02


ざわざわといつもは騒がしい食堂。
それが何故か鷹臣と瑛貴が肩を並べて食堂に足を踏み入れた途端、ピタリと一斉に音が止む。
しかし、鷹臣は特に気にした様子もなく、瑛貴を連れていつも通り生徒会専用のテーブル席に着く。

「えっ、何で?」
「ウソだろ?」
「何でここにウルフとタイガーが…」
「あそこは生徒会役員専用の席なのに」
「そんなこと今はどうでもよくない?ねぇ、誰かな、あの人達」
「お二人とも格好いい〜」
「おいおい、どうなってやがんだ」
「何でアイツらがここにいんだよ」
「そもそもタイガーは…」

ひそひそと囁く声と動揺した様な声が食堂の中、広がっていく。

「ふぅん…」

その声を右から左に流していた鷹臣は目の前に座った瑛貴が周囲をちらりと流し見てこぼした声に反応する。

「ウルフ?知り合いがいるのか」

「見知った顔がいくつかあるな」

それは夜の街で。当然ウルフと肩を並べて夜の街で暴れていたタイガーも知っている顔というわけだが。今現在記憶を失っている鷹臣には誰が誰だか分からないのだろう。もし分かっていたとしても、鷹臣の眼中にはなかったかもしれないが。

二人はそれだけ言葉を交わすと周囲の事など気にせずにウエイターが運んできた料理に集中し始める。ここにはご飯を食べに来たのだから当たり前だが。それが当たり前ではない人間もいるようで…。

ぞろぞろと数十名の人間、学園の生徒達が二人の座るテーブル席を囲むように集まってきた。
そして、その中でもリーダー格と思われる明るめの茶髪に大柄な体躯の生徒が二人に向かって口を開いた。

「何でここにいるのか知らねぇが、俺は運が良い。表に出ろタイガー」

どうやらタイガーこと鷹臣に用事があるらしく、その生徒は鷹臣に向かってそう告げた。しかし、それに対する鷹臣の返答は無言。
瑛貴の唇が面白そうに歪む。

「おい、きいてんのか!表に出ろっつてんだ、タイガー!半年前、てめぇが潰したチームのこと忘れたとは言わせねぇぞ」

「だとよ、タイガー」

名指しで声を掛けられてから、ストンと表情を無くした鷹臣に瑛貴は促すように声をかける。
ぞっとするほど美しく涼やかに瞬いた青い瞳の奥に鋭い光が見え隠れする。すぅっと瑛貴から男へと流れた視線が冷ややかに男を捉える。

「そんなこといちいち覚えちゃいない」

「なんだと!」

そう覚えていない。何も覚えていないのだ。
男の言葉を耳にした途端、鷹臣の中に苛立ちが生まれた。

「あんだけ好き勝手やっておいて、忘れただと?ふざけんなよ!こっちはサツにパクられた仲間もいるんだぞ!」

続けられた男の言葉が鷹臣の耳を素通りしていく。覚えていないものは覚えていないのだ。
鷹臣の口から普段よりも一段と低い声が漏れる。

「うるさい、黙れ」

「あぁ?なんだとてめぇ!」

注目を集め出した男とざわめき出した食堂内の生徒達。それら全てが…煩わしい。

そう胸の内に抱いた感情に鷹臣は既視感を覚える。これは以前にも感じたことがある感覚。
それは…。

「っ、てめぇ!無視してんじゃねぇぞ!」

黙り込んだ鷹臣に茶髪の男が掴みかかる。
だが、その手が鷹臣にかかる前に鷹臣の直ぐ側で発せられた甘さを滲ませた声音が鷹臣の意識を揺さぶった。

「お前の好きにしていいんだぜ、タイガー」

そして、その声が無意識に鷹臣を動かす。
その瞬間から鷹臣の頭の中にはここが学園の食堂であることや他の生徒達の注目を集めていることなど全てが吹き飛ぶ。
ただ、目の前の自分の邪魔をする者。煩わしいと感じたもの、それら全てを排除しようと動く。

掴みかかってきた茶髪の男の腕をかわし、ガタンッと椅子を倒して立ち上がった鷹臣は握りしめた右拳をそれが自然の流れであるかのように男の腹へと突き刺した。

「ふぐぅ!ッ、てめっ…!」

腹を押さえて前屈みに身体を丸めた男の背中を冷ややかな青の眼差しが見据える。うっすらと形作られた弓なりの唇が緩やかに吊り上がった。

「くっそ、てめぇらもやっちまえ!」

腹を抱えたまま苦しい息を吐き出した男が周囲を固める仲間に号令をかける。それを耳にしながら鷹臣は目の前で腹を抱える茶髪の男に向かって容赦のない追撃をかけた。

「ぐぁっ!?」

無防備になっていた男の背中を蹴りつけ、その流れのまま襲いかかって来ようとした男の仲間をガードした右腕の上から蹴り飛ばす。

「ぅあぁぁっ!!」

「キャーーッ!」
「やだっ、なに!?」
「怖いっ、逃げよう!!」

鷹臣に蹴りつけられた二人は周囲にあったテーブルや椅子を巻き込みガシャーン!という派手な音を立てて地面に倒れ込む。
それだけで一部を除いた学園の生徒達はパニックに陥った。突然の暴力に、我先にとこの場から逃げようと食堂の出入口に殺到する。

「押さないで!」
「早く行けよ!早く!」
「誰かっ、風紀に連絡!!」

その間にも鷹臣に殴りかかった生徒の一人が左頬を腫らして崩れ落ちる。
ついには鷹臣自らその内の一人を掴まえると強烈な膝蹴りを男の腹にお見舞いする。

「がはっ!?」

爛々と輝き出した青い瞳にじわりじわりと体内から込み上げてきた熱が宿る。

「あぁ…そうだ」

うっすらと美しい笑みを刻んでいた唇が吐息をこぼすように呟く。迫り来る右拳をかわし、カウンターで返す。

「うごっ!?」

顔面に拳を受けた男が鼻血を撒き散らしながら、その場で仰け反るように倒れ込む。
…飛び散る赤い飛沫。その色で己の拳を染めた鷹臣は気分が高揚するがままに笑った。

「そうだ。俺はタイガーだ」

蕩ける様な熱い熱と艶を帯びた視線が一瞬交差する。
瑛貴はただその視線に口端を吊り上げて応えた。

「思い出したようだな」

くつくつと喉の奥で笑って、一人優雅に椅子に座ったまま鷹臣が作り出す地獄絵図を愉しげに眺める。

「いいぜ、タイガー。それでこそお前だ」



***



「どういう状況だこれは!」

数分後、鷹臣が全ての生徒を返り討ちにした頃。食堂に入ってきた風紀会長東雲 昂輝が食堂内の惨状に目を見張って声を上げた。

「どうもこうも見ての通りだ」

「てかさ、何でウルフとタイガーがここにいんの!?いつから!?うちの生徒だったの!?」

「はぁ…いつ見ても格好良いよな」

冷静な芦尾の返し。正常な反応を見せた田町に二人をうっとりとした眼差しで見る伏見。その内、田町の質問に答える声があった。

「ウルフ…、もとい高杉 瑛貴先輩は今日から三年S組に編入してきた編入生ですよ」

生徒会書記の肩書きを持つ椿が東雲の後ろからひょっこりと顔を出してそう告げた。
しかし、それだけでは田町の疑問は半分しか解決しない。
その場に残っていた一部の生徒、暴力沙汰に免疫のある不良達の視線が物言いたげに自然と東雲の元に集まった。

その疑問は東雲も同様に抱いている。だが、その前にやることがある。

「風紀委員!こいつらを保健室に連れて行け」

東雲は食堂の出入口に待機させていた他の風紀委員を食堂内に呼び入れると、倒れ伏す生徒達をそれぞれ担架や台車で保健室に連れていかせた。
それから動きを見せないタイガーとこちらを愉快そうに眺めるウルフ、瑛貴に東雲は向き合った。

「編入そうそうやらかしてくれたな」

「ふん、やったのは俺じゃないぜ」

瑛貴は側に鷹臣を引き寄せると、一人椅子に座ったまま不遜な態度で答える。ちらりと東雲の視線が黙したままの鷹臣に向く。

「タイガー…。お前、この学園の生徒だったのか」

「くっ…ははっ!」

その台詞に瑛貴が我慢出来ずに笑い声を上げた。

「何がおかしい?」

「何がって、全部だ。これほどおかしいものはねぇ。さすが、俺のタイガー。お前はいつも俺を楽しませてくれる」

「え、どゆこと?」

思わず田町が口を挟む。しかし、瑛貴は相手にするつもりはないらしく椅子から立ち上がった。

「おい、待て。ウルフ。それにタイガー。学生証を提示しろ。これだけ騒ぎを起しておいてお咎めなしとはいかないからな。風紀として…」

「好きにしろ」

東雲の言葉を遮って鷹臣が口を開く。
風紀が問題を起こした生徒達の学生証を確認し、学生証に振られた学籍番号をペナルティを与える為に控えていることは生徒会長である鷹臣は知っている。それをもとにブラックリストなるものが存在するのも知っていた。

「いいのか?」

東雲の要請にあっさりと応えた鷹臣に瑛貴が意外そうに問う。そこに含まれた意味を違わずに受け取った鷹臣は艶を帯びた眼差しで瑛貴を見つめ返して言う。

「別に隠していたわけじゃないからな。お前がいるならなおさら、余計なものは無い方がいい」

そう言って鷹臣は己の学生証を上着の中から取り出すと東雲に向かって投げ渡す。

「おっと!」

慌てて受け取った東雲に向かって鷹臣は淡々と言葉を紡ぐ。

「俺達はもう行く。それはしばらくお前が持ってろ」

今度は鷹臣が急かすように瑛貴の腕を掴み、足を踏み出す。
投げ渡された学生証に視線を落として、東雲は息を飲んだ。

「は…ッ!?」

掠れた声を漏らし、東雲はその学生証と背を向けたタイガーを交互に見て、上擦った声を上げた。

「ちょっと待て!!」

「え?なに?誰だったの?」

動揺を露にする東雲に好奇心を隠しきれない田町が近付く。
そして、ひょいとタイガーの学生証に目を通した田町も驚きに大きく目を見開いた。

「北條…鷹臣ッ!?」

「待て!北條!」

名前を読み上げた田町の声と鷹臣を呼び止めようとする東雲の大声が重なる。

「はっ…!?マジか…!?ウソだろ?」

「なるほど…」

「へぇぇ…」

露になったタイガーの正体に芦尾も目を丸くする。椿は何故か納得したように一人頷き、その隣で伏見がよく分からない感心したような声を漏らす。

「北條って…生徒会長のか!?」
「はぁぁ!?」
「ンなわけっ…あるかッ!」
「東雲!ソレ、貸せ!」
「俺にも見せろ!」

背後でざわめき出した不良達の声を全て無視して鷹臣は瑛貴と共に食堂を後にしたのだった。



***



気が付いたら全てを思い出していた。

自分が夜の街でタイガーと呼ばれ、恋人兼相棒でもあるウルフと共に夜の街の中で暴れまわっていたことを。そして、昼間は七泉学園の生徒会長として大人しく学園生活を送っていたことを。

「ん…、えい…き」

隣にあるぬくもりに手を伸ばし、触れる。
先程まで熱かった身体は心地の良い体温に包まれ、眠気を誘ってくる。

「どうした?起きたいのか?」

素足をベッドの中で絡める。間近で持ち上がった瞼が、甘い色を宿した赤い瞳が鷹臣を見つめてくる。それだけで、鷹臣の心は喜びに震えた。

「瑛貴…」

「ん?」

「ウルフ…、好きだ」

「俺も好きだぜ、タイガー」

「全部、思い出した。やっぱり全部、俺が原因みたいだ」

鷹臣は半年前の事を思い出して、自嘲気味に笑う。

半年前。鷹臣はなりたくて生徒会長になったわけじゃない。ならざるを得なかったからなっただけ。生徒会役員という役職はもとから拒否権のない指名だ。面倒事を嫌う鷹臣には殊更面倒だった。前会長からの仕事の引き継ぎや職務の仕方。覚えなければならない仕事に加え、自身のスマートフォンには見知らぬ番号からの連絡が増え、苛立った末に物理的に自分で破壊した。更に会長という役職についてから周囲からの視線が増した。学園内では常に見られるようになり、無意識の内にそれらを意識の外へと遮断するようになった。

「忙しくてお前にも会いに行けなくなった」

でも、会いたいという思いは募るばかりで。
そこに煩わしいと思う出来事も重なってきて。
なら、いっそ…全てを切り離してしまえば何にも感じなくなるのではと思ったことがある。

「お前と出会う前の俺がそうだったように。何にも関心がなければ、煩わしさを覚えることもないだろう」

そう、その矛盾を解消する手立てが一度全てを忘れることに繋がったのだと思う。だから俺は記憶を失った。

「まぁ、失ったというより、一時的に封印したに近いか」

そして、その封印を解く鍵は瑛貴の手の中にあった。それもまた無意識に鷹臣が求めた結果か。ただ一人、鷹臣が自分の身を安心して委ねられる相手。それがウルフだった。

「自分勝手過ぎる話だ。さすがに怒っただろ、ウルフ?」

静かに鷹臣の言葉に耳を傾けていた瑛貴は半年もの間、連絡一つも寄越さず姿を消していた鷹臣に対して怒りをぶつけるどころか微かに口端を緩める。

「いいや、怒ってねぇよ。言っただろ。記憶がなくてもお前はお前だ」

「瑛貴…」

そっと吐息を奪うように重ねられた唇が愉快そうに囁く。

「面白いものも見れたしな」

「ん…ッ、…瑛貴…?」

「明日はこの格好で登校してみるかタイガー?」

黒髪ではなく、金髪に染めたままの髪に口付け、瑛貴は笑いながら言う。しっとりと濡れて煌めく青い瞳がそんな瑛貴の姿を映して、ゆるりと細められる。

「お前の好きにして良い」

鷹臣は自らの身を全て委ねるように、瑛貴の唇に唇を重ねてその身を預ける。お返しとばかりに甘く唇を噛んで、ふっと艶やかに笑った。



翌日、揃って学園に登校しようとした鷹臣と瑛貴だったが、二人は寮から出るどころか、部屋から出たところで足止めをされていた。

「はぁ…、マジで北條か…」

「だったら何だ」

「話がある。高杉、お前もだ」

「はっ、俺達にはそんなもんねぇな。そこを退け」

廊下で待ち構えていた風紀会長東雲 昂輝は凛とした空気の中に狂気を滲ませたタイガーとウルフを前に腹を括る。
これからも平和な学園生活を維持して行く為に。
そして、それが無理であることも頭の片隅で理解しながら。



END.

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