16
「それじゃぁ紅の王を迎える準備をしようか。庄司、連れてきた人質を紅の王が来るまでに縛り上げといて。何なら逃げ出せないよう足を折っといてもいいから」
「――っ」
さらりと白木の口から出た残虐とも思える指示に息を飲む。
俺は気付かれぬ内に一度扉を閉めた。
「何だよアイツ…」
人を人とも思わぬ扱い。
要らなくなればあっさり捨てる。まるで玩具の人形を相手にするように、仲間を駒と呼び、その心を甘言で弄んで笑う。
「おかしい。仲間を、何だと思ってるんだ」
コツコツと近付いてくる足音にハッと意識を扉の外に向ける。俺は手に持ったキューを握り締め、思考を巡らせた。
どうしよう、どうする?
出口は白木達の先にある。人数もそれなりにいる。俺一人で突破するには無理がある。
かと言ってこのままじゃ…。
断片的に拾った内容でいくと俺が死神に連れて来られた理由は聖に対する人質だ。…どこまでも卑怯な。
けれどそこにはたぶん、謎のままの紅解散と死神、過去の因縁がある。
俺は室内へ視線を走らせ、逃げ道が他にないことを再確認するとテーブルの上に置かれていたグラスを手に取り、意を決して床に向かって叩き付けた。
ガシャンと硝子製のグラスは派手な音を立てて床に飛び散り、俺はその中から素早く、小さくても鋭く尖った硝子の欠片を探して拾う。
拾った欠片をベルトとスボンの間に挟んだ所で、音を聞き付けた庄司が勢い良く扉を開けた。
「てめぇ、何して―!」
割ったグラスから意識を反らす為に、手にしていたキューを庄司に向けて勢いよく突き出す。反射で仰け反った庄司の無防備な腹に握り締めた右拳を突き入れようとして、バシンっと乾いた音を立てて掌で受け止められた。
「っ…」
「おいおい、ふざけた真似してんじゃねぇぞ」
直ぐ様体勢を立て直した庄司は唇端を吊り上げ、瞳を鋭く細めると得体の知れぬ嫌な笑みを浮かべる。
「ぐっ…ぁあ…っ!」
受け止められた右手を引く前に右腕を掴まれ、後ろ手に捻り上げられる。左手に握っていたキューが滑り落ち、カランと音を立てた。そして、流れるように足を払われ、床に押し倒される。
幸いなことに硝子片の飛び散っていない場所だが、俯せに倒された背中に片膝を乗せられ、胸を圧迫する息苦しさに苦痛で顔が歪んだ。
「ぐっ…はっ…ぅ…」
「苦しいか?」
苦痛に歪む顔を覗き込んできた庄司が厭らしく笑う。
「…はっ…ぁ、ぐっ…」
そうだ。コイツは弱い者をいたぶるのが好きなのだ。俺達を囲んだ時もわざとじわじわと恐怖を煽るようにしていた。
「は…っ…退け…!」
「鍋島みてぇな趣味はねぇがこの綺麗な面が歪む様は気持ち良いなぁ」
背中から振り落とそうにも、捻り上げられた右手をがっちりと掴まれていて、身を捩っただけでそこからも痛みが走る。
それも分かっているのか庄司は容赦無く力を加え押さえつけてくる。
「は…っ…くっ…の…はな、せっ!」
「おい、誰か縛るもの持って来い」
抵抗も虚しく俺は後ろ手に両手を縛られ、足も揃えて梱包用のロープで縛られてしまった。
縛られた腕を掴まれ、無理矢理立たせられる。とは言っても足も拘束されているので立つことは出来ずに、腕を引っ張られて部屋から引きずり出された。
「…っ」
輪の中心、白木の前に引きずり出されそのまま床に転がされる。
俺を見下ろす冷めた眼差しが、ゆるやかに歪んだ。
「これが紅の王の今の大事なもの?」
「そうらしいッス。諏訪の仲間で、諏訪が大事にしてるものッス」
「へぇ〜」
すっと俺の前に白木はしゃがみ、痛いぐらい強く顎を掴まれ上向かされる。
品定めするように間近で絡んだ視線に不快さを隠さず、俺はギッと白木を睨み返した。
「…聖に、何する気だ」
「ふぅん、紅の王が選んだだけあって泣きわめいたりはしないんだ。つまんないなぁ。でも…」
ちらりと白木が俺から視線を外した瞬間、横から腹部に強い衝撃が走る。
「ぐぁ…っ…っ」
誰かに腹部を蹴られたのだ。
掴まれていた手も離され、腹部を襲った痛みに体を丸くする。
その上に冷笑が降り注いだ。
「気に入らないんだよ、その目。僕を誰だと思ってるんだ」
「はっ…は…っ」
痛みに堪えながらそれでも白木を睨み返す。
パッとみ女に見えたが、近くで見るとよく分かる。白木は男だ。
声は高く線も細いが、胸は無いし、白木が喋る度に喉仏が上下する。
「縛っただけじゃ生温いか。庄司」
「っは、待て…よ!聖に、何する…つもりだ!」
再び腕を掴まれて、引き摺られそうになるのを下半身に体重を乗せて耐えながら白木に向かって叫ぶ。
「うるさいな。そんなもの決まってるだろ。徹底的に潰すんだよ。肉体的にも精神的にも、二度と歯向かえないように」
「なんでそんなこと…」
「愉しいからさ。三年前、僕はまだ死神に入り立てだったけど紅の王の大事なモノを壊したあの瞬間、紅の王の絶望した顔は堪らなく素敵だった。そりゃもう興奮したね」
今、思い出してもうっとりする。そしてもう一度あの顔が絶望に染まる瞬間が見たい。想像しただけでゾクゾクする。
「Dollでも良かったんだけど、工藤の方は中々ガードが堅くて大切なモノが何なのか掴めなかったんだよね。その隙に紅が復活したとかいうからさぁ、ふはっ…もう凄く楽しみだな」
何度も話にでる三年前。紅が解散した年。
いったい聖に何があったのか。聖が壊されたものとは何なのか。
俺は何も知らない。
でも、これ以上聖から何かを奪わせるわけにはいかない。
初めて聖に会った日のように、俺は聖をまた一人ぼっちで薄暗い路地に佇ませたりしない。傷付いた拳を手に、眩しそうに空を仰がせたりしない。
聖は、仲間は、俺が守る。
「そんなこと、させるか!」
「ふはっ、そんな手も足も出ない状態で何が出来るって言うんだか。これだから弱い者は嫌いだ。口先だけの、吠えるしか能がない」
蔑むようにがらりと変わった白木の雰囲気に体を強張らせれば無造作に髪を掴まれる。
「いっ…っ…」
「所詮お前は駒でしかないんだよ。僕を愉しませる…ね」
暗い悦びで胸を満たす酷く濁った眼差しが至近距離で歪に笑った。
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