08


カランと氷と麦茶の入ったグラスがテーブルの上に置かれ、グラスを下ろした隼人はその足でカーテンを閉めに行く。

「暑いな。少しクーラー入れるか。廉、そこにリモコンあるだろ?つけてくれ」

開いていたカーテンをシャッと閉めながら、隼人が振り返り言う。

「ん…」

俺はテーブルの上に置かれていた白いリモコンを手に取るとクーラーに向けてボタンを押した。
静かな音を立ててクーラーが動き出す。

「そういや兄貴に廉が来てるって言ったら帰りはバイクで送ってってやるって」

「え?大和さんが?いいよ別に。俺一人で帰れるし、面倒だろ」

テーブルを挟んで向かい側に座った隼人にクーラーのリモコンを返し、俺は言われた言葉に慌てて首を横に振った。

「遠慮すんなよ。お前を送るついでに何か用があるみたいだからな」

「それならやっぱり邪魔じゃ」

「邪魔だったら言わねぇだろ。とにかく帰る時に声掛けろってさ」

グラスに手を伸ばした隼人は麦茶を一口飲むと、帰りの話はもう決定事項なのかそこで話を畳んでしまう。

「…じゃぁ、こんな機会滅多にないしお願いする」

「そうしとけ。…俺もその内バイクの免許取りに行きてぇな」

ぼやいた隼人に、俺は冷えた麦茶に口を付けながらその話に乗る。

「ちょうど夏休みだし、取りに行ったりしないの?」

「ん。あぁ、バイトして金貯めねぇと駄目だな。まぁ、先に免許だけ取りに行っても良いんだけど、結局はバイク買う金がなきゃ意味ないだろ?」

「そっか」

「そう言うこと。それにバイクは欲しいけどそんなに急ぐことでもねぇしな。ま、追々ってことだ」

軽い調子でそう言いながら隼人は手にしていたグラスを置いて立ち上がる。

「っと、また忘れるとこだった。廉」

「ん?」

立ち上がり、本棚の前までいくと隼人は足を止めて棚の中から一冊の漫画を引き抜いた。

「これお前の持ってきた漫画だろ?」

「……あっ。なんか無いと思ったら隼人ん家にあったんだ」

「もう結構前だぞ。返そうと思って俺もすっかり忘れてた」

ほらと漫画本を手渡され、礼を言う。その流れで話は漫画へと移り、俺達は漫画やゲーム、最近見たドラマの話などどうでもいい話で盛り上がった。
そして楽しい時ほど時間が過ぎるのは早くて、俺は手渡された黒いヘルメットを被る。

「じゃ、兄貴。よろしく」

大和さんは隼人や工藤より長身で、今はメッシュのジャケットにジーンズ、ブーツ姿で両手にはグローブをはめている。
隼人から掛けられた言葉に大和さんは黒のフルフェイスから覗く涼やかな漆黒の双眸を細めた。

「帰りは遅くなる。鍵は締めておけ」

蒸し蒸しとした熱を切り裂く様な冷えた声がフルフェイスの下から発され、大和さんはバイクを立てるとサイドスタンドを外し、赤い車体に跨がる。

「廉。後ろ乗れ」

「あ、はい。お願いします」

視線を向けられ、俺はそろそろとバイクの後ろに乗らせてもらい、落ちないように大和さんの腰あたりに腕を回した。

「また明日な、廉」

「うん」

「行くぞ」

エンジンがかけられ、門扉前に立った隼人に見送られ俺は大和さんの運転するバイクで家まで送られる。
頬をきる風、流れていく景色。凄い速さで変わっていく風景は少し怖い気もしたが同時にわくわくもした。バイクに乗せてもらうのは今日で四回目だがこの感覚は嫌いじゃない。

「わざわざ送ってくれて、ありがとうございました」

家の前に着き、借りたヘルメットを返してお礼を言えば、バイクのエンジンを切った大和さんは片手でヘルメットを受け取りながら微かに鋭いその双眸を和ませた。

「こっちに来る用のついでだ」

「それでもです」

「律儀だな」

ヘルメットをバイクの後部に取り付けてあるネットの中に収納し、再びエンジンを掛けた大和さんを見送る。赤いバイクのテールランプが夜の中に消えて行くのを見送ってから俺は家の中へと入った。
ただいまと言いながら玄関を上がればリビングの方から悠と母さんの声が聞こえる。
その日の夕飯は珍しく早く仕事が終わったといって帰って来ていた母さんの手作り料理で、父さんは仕事で遅くなるからと、久し振りに三人で食卓を囲んだ。
その後暫くしてから俺はお風呂に入り、脱衣所からハーフパンツに上はTシャツ、頭からタオルを被った姿で出て、ペタペタと裸足で廊下を歩いてキッチンに入る。洗い桶に伏せられていた硝子のコップを手に取り、冷蔵庫から取り出した冷えた牛乳をコップに注ぐ。
キッチンから見えるリビングでは母さんと悠がソファに座り、二人仲良くバラエティ番組を見ていた。

「ん…」

背が伸びるようにと日課の様に牛乳を飲んではいるが、今のところあまり成果は出ていない。そんなことを気にしつつ、俺は牛乳パックを冷蔵庫のドアポケットに戻して、使ったコップを片付けた。

「母さん。俺、部屋にいるから何かあったら呼んで」

頭に乗せていたタオルで髪を拭きながら母さんに声をかけて、俺はリビングを出ると二階に上がった。
自室に入り、勉強机の上に放置していた携帯電話を手に取る。パチリとフラップを開いて何も連絡が入っていないのを確認してから机上の充電器に置いた。
髪を拭いたタオルを椅子の背に掛け、隼人から返された漫画を手にベッドに上がる。枕を腕の間に置き、俯せになった俺は漫画を開いて読み始めた。
夏休みの宿題は寝る前に少しやればいいか。
頭の片隅にあった現実問題を押し退け、俺は紙面が繰り広げる壮大な冒険活劇の世界に入っていく。
パラリと紙を捲る音と、ベッドヘッドに置かれた目覚まし時計の時を刻む微かな音が静かな部屋の空気を震わせていた。

読み終わった本を閉じると起き上がってベッドから下り、本棚から続きの巻を三冊程取り出してまたベッドに転がる。
そうしてだらだらと寛いで本棚から取り出した続刊を読んでいた時、階下から俺を呼ぶ母さんの声が聞こえた。

「廉ー、電話よ〜」

「ん、電話?…今、行くー!」

開いていた漫画本をベッドに伏せて置き、机上の携帯電話にちらりと視線を投げてから俺は階下に下りた。
階段から下りれば、リビングの扉から母さんが顔を出している。

「誰からだって?」

軽快なメロディを奏でているコードレスの受話器を受けとり、聞く。

「ん〜、クラスメイトの諏訪君って男の子よ」

「諏訪?クラスメイトに諏訪なんて…、っまさか聖?」

思い至った相手に慌てて保留ボタンを押し、もしもしと話しかければ返ってきたのはツーツーという不通音。

「切れてる…」

「あら、どうしたのかしら」

「……用があればまた掛けてくるよきっと。はい、ありがと母さん」

「そうね」

それに、聖からの電話なら携帯の方に掛かってくるはず。俺は家の電話番号を聖に、いや…仲間の誰にも教えた覚えはなかった。

「おかしい」

受話器を戻しにリビングに戻っていった母さんの背中を眺め、俺は表情を険しくさせる。
自室に戻り、後ろ手に部屋の扉を閉めて充電中の携帯電話を手に取った。

「もう十一時だ…」

夜電話すると一言メールを送ってきた工藤からも未だ電話は来ていなかった。
結局、日付を越えてからも工藤から連絡は無く、俺は一度意を決してこちらから電話を掛けてみた。
しかし、

《おかけになった電話番号は現在、電波の届かないところにいるか、電源を切っている為―…》

繋がることはなかった。

「どうしたんだよ。何かあったのか?工藤も、聖も…」

漫画を開きっぱなしにし、聖の携帯に電話を掛けてみても一向に繋がる気配すらなく、俺は充電の終わった携帯電話を手にしたままいつの間にか眠ってしまっていた。
その夜は夢も何も見ないまま、朝まで…。




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