01


期末テストを無事に終え、終業式を明日に控えたその日。
たいして何も入っていない鞄を肩にかけて俺は教室を出た。

「廉、また明日な!」

「おっ坂下。気を付けて帰れよ」

かけられた声に返事を返しながら下駄箱で上履きからスニーカーに履き替える。

「ん?」

そして外に出て、校門の辺りがざわざわと騒がしい事に気付いた。

「何だろ?」

それは工藤が来た時と良く似ている。けれど、それは有り得ない。
喫茶店で会話を交わしたあの日から今日まで、俺は工藤に会っていない。
電話やメールでやりとりはするけど。
靴を履き替えた俺は、騒ぎの元を気にしつつ校門へと足を進めた。
するとそこには…。
第二ボタンまで開かれた白のワイシャツに、黒のズボン。邪魔だったのか、胸ポケットに無造作に突っ込まれた臙脂(えんじ)のネクタイ。鞄は無いようで、門に背を預け、片手でつまらなそうに携帯電話を弄っている珍しい人の姿が。
何より、生徒達の目をひいているのはその整った容姿に、赤い髪だった。

「聖…」

思わぬ待ち人に目を見開く。
聖ともあの日から会っていなかった。
周囲の視線が俺に向いたのも構わず聖に駆け寄れば、聖は手にしていた携帯を閉じて、ポケットにしまった。

「聖。何かあったのか?」

門から背を離した聖は、駆け寄った俺を真っ直ぐに見下ろしてフッと笑う。
そんな、いつもと変わらない態度に俺はホッとしながら聖と視線を合わせた。
すると、何を思ったのか聖は右手を持ち上げ、俺の頬に触れてきた。

「聖?」

耳にかかった髪を掻き上げられ、聖の指が左耳をなぞる様に滑る。
「廉」
やっと口を開いたと思えば、何だかむずむずする様な低く甘い声音で。俺の体は無意識に震えた。

「っ、な、何?」

「目ぇ閉じろ」

そして、時間も惜しいと徐々に近付く聖の端整な顔に俺は慌てた。

「え…?は?ちょっ…!聖!?」

聖の胸に手を付き、押し返す。ふっと鼻先にかかる吐息に、もはや頭の中はパニック寸前で、俺は現実から逃げるようにギュッと目を瞑った。
その直後、
ちょんと口端に柔らかい感触。同時に、左耳の辺りでパチンと何か小さな音を聴覚が拾った。

「お前に紅は似合わねぇ」

アカ…?
ひっそりと囁かれた言葉に、混乱に陥りそうになった思考はぎりぎりの所で留まる。

「ひじ…り?」

恐る恐る目を開ければ、間近で視線を絡ませた聖がニヤリと笑った。
そして、今度は唇にふにっとした柔らかい感触が…。

「―――っ!?」

押し返す前に、一瞬で離れていったソレは紛れもなく聖の唇で。

「じゃぁな、廉。俺はLarkを抜ける。お前の用意してくれた居場所は悪くなかったぜ」

「聖、待っ―!!」

伸ばした手は僅かに届かず、そこには顔を真っ赤に染め、立ち尽くす俺だけが残された。

「大丈夫か、廉」

「廉ちゃん!」

呆然と立ち尽くす俺に、ざわざわと下校途中の生徒達が何か言う。
けれど俺はそれどころじゃなくて。
聖がLarkを抜ける?
何で?どうして?
聖まで離れていってしまうのか。
漠然とした不安に瞳が揺れる。悪い方へと思考が転がりそうになった時、不意に誰かに肩を掴まれた。

「廉!」

「廉ちゃん!」

その力強い声に、思考の渦から引き戻され、俺は目の前の人物に焦点を合わせた。

「あ…、蓮夜先輩、梓先輩」

そこには、心配そうに俺を見下ろす二人の先輩がいた。そしてここが学校の校門だと思い出す。

「あっ、俺、その…」

「落ち着け廉」

俺の肩に置かれていた蓮夜先輩の手がゆっくり下ろされ、梓先輩が口を挟む。

「蓮夜。ここじゃ廉ちゃんも落ち着かないだろうし移動しよう?」

「そうだな。廉、平気か?」

二人の気遣いに俺はうんと一つ頷き返した。
俺は前を歩く蓮夜先輩の広い背中を見ながら、チラリと隣を歩く梓先輩を見て、申し訳ない気持ちになる。

「ごめん、先輩。蓮夜先輩とデートだったんじゃ…」

二人は俺より二歳上で、三年生。蓮夜先輩はバスケ部部長で梓先輩は料理部部長。二人は幼馴染みで、恋人同士でもあった。
俺とはちょっとした事がきっかけで仲良くなって、学年が違うにも関わらず二人は俺に良くしてくれていた。

「ううん、気にしないで。蓮夜も私も廉ちゃんの方が心配だったから」

そして俺達は学校から少し離れた場所にあるファストフード店に入った。
まずお昼をどうするのか聞かれ、妹はまだ学校から帰って来ないしと答えれば、蓮夜先輩が三人分のお昼を買いに席を立つ。

「あっ、先輩!俺が…」

「いいから、廉ちゃんは座ってなさい」

席を立とうとしたらテーブルを挟んで正面に座った梓先輩に引き留められ、結局全てを蓮夜先輩に任せることに。

「ねぇ、廉ちゃん。詳しくは聞かないけど、もし何か困った事があったら私達に言ってね。力になれるかどうか分からないけど」

そう言ってジッと真っ直ぐ俺の目を見てきた梓先輩に、ふっと俺の中で起きていた混乱が落ち着いていくのが分かった。

「…うん。ありがとう」

そうだ、まず隼人に連絡をとって。それから…
どこか強張っていた表情が緩み、俺は小さく笑みを溢す。

「ん。やっぱり廉ちゃんは笑ってる方がいいわ。可愛い」

「おい梓。廉は確かに可愛いけど、あんまそう言ってやるな。男が可愛いって言われても嬉しくねぇぞ」

にこにこと笑う梓先輩に、俺が困った様に笑っていれば、手にトレイを持って戻ってきた蓮夜先輩が梓先輩をたしなめる様に言った。

「あ、ごめんね廉ちゃん」

「ううん。気にしてないから」

「俺達に遠慮なんかするなよ廉」

カタリとトレイをテーブルに置き、蓮夜先輩は俺の隣に座った。
それからお昼を蓮夜先輩と梓先輩と一緒に食べて俺は二人と別れた。
ちょうど一時だ…。
ばらばらと人が増えた通りを向日葵へと足を進める。
歩きながら鞄から携帯を取り出し、隼人と連絡をとろうとパチンとフラップを開く。

「ん?」

すると、いつ受信したのかメールが一件入っていた。

「誰だろ?」

カチカチと操作してメールを開く。

「っ、工藤からだ」

件名には元気か?と一言。
二日前に電話で話したばかりなのに。
そう思うも、俺は何だか嬉しくて笑った。メールの本文を読もうと、人通りのある道の端に移動して足を止める。

「えっと…」

《…八月最後の週に隣町で花火大会があるんだけど一緒に見に行かないか?出店もあるし、お前が良ければ昼から遊ぼうぜ》

「花火大会?」

更に本文に目を通して俺は驚いた。
それは一月先の約束。その頃にはまた工藤は俺の隣を歩いているんだと言われた様で。

「あぁ…、そっか」

離れたけど繋がりが切れたわけじゃなかった。
俺はポチポチと行きたいと打ち込んで直ぐに返信する。
そして、少し不安の軽くなった心で、隼人へと電話をかけた。
まだ間に合う。
聖はLarkで過ごした時間は悪くなかったって言っていた。
何も言わず抜ける事も出来たのに、わざわざ俺を待ち伏せしてまで会いに来た。
きっと俺の知らないとこで、何かが起きているんだ。


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