02


廉、と優しく鼓膜を揺らす低い声に微睡んでいた意識が揺り起こされる。

「ん…、せんぱい…?」

この声は。そうだ、工藤の声だ。

「…廉」

先程まで一緒にいて。俺がLark[ラーク]、工藤がDoll[ドール]。別々のチームを率いていて。それで工藤が。それで俺は…。

ぼんやりと夢で見ていた光景が断片的に頭の中に残っていて、俺は僅かに微睡みの中の余韻を引き摺りつつ名前を呼ばれたことに対してうっすらと瞼を持ち上げた。すると視界の先にも工藤がいて、ふにゃりと笑みが零れた。だってなんか胸の中が温かくて、可笑しかったから。

「くどー…先輩って、どこにでもいるんだな」

俺の夢の中にまでいて、格好良かった。

それが何故だかおかしくて、心がくすぐったくて…笑みが零れる。
その言葉に茶色の双眸が微かに見開かれる。ふっと緩く笑った唇が囁く。

「あぁ、きっとお前と一緒にいたいって思ってるからだな」

廉、と再び名前を呼ばれて笑っていた俺の顔の上に影が落ちる。

「お前が好きだ」

すっと近付いて来た茶色の双眸は微かな熱を湛えていて。不思議と俺はそれを拒絶する事もなく、逆にそっと瞼を下ろして静かに受け入れていた。

「ん…」

唇に優しい感触が触れてくる。ちょっと熱くて、柔らかい。

「廉。…あんまり俺の前で無防備になるなよ」

一回、二回、三回と優しく触れて離れていった唇が熱の籠った声で言う。

「気を許してくれるのは嬉しいけどな、俺にも我慢できる事と出来ない事がある」

だからちゃんと自分で自衛はしてくれと。

困ったように言いながらも、注がれる眼差しは重なった甘い熱の余韻を残すように熱く。俺はぼんやりと唇に触れた熱の感触を反芻して、気がつけばぽつりと囁くように言葉を返していた。

「なんで…?嫌じゃないよ、俺」

それは唐突に。すとんと胸の中に落ちてきた感情。俺は自然と頬を緩めていた。
だって工藤はとても優しいから。それは俺が恥ずかしく思うぐらい優しくて甘くて、いつもどきどきさせられている。工藤は格好良いだけじゃない。今だって俺を大事に思ってくれるから、そんな事を言うんだ。そんな工藤だから、俺は…。

「廉」

ゆらりと微かに揺れた瞳に視線を絡めとられる。

「…せんぱい」

夢から覚醒した頭が、俺自身がまるで夢を通して自覚した気持ちが、じわじわと身体中に染み渡るように広がっていく。顔が燃えるように熱く熱を持ち始める。
ふっと頬を緩めて笑った工藤の向こう側には気持ちいいほどの青空が広がっている。けれども俺の意識は鼓膜を揺らす低い声に引き付けられたままそこから離れられずにいた。

「今、お前の返事を聞いてもいいか?」

「……っ」

工藤は自分で言った通り、こんな俺をずっと待っていてくれた。
告白された日から三ヶ月余り。工藤は先輩として、友達として、決して俺に無理強いはしてこなかった。俺は大事にされていた。そうと分かるぐらいに、こと恋愛に関しては鈍く経験値も無い俺でも分かるようになるぐらいには。

でも…。

実際に直面すると緊張と恥ずかしさで言葉が出せなくなる。工藤は何度、勇気をもって俺に気持ちを伝えて来てくれたのか。それを思うと俺もちゃんと言葉に出して伝えたい。伝えなければと思うのに。

「そのっ…俺は…」

どくどくと逸る鼓動がうるさい。工藤にまで聞こえているんじゃないかと思うぐらい激しく鼓動する胸が苦しい。俺は無意識に学ランの袷をぎゅっと右手で掴んで、それでも、どんなに恥ずかしくても凛とした眼差しは工藤からそらさずに口を開く。

「…すき、です。…せんぱいのこと、好きです…っ」

言ってしまった。言えてよかった。
顔だけじゃなく全身が熱い。けれども何とか言葉に出来た想いに、視線の先で工藤が酷く嬉しそうに笑った。

「…っ」

先輩の顔でもない、友達の顔でもない。僅かに少年のようなあどけなさを残しつつも、ゆるりと崩れた男の顔に目を奪われる。初めて目にするその笑みにどくりと鼓動が跳ねて、きゅうと心が震えた。

「……かわいい」

気付けば俺はそう零していた。俺の前ではいつも格好良い工藤が可愛く見えた。しかし、その呟きはすぐに掻き消される。

「可愛いのはお前の方だろ」

顔が真っ赤だと上から覗き込むように顔を近づけられて、鼻先に唇を落とされる。その時になって俺は自分が工藤の足の上に頭を置いて、横になっていたことに気付いた。

「わぁっ!?わわっ!ごめっ…!」

鼻先に触れた唇に恥ずかしさもあって、俺は慌てて身を起こす。

「っと、そんな急がなくても…あ!」

「え?なに?」

ふっと笑った工藤だったが、何かに気付いた様子で声を上げた。それにつられて俺も挙動不審になる。
その時だ。キーンコーンカーンコーンと校舎の中から鐘の音が聞こえてきたのは。

「やばっ!今の予鈴?本鈴?」

急に現実に引き戻され、俺は慌てて弁当箱の包みとアイスのゴミを入れた袋を手に取る。工藤も昼のゴミを入れた袋を回収して俺の質問に答えた。

「安心しろ。予鈴の方だ。予鈴の前にお前を起こそうとしてたんだ」

お前が遅刻したら可哀想だと思ってな。俺は別に遅刻しようとたいして気にしないが。

工藤はそう言いながら再びゆるりと頬を緩めて、俺に甘さの混じった視線を投げて来る。

「うっ…」

冷静になった頭で受け止めるにはまだ早かったかも知れない。胸がどきどきして落ち着かない。

「そんなあからさまに困った顔するな」

「だって。工藤はどうしてそんな普通でいれるんだよ」

ちょっとだけ恥ずかしさもあって、八つ当たりするような言葉が口から飛び出す。

「普通か…。普通に見えるだけで、本当はお前のことをこの場に引き留めたいぐらい舞い上がってるんだぜ」

「え…」

「やっと想いが通じたんだ。もっとお前と一緒にいたい。お前の一番近くに。恋人として触れたい」

真摯に語られる台詞の数々にぼぼぼっと再び全身が熱を帯びた様に熱くなる。

「あの、それは…」

そして、とうとう耐え切れずに俺が視線をさ迷わせれば工藤は一旦言葉を切って苦笑を浮かべた。俺の反応が分かっていたように、その場から立ち上がると屋上の扉を開けに向かった。

「焦らなくていい。…廉。俺はお前の気持ちを大事にしたい」

さっ、早く行かねぇと本当に授業に遅刻しちまうぞと扉を開けて振り返った工藤が言う。

「工藤…」

俺がどうしていいか分からずにいる時、工藤は必ず最後に逃げ道を用意しておいてくれる。何故だかその行為に今朝の会話が頭の中を過ぎった。

俺の前では格好良くいたいのだと。そんなの。

俺は弁当箱の包みとゴミの入った袋を片手に屋上の扉脇に立つ工藤の元へ向かう。扉をくぐる直前、ちらりと工藤を見上げて言った。

「そんなこと言うなら俺だって」

「廉?」

「そりゃ、俺は工藤みたいには出来ないけど。…俺の前でだって格好つけるなよ。俺はどんな工藤だってみたい」

目元を赤く染めたままキッと工藤を見据えて少しばかり早口で言い切る。

「放課後、昇降口の前で待ってるから」

言うだけ言ってふいと視線を切る。俺からの誘いに工藤は少し驚いた様子であったが、そのまま言い逃げする様に階段に足を向けた俺の背中にしっかりとした力強い声が返される。

「あぁ。デートしような」

「で…っ、うっ…、う…ん」

間違ってはいない。先輩後輩、友達。その関係が少し変わっただけで、恋人という甘い響きを伴ったものに変わっただけで、何故こうも意識してしまうのか。俺は声を上擦らせながらも何とか小さく頷き返して、それから階段を駆け下りていく。その背中を階段上から工藤が愛おしげに瞳を細めて見送っていた。

「本当にお前には敵わねぇな。可愛すぎだろ」

まぁ、先に惚れた方が負けだというし。こんな負けならいつでも大歓迎だ。



***



約束の放課後。

ばたばたと駆けて来る足音が近付いて来る。帰宅する生徒やこれから部活に向かう生徒達。その人混みに紛れてその声は工藤の耳にしっかりと届いた。

「工藤先輩!ごめっ、遅く…」

なったと、一年の下駄箱に寄り掛かり待っていた工藤の元へ駆けよって来たのは待ち人である廉であった。昼とは逆の光景だ。

「帰りのHRが長引いちゃって」

「あぁ。たまにあるよなそういうこと。でも、そんなに急がなくても大丈夫だぜ。俺はここで待ってるし」

「そうかもしれないけど、俺は気にするの!」

上履きから外履きに履き替えて俺は工藤の隣に並ぶ。
その際ふっと絡められた視線に甘さが混じって、途端に俺の心臓はとくとくと早まり出す。胸がざわざわとして落ち着かない。

「んじゃ、行くか」

「う、うん」

昨日と今日。今日と明日。何が起こるか誰にも分からない毎日。だからこそ今を大事にしたい。俺はほんの少しの恥ずかしさと勇気をもって。そわそわとして落ち着かない気持ちを持て余しても、今少しだけ。

「工藤」

「ん?」

「あそこに見える雑貨屋に寄ってかないか?」

学校を出て、お店の立ち並ぶ通りを歩く。その中にある雑貨屋を指さして言えば、直ぐに頷き返される。

「いいぜ。何か欲しいものでもあるのか?」

立ち寄る店を指定したせいかそう聞き返される。俺は少し迷った後、お店に入ってから工藤の腕を掴んでそこへ工藤を案内した。

「前に妹と立ち寄った時に見つけたんだ」

目の前にはパワーストーンや誕生石をあしらったアクセサリー。飾り紐や組み紐、髪留めにキーホルダーと。細々としたものが壁に設置された網棚や平台に所狭しと陳列されている。

「へぇ、こんなところあるんだな」

雑貨屋の前はよく通るけど、入った事は無かったなと工藤はフックに引掛けられていたキーホルダーを珍しそうに手に取って言う。

「それで…」

俺は工藤が手にしたキーホルダーへ目を向けながら、ここに工藤を連れてきた目的を口にする。

「一つ選んでくれないか?」

キーホルダーならカバンに付けておけるし。
(今日の記念にもなる)
なんて、そこまでは口にしなかったのに。工藤は俺の顔を見ると当たり前の様に聞き返して来る。

「俺のキーホルダーはお前が選んでくれるのか」

確かにこれならカバンに付けて何時でも眺められるな。
そう笑って言った工藤は目の前のキーホルダーを真剣に選び始める。その姿に、まだまだ恋愛に関しては未熟すぎる俺でもあぁ、好きだなと改めて感じさせられて胸が熱くなる。

「ハムスター、うさぎ、ねこ…動物だと可愛すぎるか?」

「工藤はライオン?」

「お前今、俺の髪の色で選んだだろ?」

「だってぱっと見そうじゃんか」
(それにライオンは格好良いし)

「だったら廉はペンギンでもいいか」
(可愛いし)

「えっ、なんで!?俺そんなに丸っとしてないよ!」

「まるっとって…お前…っ、誰も体形の話なんてしてないだろ」

「だったら何でそこで俺を見るのさ」

「大丈夫だ。廉はしゅっとしてる…っふ」

「ちょっ、笑うなよ、工藤!」

賑やかな声が雑貨屋の奥で響く。

「もうっ!工藤!いい加減にしろよ」

「悪い、悪い。そうだ、廉。どうせならお揃いのキーホルダーも買ってこうぜ」

「うっ…、うん」

やっぱりズルい。工藤はどうして俺が欲しかったものばかり分かるんだろう。俺は頬が緩むのを抑えきれなかった。

「廉。これなんかどうだ?」

優しく甘さの混じった声が俺を呼んだ。






翌朝、いつもの如く一緒に学校に登校してきた二人の鞄にはお揃いのキーホルダーとそれぞれ相手を思って選んだキーホルダーが仲良くカバンの上で揺れていた。



End.




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