。

「誰が…こんなこと」

思い出して、その気味の悪さに気持ち悪くなってくる。切れた通話に顔をしかめ、今日はもう電源ごと電池を落としてやると胸を覆う不快さに電源ボタンに指を乗せた。
その時、滑り込むように音楽が鳴り出し、電源を落とすはずだった指先が電話をとってしまう。
タイミングの悪い偶然に俺は苛立ち、今度はきちんとディスプレイで相手を確認して…俺は表示された名前にひゅっと息を飲んだ。

『もしもし、廉…?』

通話口から聞こえてきた低い声にきゅぅと甘く胸が締め付けられて、不意に訪れた安堵から思わず声が震えそうになる。

「…っ、く…どう。何か用?」

それを俺は慌てて取り繕い、何でもないような声を出す。

『………』

けれども返ってきたのは沈黙で、俺は怪しまれないよう更に言葉を重ねた。

「えっと、工藤?どうかしたのか?何か用があって掛けてきたんだろ?」

『……あぁ。今、お前ん家の側にある公園にいるんだ。…出て来れるか?』

「え…っ、あ…っと、うん」

『じゃぁ待ってる』

「う…ん」

ふつりと切れた通話にほっと息を吐き出す。

「…どうしよう」

気付かない内にもたらされた安心感と、これから工藤と顔を合わせることになった緊張感が俺を襲う。
胸の片隅にはまだ気味の悪い不快さが残っていたが、俺はそれよりもどきどきと鳴り止まない鼓動に意識をとられて逃げ出したい衝動に駆られる。
込み上げてくる恥ずかしさにふるふると頭を左右に振り、そこから無理矢理意識を引き剥がすと通話を切ったばかりの携帯電話をベッドの上に置いた。
生来の性分か俺はそれでも工藤を長時間待たせたら悪いと急いで寝間着から普段着に着替え、悠にはちゃんと戸締まりをしておくよう言い置いて家を出た。


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