02


静寂から一転。大音量で流れる音楽。人々の賑やかな声。店内を照らす色とりどりの照明。
そんな階下とは対照的に照明の明るさが絞られた上階。その場に居る人間も両手の指で数えられる程度しかいない。騒がしい階下の様子は吹き抜けになっている階段近くから窺えた。

召喚状を店の入口で提示して、若者達の集まるそのクラブへと足を踏み入れた工藤は店内に居た人間に案内されるがままに店の二階へと上がっていた。ちなみに工藤がこの店を訪れるのは今日で二回目だった。
階下へと通じる階段脇に立つ男二人から視線を向けられつつ、工藤は黙って二階フロアを奥へと進む。

「こちらでお待ち下さい」

案内役の男が示したテーブルセットは意図的にか、階下からは見えない位置にセッティングされていた。

「何か飲み物をお持ちしましょうか?」

「いや…、結構」

客人であるからか工藤にも丁寧な対応をしてくる案内役の男に工藤は短く答えて首を横に振る。椅子を引いて下座へと座った工藤は自分を呼び出した相手が来るのを、さりげなく周囲を観察しながら待つ。

案内役の男は一旦下がっていき、フロアには階段脇に立つ男二人を含めて六人。等間隔でこのフロアを守護又は監視するように立っている。そして、何故か男達は一様にどこか緊張した様な面持ちで、そわそわと落ち着かなさげな空気を纏っている者までいる。
何だ?と工藤はその様子に密かに眉を寄せる。

鴉傘下、東の部隊長とされる男には、顔見せの時に一度会っただけだが、厳めしい相貌に似合わず、とても話しやすく、懐の広そうな、話の分かる兄貴分といった感じの男だった様に記憶しているが。また、チームの仲間達からもよく慕われている様に、この浮足たった感じと妙に張り詰めた緊張感とは無縁だと思うが。これは一体何なのか。
俺が呼び出されたことと関係しているのかと、工藤が思考の海に沈もうとした時、階下から人の気配が上がって来た。それに伴いフロア内の空気がぴりりと引き締まる。

先に姿を現したのが東エリアの監督を担っており、鴉内では東の部隊長と呼び名がつく、この建物を拠点としている総長、ナイトアンバー。
工藤が一度だけ面識のある男だ。そして、その後から無言で姿を見せたのは…。

「……」

工藤はそっと静かに椅子から立ち上がると二人を迎える様にその場で立って待つ。
東の部隊長と視線が合えば、口にこそ出しはしなかったものの、工藤と視線を交わした東の部隊長はそれを褒める様に厳めしい表情を崩した。

力こそが全てに見える族の世界にも守らねばならぬ礼儀はある。特例があるとすれば、それは鴉のトップに立つ人間、またはそのトップが許可した場合のみ。他には反旗を翻した人間や反乱を企てる者かいる時に見るぐらいか。

テーブル席へと歩みを進めた東の部隊長が、初めて顔を合わせる二人の仲介をする。
まず先に上座に立った男に向けて口を開く。

「相沢さん。こいつが現在Dollの頭を張っている工藤です」

相沢と呼ばれた名前に僅かに反応しつつ、工藤は紹介されたことに対して軽く頭を下げる。

「工藤。こちらは鴉の副総長様だ」

「えっ!」

名前の引っ掛かりよりも、目の前の男が鴉の副総長であるという事に驚愕を隠せず、思わず声を上げてしまう。

鴉の副総長、その肩書も凄いが、鴉の副総長と言えば鴉総長の右腕、腹心の部下ではないか。そんな人物が何故ここに?

驚きを隠せない工藤に鴉副総長として紹介された相沢 大和は常と変わらない冷静で冷ややかに見える眼差しで工藤を見る。

Dollの現総長。工藤 貴宏。十八。とある地域を縄張りとしている。Dollの創設者である筧 恭一郎はその名を鴉に連ねていた者でもあった。その他、必要と思われる情報については前もって東の部隊長から大和には伝えられていた。

疑問を抱く工藤と何の情報も表情には出さない大和を席に促がし、東の部隊長は大和の背後に控える様に立つ。その際、大和の前に飲み物を運んでくるのを案内役の男は忘れなかった。

さすがの工藤も予期せぬ大物を目の前に戸惑いを隠せない。
なぜなら、工藤の正面に座ったという事は、この人物が工藤を呼び出した張本人だという事が察せられるからだ。
しかし、心当たりのある件、件の死神の件がどう関係してくるのかさっぱり分からない。死神には鴉が動くような問題があったのだろうか。それとも俺達、Dollに何か…。

色々と思考を巡らせ不安を覚えた工藤に、相対した大和が前置きをする様に告げる。

「お前達の対応について何かを言うつもりはない。これはただの私用だ」

「私用…?」

個人的なことで工藤は呼び出されたということか。だが、それこそ工藤には思いつかない。何と言ってもこの人物と会うのは初めてだ。

不思議そうな反応を返した工藤には構わず、大和は話を先へと進める。

「大まかな内容は聞いている。その上でお前が見たままの話を聞きたい」

工藤、と東の部隊長に名を呼ばれ、工藤は何が何だかいまいち分からないままに、廉や諏訪と言った個人名及び私情は伏せてチームとしての動きを報告する。
それは東エリアを監督する東の部隊長に伝えたものとほぼ同じ内容であった。

「…それで今はうちと他二チームがバランスよく均衡を保ってる感じで。特に問題はないかと」

「他二つ、か」

短く呟いて何事か考えるように工藤から視線を外した大和に、工藤は余計なことを言うべきではないと分かりつつも口を開く。

「Lark[ラーク]とR[アール]、もし彼らに用があるのなら俺から連絡しますが」

すっと工藤に戻された冷ややかな視線が微かに緩む。しかし、それは余程大和と親しくしていなければ分からない変化だ。向けられた視線の冷たさに工藤は口を閉じつつも、譲れないものを守る為に、真っ向から大和の視線を受け止めた。

「…必要ない。用事は済んだ」

そう言って大和は話を切ると、出された飲み物には手を付けずに席を立つ。どういう事かとついていけずに工藤が大和の後ろに立っていた東の部隊長に視線を向けた時、その思考を散らすように大和のポケットから静かなメロディーが流れ出した。

「後は任せる」

大和は東の部隊長にそう告げると、携帯電話を取り出し、掛かってきた電話に出ながらその場を後にする。

「小田桐か。どうした?………拓磨が?分かった。すぐ戻る」

階下へと姿を消した大和の背中を見送り、工藤は東の部隊長と顔を合わせる。

「用は済んだって。一体何の用だったんだ?」

「確認だろう。お前の仕切るエリアはあの人の地元だからな」





心持ち急ぐように音楽の流れる店の中から出てきた青年とぶつかりそうになって、その腕を強く後ろに引かれる。

「っと、すいません。オトウトが」

「いや。大丈夫だ」

さっと軽く頭を下げた夏野に対して、短く答えた相手は道路に停車していた車の後部座席に乗り込むと颯爽とその場を出て行く。

「まったく、歩くならちゃんと前を見て歩け千尋」

「だって、夏野との久しぶりのデートだし」

浮かれすぎて、周囲への注意力が散漫になっていた。
社会人である義理の兄兼恋人である夏野は先週まで大きな仕事が入ったと言って、あまり構ってもらえなかったのだ。そりゃ、大学に通う以外は時間にゆとりもある俺とは違うのもしょうがないんだけど。分かってるんだけど。

しょぼんと高めのテンションを維持したまま落ち込むという器用な真似をする義理の弟兼恋人の千尋に夏野は仕方がねぇなと優しげにその双眸を緩めると、千尋の腕を掴んでいた手を離し、その手でぽんと千尋の頭に触れた。

「そうだな。今日はお前の行きたい所に行って、夕飯はちょっと良いものでも食べるか」

「じゃぁ、先月オープンしたっていう展望台に行ってみたい!それで、その下にあるお店で買い物して、お昼はカフェで…」

ころっと表情を輝かせた千尋は夏野を見上げて、勢い込んで言葉を続ける。その様子に夏野は苦笑を浮かべると千尋の頭に触れた手とは逆の手を持ち上げ千尋を制止する。

「分かった、分かった。お前の好きにしろ」

「やった!夏野と一緒に行ってみたかったんだ」

今日は俺が夏野をエスコートする番と、すっかり気を取り直した千尋が歩き出す。二人きりの家と違って、人目のある場所ではなるべく手を繋がずに心持ち身体を寄せて歩く。知り合いに見られても仲の良い兄弟だと見られる程度の距離で。

「千尋」

「ん、なに?」

呼び掛けただけで、嬉しそうに笑って夏野を見る千尋に夏野は内緒話をするように僅かに身を屈めて千尋の耳許でひっそりと甘い言葉を流し込む。

「昼のデートはお前に任せるけど、夜は俺の好きにしていいのか?」

ふっと耳朶を掠めるように囁かれた声に千尋の肩が跳ねる。ばっと夏野の方を見た千尋の頬がうっすらと赤く染まっていく。

「いいのか、千尋?」

再び繰り返されて、千尋はちょっとだけ恥ずかしそうに瞼を伏せてから、おずおずと夏野と視線を絡めて小さく頷いた。

「〜っ、……いいよ」

夜は全部、夏野に任せる。

「言ったな。取り消しは出来ないからな」

「そんなことしないもん。絶対に」

夏野が大好きだから。何されたって嬉しい。

千尋は最後まで言葉にする代わりに、夏野の服の裾を掴んだ。

「可愛いやつ」

ふっと夏野の表情が優しくほどけ、裾を掴んだ手を解く際に千尋の指先に触れ、一瞬絡めて、離れる。

「さ、まずは展望台に行くんだろ?」

「うん」

離された夏野の手が千尋の背中をそっと押す。
二人はそのまま並んで、仲の良い兄弟の振りをしながら人混みの中へと紛れていった。





…途切れ途切れに、そこに映るその光景を懐かしく眺めていれば、後ろからその瞳を塞がれ、すぐ後ろに感じたぬくもりに身体を包まれる。

「またそんなものを見て、故郷が恋しいか。カケル」

「ライ…」

鼓膜を震わせた声は低く、何処か咎めるような音を伴っている。ライヴィズに背中から抱き締められると同時にその手で目隠しをされたカケルはライヴィズの腕を叩くと、その目隠しを解くように言う。

「そうじゃない。俺が姿見に触れたら勝手にこうなったんだ」

「ふむ。…魔力制御がまだ上手くいかぬか」

ふわりと外された目隠しの先、こことは別の世界を映していた鏡面にライヴィズの長い指先が触れる。ピリッと静電気の様な紫の光が鏡面の上を走ったと思ったら、次の瞬間には次元を繋いでいた魔力を断ち切られ、姿見は元の役割を取り戻していた。

鏡面に映るのは腰まで伸びた美しい銀髪に紫電の瞳をぱちりと瞬かせたカケル。そして、そのカケルをすっぽりと己の腕の中に抱き締めたライヴィズ。漆黒の髪に同じ紫電の色を持つ双眸を鏡越しに絡めるとライヴィズは鏡から離した指先でカケルの銀髪をすくい上げ、その銀糸へと唇を落とす。

「もう一度、俺様が手取り足取り教えてやろう」

ツィと何だか意味ありげに細められた双眸に、どきりと鼓動が跳ね、じわりと顔に熱が集まる。

「いやっ、俺自分で何とか…」

「出来ぬからこうなるのだろう?」

断りの言葉は被せるように告げられたライヴィズの台詞で掻き消される。

「安心しろ。悪いようにはせぬ」

何せお前は大事な俺様の妃。

「さぁ、俺様にその身を委ねろ。もう一度、じっくりと魔力の使い方を教えてやろう」

ライヴィズは囁くようにカケルの耳許で熱っぽく甘くそう言葉を紡ぐと、するりと髪から離した指先でカケルの手を掴む。

「っ、…あ、ライっ」

腰に回されていたもう片方の手がカケルのお腹に回され、ちょうど臍の下辺りに添えられる。

「大丈夫だ。そのまま身体で感覚を覚えろ」

姿見の前で、背中から感じる熱い熱に導かれる様に、じりじりと身体の内側から発生した身を焦がすような甘い熱を感じてカケルは熱い吐息をこぼす。

「あっ、…だから、やだったんだよ」

「何を言う。お前の為だ。ほら、前を見ろカケル」

前を見て、とりあえずは鏡に写る自分の姿を正しく認識しろ。深く意識すれば、身体の中を巡る魔力の流れも掴めるだろう。今はもっと分かりやすく、俺様の魔力も上乗せしてあるから、身体の中を巡る魔力も熱を帯びて感じられるだろう。

「姿見を使って寝室への扉を開ければ今日の所は終いにしてやろう」

「はっ…、ばか野郎。…そんなこと…」

そんなことしたら、その後どうなるか。
カケルだって分からないほど馬鹿じゃない。

何とか姿見に触れた指先に意識を集中して、カケルはライヴィズの寝室以外、執務室への扉を思い描いて鏡面に波紋を起こした。

果たして、行き先は二人のみぞ知る。





End.



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