20


「ぅ…くっ…」

後悔をしてる暇なんてない。
階下に白木と死神連中の意識が向いている隙に痛む体を動かす。
拘束されたままの手首を無理矢理動かせば、痛みは一層強くなるが何とかしてベルトに挟んでいた硝子片を取り出す事に成功した。

「――っ」

鋭く尖った破片に触れて指先から血が流れるがこんな痛み、耳に届く音に比べたらどうってこと…ない。
指先の痛みよりも鋭く抉るように胸が痛む。

「…っ…はっ…」

ギチギチと最小限の動きと音で、手首を戒めていたロープを硝子片で切る。ロープとはいえ、結局は糸を寄り合わせたものでプチプチと繊維が切れれば後は簡単に解けた。
そのまま体を丸め、自由になった手で足元のロープを外そうと手を伸ばす。硬く絞められたロープに悪戦苦闘し、何とかロープが緩んだその時。

「おい、何してる!」

「白木さん、コイツ!」

側にいた男に見咎められてしまう。しかし、それでも両手を拘束されていた先程よりかは幾分かマシだ。
再び捕まえようと伸びてきた男達の手を、床の上を転がってかわす。

「…ぅくっ」

全身に加え、殴られた頬と膝蹴りを喰らった腹部が鈍く痛んだが、唇を噛んで堪える。
そして、仲間の声で振り向いた白木を俺は睨み付けた。

「こんな馬鹿げたことして…何が楽しい」

「あーもう、さっきからごちゃごちゃと煩いな。僕は楽しみを邪魔されるのが一番嫌いなんだ」

白木が片手を上げ、俺はその間にザッと死神に囲まれる。

「思ったより工藤もたいしたことないし、そろそろ紅の王の絶望に染まる顔を見ようか。…誰かソイツを捕まえて」

階下から完全に意識を俺に移した白木に、俺は工藤と聖がそのことに気付いてくれることを強く願う。
早く気付け。止めてくれ。
殴り合いなど。俺のせいで、二人が傷付くなんて。
これ以上は。

「…絶対にお前の好きにはさせない」

「ふん、そう言って何が出来…っ!?」

するりと、緩んでいたロープから足を抜き、俺は白木に向かい一直線にフロアを駆け抜ける。その途中、俺を捕まえようと伸ばされてきた手を勢いで弾いて囲いを突破する。

「白木っ!」

身体の痛みは強い想いに押し込められ、俺の手が白木に触れた。
殴られた頬のお返しだとばかりに白木の頬を殴り返せばみるみるうちに白木の顔が醜く歪んでいく。

「駒風情が、僕にっ!」

眦を吊り上げ、間近で発された甲高い声が耳に突き刺さる。
相当頭にきたのか長い髪を振り乱しながら白木が掴みかかってきた。
それと同時に背後で金属の壊れる凄まじい音がし、背後が騒がしくなる。

「何だてめぇら!」

「うるせぇ、雑魚に用はねぇんだよ!」

「総長っ」

「廉!」

何故か背後から隼人の声が聞こえ、他にも矢野や仲間の声。

「くっ…」

しかし、振り返る余裕はない。とにかく目の前の白木で手一杯で、頬を掠めた手が、やたら綺麗に整えられた爪先が頬に切り傷を付ける。

「くそっ、使えない奴らめ!庄司は一体何をしてるんだ!」

一気に流れの変わった場に白木が悪態を吐く。
ピリッと頬に走った痛みに眉をしかめ、俺は間近にあった白木の手を振り払う。そのまま揉み合いになり、まだ鈍く痛む腹部を、知ってて白木は膝を使って攻撃してきた。

「―っの!」

ある程度、これまでの白木を見て予測していた俺はその膝を逆に蹴り付ける。他人を痛め付けることには慣れているが、自分に与えられる痛みには慣れていないのか怯んだ白木を突き放そうと腕に力を込めた。
だがそこで白木が思いも寄らぬ行動に出た。
殴るのではなくするりと伸びてきた手が首に絡みつき、女のような見た目とは違う男の力がぎりぎりと首を圧迫してきた。

「なっ―、う、ぐっ…はな…せっ!」

首に回された手に爪を立て、足で白木の足を蹴り付け抵抗するが白木は微塵も揺らがない。

「っ、白木!廉を放せ!」

「廉さん!」

「誰だか知らないけどそれ以上僕に近付くな!」

二人が足を踏み出した瞬間、首に掛けられた指先に力が籠る。それに気付き、隼人と矢野は足を止めた。

「そんなことしたって死神はもう終わりだ」

「そうだ!廉さんを放せ!」

「ふん、どいつもこいつも煩いんだよ。そんなにコイツが大事か?大事なら…」

ぐるりと立ち位置を入れ替えられ手摺に背中を押し付けられる。

「壊してあげる」

白木の後ろに隼人と矢野、死神を床に叩き伏せた仲間の姿が見えた。

「…ぅ…ぐっ」

「廉!」

「予定とは違っちゃったけど。さぁ、これで何人の人間が僕を愉しませてくれるかな?絶望に染まったその顔を…」

狂気を宿して笑った目に背筋が凍る。グッと首に強く力を入れられ、足先が浮いた。

「もうすぐだ。ほら、いーち、にぃ、さーん…」

呼吸が…苦しい。意識が、視界が霞む…その時。

「…はっ…はっ、っく…」

遠退きそうになる意識の端を鮮やかな紅が過った。

「しらきぃ!」

低い唸るような声と共に空を切り裂くように鋭く走った拳が白木の横っ面を叩き、吹き飛ばす。

「な、あぐっ…!うっ…」

その拍子に首に掛かっていた手が外れ、吸い込んだ大量の空気に噎せる。
ふらりと…、手摺に寄りかかっていた身体は脱力し重心を立て直せず天井を仰いだ。

「は…っ、よか…っ…ひじり…」

遠退く意識の先で、俺へと伸ばされた手が空を切る。

「廉!」

「廉さんっ」

「総長ー!!」

身体に感じた浮遊感に自分が手摺から落ちたと自覚したのは後になってからだった。

「――っぐ…ぅ」

耳元でくぐもった声が聞こえる。
二階から落ちたにしては少ない衝撃に、ぼんやりする脳に酸素を送り込みながら閉じていた瞼をゆるゆると押し上げた。

「はっ……」

視界に映る綺麗な金色。髪の隙間から紅いカフスが覗く。
秀麗な眉を寄せ、絡む眼差しは鋭い茶色。苦し気に吐き出された吐息は安堵ともとれ、その右頬は腫れて乾いた血が口端にこびりついていた。

「く…どう…?」

「―…っの馬鹿野郎!!」

視線がぶつかった途端、いきなり間近から工藤に怒鳴られる。
思わず反射で逃げ出そうとした体を強く抱き締められ、今さらながら自分が工藤の腕の中にいることに気付いた。

「危ねぇ真似してんじゃねぇ!」

「……っ」

びりびりと耳に突き刺さる怒声に体がすくむ。

「無事だったから良かったもののっ!二度とあんな無茶な真似はするな!」

「っでも…あのままじゃ俺のせいで二人が…!」

「でもも何もねぇ!今ぐらい俺の言うことを聞けっ!」

いつになく強い口調で言われ、ぎゅぅと痛いぐらい強く抱き締めてくる腕に俺は開きかけた口を閉ざす。
こんなにも感情を露にして怒る工藤を俺は知らない。…知らなかった。

「っ…、お前が死神に拐われたって聞いた時から俺は気が気じゃなかったんだ」

「……工藤?」

「廉」

俺を見下ろしていた茶色の瞳が痛々しげ細められる。

「痛かっただろ?ごめんな」

その目は白木に殴られて赤くなった俺の頬に向けられている。けど、

「これぐらいどうってことない。俺より…工藤だって…あっ」

そっと持ち上げた右手で熱を持った工藤の右頬に触れようとして、掌が血で汚れていることに気付いた。

「どうしたんだこれ」

慌てて隠そうとした手は掴まれ、詰問されて言葉に詰まる。

「これは…その…何でもない」

「廉?」

「それより…ごめん。俺が油断したばっかりに」

工藤も聖も…。
言いかけて、俺はハッとして工藤の腕の中で二階を見上げる。

「そうだ、聖は…」

「諏訪なら…」

工藤が何か言いかけた途中で上階からガシャンと何かが壊れる音が響いた。そして、

「やめろっ、聖!」

「うるせぇ、邪魔すんな!」

隼人と聖の言い争う声が聞こえた。


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