15


じくりと頭が鈍く痛む。
じわじわ痛むというよりは全体的に頭が重く、何だか身体もダルい。
いつの間に眠ったのかと瞼を押し上げようとして力が入らないことに気付く。

(俺…どうしたんだっけ…?)

そしてよく回らない頭で思い出そうとする。

(母さんに買い物を頼まれて…、悠と一緒に…)

途切れ途切れの記憶を繋ぎ思い出していると、意識の外側でざわざわとしたノイズ音を拾った。

(――っ、そうだ。俺達、囲まれて…)

「まだ起きねぇのかソイツ」

「う〜ん、ちょっと薬が強すぎたかな。ごめんね廉」

見知らぬ誰かの手がさらりと、髪に触れてくる。
やがてその手は耳を辿り頬のラインに添って滑り下りて来て、頬を撫でる。

「ふふっ…柔らかい。肌もすべすべで女の子みたい」

その感触に肌が粟立つ。
腹の底から沸き上がる気持ち悪さに頭がくらくらする。

(…さわるなっ)

「うげぇ、キショイ。お前の悪趣味には付き合いきれねぇぜ」

嗅がされた薬が抜けていないのか声も出せなければ、身動ぎも出来ない。
見知らぬ男の手が肌の上を這い、その気持ち悪さに俺は泣きたくなった。

「誰もショージに理解して欲しいとは思ってませんよ。廉の可愛さを知り、愛でるのは俺一人で十分」

ぎしりとスプリングの鳴る音に、頭を持ち上げられる。何か温かな物の上に頭を乗せられ、囁かれ言葉に寒気を覚えた。

「それより白木の用事はまだ終わらないの?」

「んぁ?」

「気が利かないんだから。こんな薄汚くて暗いバーが廉との出会いの場なんてまったくロマンチックじゃない」

「てめぇが勝手についてきたんだろぉが。文句言うな」

「仕方ないだろ。ついてこなきゃお前達、廉を傷物にしてただろ」

「傷物って男だぜソイツ。…あぁ〜、てめぇと話してると頭痛くなりそうだぜ」

白木の様子見てくるとショージは言い、ギィと扉の開閉音が聞こえた。
どうやら部屋から出て行ったようだ。

「まったく、諏訪なんか放っておけば良いのに。向こうこそ悪趣味だよ」

(諏訪って、聖…?)

「でも…、そのお陰で廉に出会えたし少しは感謝してあげても良いかな」

額に触れた指先が前髪を払う。

「それに諏訪を潰せば、廉は俺のものになってくれるだろ?ふふっ、楽しみだな」

ふにっと柔らかい感触が額に触れ、額に掛かった熱を帯びた吐息に俺は声にならぬ息を漏らした。
何処か言動が危ない男と二人きりにされ、ひたひたと嫌な予感が胸に忍び寄る。

「こうしてじっくり見るとますます可愛いな。ちょっと触っても良い?良いよね」

聞いておきながら返事を聞かずにシャツを捲り上げられる。この部屋は冷房が効いているのか触れた冷えた外気に体が震えた。
するりとお腹の辺りを手が這う。好き勝手に肌を撫でられ、鳥肌が立つ。

「ん〜、思った通り触り心地良い」

うっそりと何処か酩酊した声で囁かれてその気持ち悪さに体の芯から震えが走り、あまりの嫌悪感に瞼の裏に涙が滲んだ。
その直後、俺には助けともいえる、出て行った筈のショージが戻ってくる。

「ナベシマ、白木がお前も呼べってさ」

「…仕方ない。行ってくるから良い子で待ってるんだよ廉」

捲り上げられたシャツを下ろされ、ナベシマと呼ばれた気色悪い男はショージと共に部屋を出て行った。

「う…っ…」

その事にホッとして思わず涙が一筋零れる。
重たい瞼を無理矢理抉じ開けて、ぼんやりと映った視界に瞼を瞬けば鮮明になる視界。
何だかレトロな内装に、ダルい身体を起こせば俺はどうやら黒い皮張りのソファに寝かされていたようだ。
ソファの前には黒いローテーブル。硝子製のグラスには溶けかけた氷が残っている。

「逃げなきゃ…」

思い出して身体が震える。同時に勝手に人の肌に触れてきた手の感触も思い出してしまい、気持ち悪さに粟立った腕を両手で擦る。

「うっ…」

早くここから、あの男から逃げなくてはと本能が警鐘を鳴らしていた。
幸いなことに手足は拘束されていない。
俺はまだどこか重い頭を回転させて、ふらつく足に力を入れてソファから立ち上がった。

「…確か、どっかのバーだって言ってたな」

俺が知る限りの街の地図を思い描く。だが、現在地を掴もうにも情報が少なすぎて絞り込めない。

「あ…」

そう言えば、アイツらは白木という名前を口にしていた。その上、俺も聞き慣れた名、諏訪とも…。

「白木は死神だろ。そこになんで聖の名前が…」

部屋を見回した所で出口は二人が出て行った扉しかない。
体調が万全とは言い難い俺は壁に掛けられていたビリヤードに用いられるキューを念の為、手に取った。
扉に耳を付け、深く深呼吸をしてからノブに手を掛ける。不用心にも鍵は掛かっておらず、俺は表情を引き締め、ソッと細く扉を押し開け隙間から外の様子を窺った。
扉を隔てた先には更に広い空間が広がっていた。
頭上にはオレンジ色に光るシャンデリア。窓は無いのか外からの光は見当たらない。
室内にはからからと回るルーレット。俺から見て右手側の壁際にはスロットが並び、端に避けられたテーブル上にはチップとトランプが散乱している。逆に左手側にはカウンターがあり、カウンター内の棚には数える程の瓶が並んでいた。
その様子にここはカジノバーか、と辺りをつける。
部屋の中央には俺に絡んで来た男達と見るからに柄の悪そうな男達が二十人程輪になり、赤い派手なソファに座る誰かを囲んでいた。

「向こうに配置した駒から連絡は?」

「その、それが…何者かに襲撃を受けてるようで、その…応援が欲しいと…」

「送る必要はない。油断したその隙を突いて紅の王は此処に乗り込んでくるはずだ」

(紅の王…聖、が?此処に来る?)

耳を澄まし甲高い声を拾う。ちらりと男達の隙間から見えたその姿は…。

「…女、の子?」

俺より年は上か。髪は染めているのか栗色で、ふわふわとした長い髪は背中まである。
細身の水色の柄入りのトップスにショートパンツ。
すらりと伸びた足を組み、足元は白のサンダル。

「アールなんて偽名まで使って、紅の王も堕ちたもんだね。あ〜やだやだ、あぁは成りたく無いもんだね」

くるくると肩に掛かった栗色の髪に指を絡めて、男達の中心で女は笑う。

「白木。Dollも動き出してるみたいだがソッチはどうするつもりだ。用意しておいたダミーのアジトは殆ど潰されちまったし」

(――っ、あの女の子が白木!?男じゃなかったのか!?)

呼ばれた名前に俺は目を見開く。
これまで噂話を聞いただけで、俺は本人を見たことはない。勝手に男だと思い込んでいたが…。

「どうせなら紅の王と潰し合ってくれないかな。そうすれば手間が省けるんだけど…Dollは今どうしてる?」

白木に流し目を向けられた男が緊張した様に言葉を震わせる。

「そ、それが…、どうやらホクジョウに向かったようで」

「ホクジョウに?ふはっ、…そりゃ良い!鍋島、ちょっと行ってDoll潰して来てよ。向こうには血を見るのが大好きな浜田がいるからさ。そうだなぁ、お土産は工藤の付けてるカフスでいいや。アレ、総長の証とか何とか言うんだろ」

馬鹿にしたような笑い声が耳に突き刺さり、思わず飛び出して行きたい衝動に駆られる。けれど俺は扉のノブをグッと握ることでその衝動を堪えた。

(工藤…っ)

「案外Dollも馬鹿だね。紅を潰す為に用意した罠に自ら飛び込んで来るなんて」

「白木。Dollを潰すのは構わないけど、俺が出掛けてる間に廉を傷付けるなよ」

名指しされた鍋島が輪の中へ進み出て忠告する。それに白木は返事だか何だか良く分からない言葉で返して、鍋島をさっさと追い払った。
どうやらカジノバーの出入り口は男達の向こう側にあるらしい。
俺が今居る部屋は奥の間ということか。
他に出口は…。
そう思って視線を走らせた俺は次に聞こえた言葉に表情を強張らせた。

「鍋島もそろそろ要らないかな。この僕に意見してくるなんて何様のつもりなんだか。…ねぇ、庄司?」

俺を囲んだ男達の指揮をとっていた迷彩ズボンに茶髪の男が恭しく頷く。

「そうですねぇ。諏訪と工藤を潰したら幹部の総入れ換えなんてどうです?」

「あは、良いね!それ」

二人の会話を周囲で聞いていた男達の顔付きが一変する。ギラギラと野心を隠さない男達の眼差しを受けて白木は心地良さ気にうっとりと笑った。
そのさまを目にしておぞけが走る。生理的に受け付けない人間に俺は初めて遭遇した。
ここは異常だ。
死神は何処かオカシイ。
初めて目にした死神の総長、白木。
俺は冷房のせいではなく震えた自分の体をぎゅっと片手で抱き締めた。


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