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ふらりと胸ぐらを掴まれたままの工藤の頭が左に揺れる。

「――っ…くどー!」

同じく握られた聖の左拳が行き場もなくさ迷うように下ろされた。

「なんでだ、何で…避けねぇ。お前なら避けれたはずだろ工藤!」

聖の拳が入った工藤の右頬はみるみる内に赤く腫れていき、口端も切ったのか血が滲む。
至近距離で工藤と目を合わせた聖は何も語ろうとしない工藤に焦れたように再び左拳を握り締めた。

「―っめろ!俺のことはいいから!聖、くど…」

「うるさいよ。せっかく面白くなってきたんだからアンタは少し黙ってな」

「ぐ、ぁ…っ」

二人が殴り合う姿なんて見たくない。しかし、止めようと口を開けば鷲掴みにされていた髪を強く引かれ、白木の膝頭が腹部を襲う。
まるで投げ捨てられるように床に放り投げられ、受け身も取れぬまま痛みと共に俺は床を転がった。

「…ぅ…はっ…」

何も出来ずにいる自分を今ほど恨んだことはない。
階下の様子を目にしなくても、耳に届く聞き慣れた殴打音と耳障りな白木の笑い声で嫌でもその光景が想像出来てしまう。








Side 聖

握り締めた拳が決まった瞬間、感情はコントロール不能に陥っていた。
Dollの工藤なら、例え俺に胸ぐらを掴まれていたとしても今の拳は避けられたはずだ。
何故避けなかったのかと、殴り付けておきながら理不尽にもそう思った。
そして、聞いても何も答えない工藤に苛立ちは募り、これならばどうかと胸ぐらを掴んでいた手を離し、握り締めた拳を工藤の腹部に突き刺す。

「ぐぅ…っ…」

九の字に体を折り曲げ、苦し気な息を漏らした工藤に余計頭に血が昇る。

「どういうつもりだ!まさか、奴の言う通り俺にお前を潰させる気か!」

避けもしなければ抵抗もしない。そんな工藤に憤りを感じずにはいられない。

「お前一人潰したところで奴が約束を守るとでも…!」

「っ…はっ…、そんなことハナから思ってねぇよ」

苦しい息のもと、囁くような声が言い放つ。
その声は力を失ってはいなかった。
工藤は口端から零れた血を拭いとるとちらりと上階に視線を向け、俺に戻す。

「だったら」

「約束…とはちょっと違うな。俺が勝手に決めたことだ。…言っただろ」

「何を」

「俺は廉の仲間とやりあうつもりはねぇよ。今も、これからも」

「っ……」

これと同じ台詞を体育祭のあったあの日、工藤は確かに口にしていた。
でも、たったそれだけのことでコイツは…。
返された思いもよらぬ返事に息を呑んだ。

「…お前は」

「俺のことより自分の仲間を信じたらどうだ」

「なに、言ってん…」

俺の仲間はここに居る。
紅の……。
言いかけてハッと気付く。
工藤の話に出て来る仲間は紅のことじゃない。
廉の…Larkのことか。
Larkが、隼人が動いているのか?
目線で問えば工藤は青紫色に変色した頬を微かに吊り上げた。
そうして、一度近付いた距離をとるようにして工藤は俺から離れていく。
痛くない筈がねぇのに、不敵な表情を浮かべて。

「はっ、…どうした、これで終いか?こんなんじゃ俺は、Dollは潰せないぜ」

あくまで敵対する関係を崩さない工藤に、冷静さを取り戻して俺は奥歯をぎりりと噛み締めた。
何やってるんだ俺は。
きつく握り締めた拳が鈍く痛んだ。








Side 隼人

正面から一人乗り込んだ工藤が気にならないわけじゃなかった。

「何があっても構うな、か」

現地で合流した矢野と仲間を率いて店の裏側に回り込む。

「隼人さん?」

「いや、何でもねぇ。それより気ぃ引き締めとけ」

さすがNo.1、Dollというべきか。工藤達は既にカナンの見取り図を手に入れていた。
教えられた通り店の裏側に回れば非常階段が視界に入る。

「あれか…」

工藤は非常階段を使って裏から侵入しろと言った。
だが、非常階段前には死神の連中が数人たむろしており、階段の手前には簡易ながら頭の高さ程ある鉄製の門が設置されている。閉鎖された名残か門扉は鎖でぐるぐるにがんじ絡めにされていた。

「時間を無駄に使いたくはねぇな。矢野、やれるか?」

「一、二、三…四人か。楽勝だな。俺が先に行きますよ」

言うや否や一歩前に出た矢野は一直線にたむろする死神に向かい、攻撃をしかける。矢野に気付き立ち上がった男の鳩尾に右拳を埋め、殴りかかってきた相手を簡単にいなすと持ち上げた片足で蹴り飛ばす。
ゴッと壁にぶつかる鈍い音に関心すら向けず、三人目を相手にする。頬を掠めるように突き出された拳を掴み、引き寄せて腹部に膝蹴りをお見舞いした。

「―ってめぇ!俺達を誰だと!」

「そんなんどうだって良いんだよ。退けばな」

右ストレートで顔面を狙ってきた相手にカウンターで返す。相手の顎を捉えた拳に矢野は喜ぶでもなく、直ぐに閉ざされた門扉に意識を切り換えた。

「で、これはどうする?」

どさっと矢野の足元で意識を飛ばした男に注意を払いながら次の指示を出す。

「この高さなら乗り越えられる。けど、万が一を考えて退路として開けておく」

二、三人、階段前に仲間を残し見張りと鍵を壊す作業を頼んだ。
門扉に絡められた鎖を足場にして門を乗り越える。

「…っと」

俺の直ぐ後ろを矢野が追走し、その後に仲間が続く。極力足音を殺しながら非常階段を昇った。

「問題は廉がいるのが三階か二階か」

そこまでは入ってみないと分からない。
辿り着いた二階の非常口の踊り場で一度足を止める。

「隼人さん、上には俺が…」

「シッ、待て!」

言いかけた矢野の言葉に店の中から誰かが出てくる足音が重なった。



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