垣間見る日常


登場人物
相沢兄弟、大和が高校生の時の話
大和(兄)と隼人(弟)




相沢 大和には三つ年下の弟がいる。名前は相沢 隼人といい、両親が共働きの為、大和は小学生の頃から隼人の面倒を見てきていた。とはいえ隼人はそれほど手のかかる弟ではなかった為、大和がしてやったことはそれほど多くはなかった。
そして、その弟がどういう選択の末か、今年度から兄の通う清楠(せいなん)高校へと進学を決めていた。

その事について大和は別段何も言わずに、弟の決めた事とある意味静観していた。
また、隼人も隼人で、兄である大和に何か報告をするわけでもなく。
兄弟は仲が悪くもなければ、それほどベッタリというわけでもなかった。

新学期が始まってからも、学年が三年と一年では特に交わることも無く。日々は変わらずに過ぎていった。

そんなある日。

「お。あれ、相沢の弟じゃね?」

黒板に自習と書かれた教室で、グラウンドの見える窓側の席に座っていた大和とその友人二人がその声に釣られて窓の外を見る。
するとちょうどグラウンドでは友人の一人が口にした様に一年のクラスがグラウンドを使用して体育の授業をやっている所だった。

「弟と言えば…。そういや俺も昨日見たぜ、駅前で。何か黒髪ショートの小柄で可愛い彼女と一緒に食べ歩きデートしてたな」

「えっ、マジで。良いなぁ…」

「おい、大和。お前、弟に先越されてるぞ」

グラウンドに視線を向けていた大和は友人達の茶化す声に、弟と共に目撃したという彼女の存在を脳裏に描いていた。
確かに大和もその存在を見たことがある。もちろん会話だって交わしたこともある。黒髪ショートで、ぱっちりとした大きな瞳。背は低めで、声もまだ高めの…彼。弟より更に一つ下の弟の友人、坂下 廉だ。

近くから見ても、遠目から見ても廉という少年は性別がまだ判りづらい年齢ではあった。
その廉を彼女と見間違えた友人に大和は淡々と現実を突き付ける。

「羨ましがってるところ悪いが、お前が見たのは男だ」

まったく動じた様子のない大和からの返事に逆に友人達の方がざわついた。

「ははっ、またまたぁ…。大和がそんな冗談言うなんて…」

「俺が冗談で言うと思うか?」

「ーってことは………嘘だろ!?本当にあの子、男の子なのか!?」

「なに、そんなに可愛かったの?」

「お前が見間違うほどって、俺も見てみたかったなー」

ちらと期待を込めて流された視線に大和はいつも通りの冴えざえとした眼差しで答えた。

「見たいなら好きにしろ。協力はしないがな」

「えー…そこを何とか!」

それほど気になるのか友人の一人が拝むように両手を合わせて大和を見る。

「いくら拝んだ所で協力はしない。その馬鹿な努力を自分に回せ」

しかし、大和は言葉一つですげなく撥ね退けると、自力で彼女を掴まえろという遠回しな言葉を付け足して返した。

「ちぇー…大和は良いよなー。お前は黙ってても女の子の方から寄ってくるもんな」

「ばっか!それだって大変なんだぜ。俺だったら絶対嫌だ。そんなの彼女が出来ても、彼女が可哀想だろ」

「まぁ、どっちにしろ俺達には分からない悩みだけど。彼女が出来たら教えろよ、相沢」

「…そういうお前は確か、一昨日位前に他校の制服来た女子と歩いてたな」

騒がしい三人の友人達の輪に加わりながら大和が御返しとばかりに話の矛先を自分から他人事の様に話を終わらせようとした友人に向ける。

「えっ、何だよ!本当の裏切り者はお前か!」

「おいおい、聞いてねぇぞ。怠慢だ、怠慢。報告がなってないぞ、菅崎」

「あ、相沢!あれは黙っててくれても…」

「約束をした覚えはない。それにお前の方が女子を口説くのは得意だろう?」

教えてやったらどうだと、大和は緩く口許に弧を描いて話を進めた。
大和自身はそれほど目立つような生徒では無かったが、冷涼な空気を纏った涼やかな容姿に冷悧な頭脳、それが大人びているだとか、クールだとか、女子達の間では密かに人気を集めていた。また、自習時間に集まってきた賑やかな友人達との交流が大和の冷たい雰囲気を和らげ、時折溢される笑みが知らず人気を高めていたのだが、本人はその事に気付いているのか、いないのか…。

そして何より大和の事で今一番噂に上がっている内容が。

「相沢先輩、居ますか?」

それは帰りのホームルームが終わり、ばらばらとクラスメイト達が教室を出て行くなか、廊下から控えめに掛けられた声。
名前を呼ばれて視線を向ければ、扉から教室の中を覗くように顔を出した一年の姿があった。
礼儀正しい言葉遣いとは裏腹な、明るい金髪にやや緩めに絞められた、まだ目新しいネクタイ、ブレザー。ちょうど大和を遊びに誘おうとしていた友人の一人が、教室入口の近くに居て、一年の問いに答えた。

「大和ならまだ居るけど…」

「何だ?お前は確か…矢野だったか」

鞄を右肩にかけて、対応にあたった友人の側に近付けば、その一年の顔には見覚えがあった。ちらりとだが、弟が家に遊びに連れて来たことがある。
大和の言葉にぺこりと小さく会釈をした矢野は何処か困った様子で大和へと用件を告げた。

「あの、ちょっと隼人さんが怪我をして。それで今、保健室にいるんすけど…」

「怪我?」

「あっ、別にそんな酷い怪我じゃなくて!帰ろうと階段を下りてた時に、上階の踊り場でふざけてた男子がすぐ側を通ってた女子にぶつかって。その女子が階段から落ちてきたのを助けたんす。それでその時にちょっと足首を捻ったみたいで」

怪我という単語に眉をひそめた大和に矢野は慌てて説明を付け足す。たが、矢野の言う通りたいしたことでは無いと言うなら何故大和を訪ねて来たのか。大和は続きを聞く。

「隼人さんは一人で帰れるって言うんすけど、その助けた女子が厄介で。自分の責任だから送るって言って聞かないんすよ。俺達が一緒に帰るから大丈夫だって言っても」

それで困ってたら、保健の先生が相沢先輩を呼ぶようにって。
いつの間にか大和の隣で一緒に話を聞いていたもう一人の友人がなるほどと声を出して言う。

「その相手の女子は三年だな?」

「そうっす」

三年の女子生徒の間では大和の弟である、隼人が入学して来た事が密かに噂になっていた。大和と同じく整った相貌はもとより、隼人は誰に対しても愛想が良く、中学生から高校生になったばかりという初々しい面があった。それを可愛いと感じるかはその人次第ではあるが、女子生徒の間では概ね好感を獲ていた。

相手が上級生で、まして女子となると隼人も強くは言えないのか。はたまた言っても聞く耳を持って貰えなかったのか、大和は一番最後だろうと隼人の性格を考えて弾き出す。弟は時と場所によっては遠慮するだろうが、今の話を聞いた限り、上級生だろうと女子だろうと強く断ったはずだ。

「相沢先輩。お願いできますか?」

一緒に保健室に来てもらい、隼人を引き取って共に帰って貰えるかという矢野の窺いの視線に、大和は顎を引く。

「分かった。…お前らはついて来るな。面倒臭くなる」

大和は矢野に了承の意を伝え、友人達には野次馬しないように釘を刺した。





大和は校舎一階にある保健室に矢野と向かう。下校時間のせいか生徒玄関に向かう生徒が多く、三年と一年の組み合わせが他の生徒には珍しく映るのか時折視線を感じた。

「っだから、一人で帰れるって!なにも兄貴まで呼ぶ必要ないし、いい加減に…」

保健室に近付けば、隼人の声が聞こえた。
対して女子の声も被さるように、何を言ってるかまでは判然としないが漏れ聞こえてくる。
どうにも振り切るのに苦戦しているらしい。

保健室の前に到着した矢野が失礼しまーす、と明るい声で扉を開ける。
その一声で保健室内にいた全員が注目する様に保健室の入口を見た。

「あ…」

手当てを受けたのだろう隼人が保健医の座る椅子の前に置かれた回転椅子に座ったまま、こちらを見て目を見開く。その顔はどことなく迷惑をかけてしまったという様に気まずそうに変化した。
また、意味は違うが対照的に表情を明るくさせたのは二人だ。
保健医は良く来た!という顔を隠さず大和の登場を歓迎し、室内に居た唯一の女子生徒は薄く頬を染めた。

「慎二。相沢先輩」

隼人の側にいた、灰色髪に灰色の双眸を持つ一年。こちらも見覚えがあり、隼人が矢野と一緒に家に連れて来ていた友人、名前は陸谷だったか。疲れた様子で、二人が来た事にホッと安堵の息を吐いて二人の名前を口にした。

大和は女子生徒が口を開く前に、気まずそうにしている隼人へと視線を合わせて口を開く。

「隼人。立ってみろ」

「…だから、大丈夫だって」

言われた通り隼人は逆らうことなく、回転椅子からゆっくりと立ち上がる。
捻ったというのは右足か。靴下を脱がされ、足首を固定する様に包帯が巻かれていた。大和の視線に気付いた保健医が説明するように口を挟む。

「少し腫れて痛みもあるようだが、診たところ軽度の捻挫だ。相沢が来るまでに患部は冷やしてある。今は足首を固定するのと同時に包帯の下に冷感湿布を貼ってある」

あと三日は冷やして、その後は患部を温めろ。一週間は安静になと保健医は大和に言い含める様に言った。

「分かった。隼人、お前の荷物は?」

「俺が持ってます」

これですと、隼人の側にいた陸谷が大和に差し出すように隼人の鞄を手渡す。

「ちょっ、兄貴…!」

当たり前のように隼人の鞄を受け取った大和に隼人が慌て出したが、大和は取り合わずにその冷ややかな視線を口を挟めずにいる女子生徒に向けると、有無を言わさぬ淡々とした声で言った。

「こいつは俺が連れて帰る。いいな」

「…っ」

同学年故か隼人には食い下がった女子生徒も今度は何も言えない様子でただ首をコクコクと縦に振った。大和は言質を取ると、隼人に視線を戻して促す。

「帰るぞ」

「あ、二人とも付き合わせて悪かったな!」

「校門まで一緒に行く」

「俺も、俺も。失礼しましたー」

右足をやや引き摺りながら歩き出した隼人に陸谷がすかさず途中までの同行を申し出て、その肩を貸す。それに矢野が続き、保健室を出た後…。大和達が知らぬ続きがあった。

大和について来るなと釘を刺された友人達がお節介を焼いていたのだ。
教室に残っていたクラスメイトの女子に、矢野から聞いた話をそのまま伝えたのだ。大和の弟が三年の女子に困らされていると。

「相沢くんの、どっちが目当てか知らないけど、弟くんからの偶然の好意を利用して、家にまで着いて行こうなんて。迷惑以前に恥知らずよ」

同じ三年の女子同士、保健室にいた女子生徒は同じ女子からそう窘められたとか。
その一部始終を好奇心も相まって見守っていた男子が、女子って怖いところあるよなと可愛いだけではないことを改めて認識していた。





校門で矢野と陸谷と別れた大和は背後を振り向き、隼人に声をかける。

「足、痛むか」

「んー、まだ少し。…それより、ごめん。面倒かけて」

大和を呼び出してしまったことを気にしているのだろう。隼人は視線を落として謝る。

「あぁいうのは良くあるのか」

しかし、大和は気にした様子もなく話を振ると、視線を上げた隼人は少し考える様に間を開けてから答えた。

「よくはないけど、たまーに。兄貴にこれ渡してくれとか、伝えてくれとか、全部断るけど」

「そうか」

「ん。俺には関係無いし」

それで良いんだろう?と初めて聞かされる話に大和は肯定する様に頷く。
端から見ると冷めた兄弟間の会話に見えるが本人達からしたらそれは互いを信頼をしているからこその会話であった。

「ところで、兄貴。このまま行くと帰り道とは逆になるけど。どこ向かってるんだ?」

校門を出てから、帰路とは違う道を歩く大和の後ろを疑問には思いつつも歩いていた隼人は学校からほどよく離れた岐路に来てようやく疑問を口にした。
通常隼人は学校近くのバス停から駅までバスに乗り、駅から電車で自宅最寄りの駅まで電車に揺られる。
大和は自分の誕生日が来ると同時に、高一の冬には原付免許を取っていた。今は普通自動二輪の免許も持っており、学校には内緒で近場まで原付で通っていた。

最初隼人は大和が原付を置いている何処かに行くのかとも思ったが、どうやらそれも違うらしく。隼人が連れて来られたのはバイクの販売兼修理も請け負っているのか整備場が隣接したバイク屋であった。

「兄貴、ここは…?」

「バイト先の一つだ」

そう言って大和は慣れた様子でバイクの展示された店内へと繋がるガラス扉を開ける。店の外にも何台かバイクが停められており、整備場では作業着を来た従業員が働いているのがちらりと見えた。
慌てた様子で後をついて来る隼人を尻目に大和は店内を奥へと進むと、入口のガラス扉が開いた事で客の来訪に気付いた店長がちょうど店と整備場を繋ぐ通路から顔を出した。

「お、大和じゃねぇか。どうした、今日は。シフト入ってなかったろ?」

顔を出した店長はまだ二十代半ばあたりの青年で、仕事の最中だったのか作業着に、両手には軍手をしたままで。首を傾げるのと一緒に、うなじ辺りでちょこんと縛られた茶髪が揺れる。

「今日はこいつがちょっと足を怪我して……」

「うん?」

後ろを振り返った大和に合わせて店長の視線が隼人に向き、その顔を見てから足元へと視線が流される。
隼人はとりあえず、会釈を返しておく。

「バイク借りていいですか?」

「えっ…兄貴」

「あぁ、大和の弟か。別に構わねぇぞ。ピット横にある奴なら好きに使え」

「ありがとうございます。後で返しに来ます」

「おー…気にすんな。何日も返さねぇ奴もいるから」

とんとんと進む話に隼人は目を白黒させる。
その間にも店長は再び整備場の方へと引っ込んでしまい、大和はバイクを借りる前に隼人を連れて従業員用ロッカーの前へと移動するとダイヤル式の鍵を外してロッカーを開けた。
その中から、ハンガーに掛けられていたバイク用の黒のジャケットを取り出す。

「上にこれ着ろ。さすがに制服じゃ目立つ」

警察に捕まりはしないが、悪目立ちするのは避けたい。
そう言って大和からジャケットを手渡され、隼人はそれを制服の上に羽織りつつ、聞くタイミングを逃していた事を聞いてみた。

「ここ兄貴のバイト先だって言ってたけど、本当にバイク借りて平気なのか?俺は別に歩いて帰っても大丈夫だけど…」

「右足を引き摺ってか?悪化するから止めておけ。それにまだ少し痛むんだろ」

「うっ…まぁ、でも少しだけだし。ちょっと我慢すれば」

隼人に自分のジャケットを羽織らせた大和はロッカーの中から予備として置いていた革手袋も出し、隼人に手渡す。

「これもしておけ」

そして自分は普段アルバイト時に作業着の上に着ている別の黒に赤いラインの入ったジャケットを出して制服の上に羽織った。鞄から貴重品と免許証だけ上着に移すと鞄をロッカーの中に入れ、替わりに取り出したバイク用のグローブを手に嵌める。
ロッカーを閉じて、再び鍵をかけ直してから隼人の方を振り向いた。

「変な気を遣うな。…たまには一緒に帰るのも悪くない」

ふっと息を吐くように口許を緩めた大和に隼人は一瞬ばつの悪そうな表情を浮かべたが、次には明るい表情を見せて心配事を口に上らせる。

「でも俺、バイクなんて乗ったことないぜ。二人乗りなんかしても大丈夫なの?」

「安心しろ。振り落としたりはしない」

安全運転を心掛けると大和は隼人の不安を和らげる様に言いつつ、整備場の方へと足を向けた。
店長の言ったピット横というのは、整備場と販売店の間を繋ぐ通路脇のことだ。そこに様々な車種のバイクが並べられていた。また、販売店側の壁にくっつける様に置かれたロッカーの上にはヘルメットが積み上げられており、大和はその中から一つを選ぶと隼人の頭に被せる。

「どうだ、緩いか」

「え、よく分かんねぇんだけど」

俗に言う頭全体を護る為のフルフェイスのヘルメットだ。首を傾げて言う隼人に大和は真剣な眼差しでじっとしてろと言うと一度被せたヘルメットを外し、それから別のヘルメットを被せた。今度はきついかと聞かれて、隼人は僅かに頷き返す。

「なんとなくだけど…」

「それなら、前の方が良いな」

一番最初に被せられたヘルメットに取り替えられ、隼人はそのヘルメットを被る。
それを横目に大和はスライド式のロッカーを開けると、中に入っていたテンキー付の平べったい金庫を開けた。テンキーの鍵はバイクを借りれる一部の人間しか知らない番号だ。
金庫の中には現在使用可能なバイクの鍵が区切られた仕切りの中に入れられている。ざっと鍵に目を通した大和は借り受ける予定のバイクの鍵を手に取ると、鍵に付けられていたZEP400Χの文字と黒い鳥のマークが刻まれたプレートを鍵から外して、仕切りの中に戻した。
プレートのみ残されているのが現在貸出中になっているバイクだ。

大和は鍵のみを手にして金庫を閉じると、ロッカーを閉める。

「隼人、自分の鞄は背負っておけ」

それまで肩に掛けていた鞄をリュックの様にして背負わせた大和は、並べて停められていたバイクの中から赤色の入ったネイキッドバイクと呼ばれるバイクを選ぶと、バイクのハンドルに掛けられていたヘルメットを取る。バイクのロックを外して通路脇から整備場の方へと押して歩いた。隼人もその後を追って整備場の方へと向かう。
その途中、こちらに気付いた従業員達に大和は会釈を返して、広い場所に出るとバイクに跨る。

「左側から俺の肩に掴まって乗れ」

無理そうならそこのステップに足を掛けても良い。

「ん、ちょっと待って」

乗るよと言って、隼人は言われた通り大和の肩に掴まると右足を気にしつつ、大和に体重を預けてひょいと後部に跨った。それから大和は隼人に片手を自分の腰に回す様に言い、もう一方の手でバイクの後ろにあるグラブバーというバーを掴むように教えた。

「ふぅん…両手で運転手に抱き着くのかと思ってたけど違うんだ?」

二人乗りの注意点を教えられ、隼人は自分が想像してた乗り方と違う事に素朴な疑問を口にした。

「その乗り方も別に否定はしないが、運転がしずらくなる上、初心者には安全とは言い難い」

それよりカーブや信号を曲がる時は車体を傾けるが、下手に流れに逆らおうとするな。曲がれなかったり、事故の原因になる。

「怖かったら言え」

「怖がらせておいて言うのかよ。というか、兄貴さ。俺が怖いって言ったらどうするつもりなの?」

「それは…」

「大和っ!言うの忘れるとこだったわ!」

大和が隼人の質問に答えようとしたその時、二人の背中へ声が掛けられた。整備場でバイクを弄っていた店長が何かを思い出したようで、仕事の手を止めて大和に駆け寄って来た。

「今日の午前中に拓磨がお前を訪ねて来たんだ。今日はバイトも入ってないし、昼間は学校だろうって言ったら帰ってったんだが」

「拓磨が…。俺から連絡しておきます」

「おぉ、そうしてくれ」

んじゃ、気を付けて帰れよと店長は手短に用件を告げると隼人にも笑顔を向けてさっさと踵を返してしまう。その背中から後ろに乗る隼人に視線を流した大和は答えそびれた続きを口にして、前へと視線を戻す。

「お前なら大丈夫だ」

「え?…兄貴?」

「…行くぞ。しっかり掴まってろ」

「あぁ、うん」

エンジンの掛けられたバイクはゆっくりと整備場から走り出した。






三、四十分かけて自宅へと着いたバイクから隼人が降りる。ヘルメットを脱いで頭を左右に振った隼人は身体を解すように肩を回すと息を吐いて尻に手を当てた。

「ふぅ…。結構気持ち良かったけど、ちょっとケツが痛い」

「…最初はそういうもんだ」

尻を擦る隼人の姿にふっと息を吐くように言えば、何故か隼人はヘルメットを両手で持ったままじとっとした目を大和に向けてきた。

「笑って言われても。兄貴は肝心な事を後で言うから」

「なんだ?乗る前に言って欲しかったか」

ケツが痛くなるかもって、それはそれで間抜けすぎるだろう。
反論も封じられて隼人はそれもそうだと嫌そうに顔をしかめた。
バイクを降りた大和はヘルメットを被ったままそんな隼人の横に立つと鉄製の門扉を開けて、バイクを庭へと押して入れる。スタンドを立て、バイクシートの上に脱いだヘルメットを置くと、玄関前にある低い二段の階段を上がった。上着から取り出した合鍵で玄関の扉を開け、隼人を振り返って言う。

「お前、今日はもう出掛けるな」

後は家で安静にしていろと促されて、隼人はひょこひょこと右足を引き摺って階段を上がると仕方がなさそうに頷いた。

「そのつもり。…ありがと、兄貴」

玄関前に立つ大和と視線を合わせた隼人はお礼の言葉を口にし、それに大和は頷いて返す。

「ヘルメットとかはどうすれば良い?」

「とりあえず玄関に置いておけ」

後で回収すると大和は先に隼人を家に上げ、自分は一度開けっ放しになっている門扉を閉めに戻った。



二人の部屋は二階にあり、階段を上って奥にある部屋が大和の自室で。階段の手前にある部屋が隼人の部屋であった。
どうやら二階には上がらず、リビングに落ち着いた隼人の姿をリビングの扉越しに横目で見た大和は階段を上がると自室へと向かった。
上着を脱いで制服から私服に着替えた大和は出掛けるのに必要最低限の物を持つと再び階段を下りて玄関に置かれていた、隼人から返ってきたバイク用の黒い上着を羽織る。両手にはバイク用のグローブをはめて、リビングの扉を開けた。

「少し出て来る」

「ん?あぁ…うん」

携帯を弄っていた隼人の視線がリビングの入口に向き、頷き返される。大和はそれを見て扉を閉めると、玄関脇に避けて置いていたオールブラックのライディングシューズを履き、玄関に置いてあったヘルメットを手に家を出る。
バイクの後部にヘルメットを固定し、その上にネットをかけて更に擦れ落ちないようにすると、シートに置いていたフルフェイスのヘルメットを被った。
門扉まではバイクを押して歩き、自宅の敷地を出るとバイクに跨がりエンジンをかけた。

その後、家を出た大和は知り合いの店や知り合いのいる店を数件回って顔を出すと、バイクを市街地から郊外へと向けて走らせた。

市の中心部から僅かに離れただけで周りにはちらほらと田畑が見えて来る。その風景の中を突っ切り、再び密集して現れた住宅街の中へとバイクは入って行く。
暫くして頭の見え始めた四角い赤茶色の建物へと近付いて行き、バイクはするりとその建物の脇にある小道に入ると、行き止まりになっていたその場で停車した。路面には消えかけた白文字で駐輪場と書かれている。大和はその場にバイクを停めるとヘルメットを脱ぎ、赤茶色の建物へと歩いて行った。

建物の入口横には図書館の文字。静かに開いた自動ドアを潜り、大和は慣れた様子で図書館の中へと足を進めた。

それほど規模の大きい図書館ではない為、利用者は数人いる程度。誰もこちらに目を向けることもない。受付のカウンターにいる図書館員ものんびりとした様子で己の仕事をしている。
大和はそんな受付カウンターの様子を横目に図書館の奥へと歩いて行く。
その先には誰でも自由に利用できる学習室という部屋があった。

長机と椅子。学習室には大きめの窓から陽射しが射し込んでおり、書棚の多い図書室より幾らか明るく感じる。
また、現在学習室を利用している客は一人しかいないのか、窓辺近くの椅子に腰を下ろしているその人物に向かって大和は近付いて行った。

「…拓磨」

その人物の向かいの席の椅子を引き、大和は静かに腰を下ろしつつ声を掛ける。
するとちらりと動いた視線が大和を捉えて言う。

「なんだ。来たのか」

「俺に何か用があったんだろう?」

大和は目の前にいる自分と同い年の男、後藤 拓磨と名乗った友人に会いに来ていた。拓磨は諸事情により学校には通っていない。そして、用件だけなら携帯でも何でも連絡を付けて聞けば良い話ではあったが、どうしても拓磨の時だけはこうして直接顔を合わせて話さなければならないと、大和は拓磨と知り合ってから漠然とした危機感を己の中に抱いていた。
それを助長するのが、拓磨本人も認める人間不信から来るものであるのかは分からないが。

大和の言葉に拓磨はあぁと思い出した様に返して、上着のポケットから何かを取り出す。

「用と言ってもそんな急ぐことじゃねぇし。誰の物かも分からねぇんだ」

そう言って拓磨が机の上に出したのは深紅の鮮やかなカフスだった。

「見覚えはないが、…何処にあった?」

「今朝、玄関前に落ちてた」

志郎の物でもない。お前の物でもないとすると、残りは二人かと、拓磨は嫌そうに呟く。
拓磨がこんな顔をする、苦手な人物で、尚且つ志郎さんと拓磨の住む家に訪れる人物と言えば。

「トワさんか」

「…ソイツと、筧とかいう男が大和が帰った後うちに来た」

「でも、トワさんがカフスなんかしてるの見たことないぞ」

そうなると消去法で筧という男の物だということになる。しかし、残念ながら大和もその男の事は知らなかった。

「とりあえず志郎さんに渡しておいたらどうだ」

「……そうだな」

拓磨の用件も分かり、結論が出た所で大和は拓磨が机の上に広げていた参考書に目を移す。
その視線に気付いた拓磨がカフスを上着にしまってから、随分と素っ気ない声で言う。

「お前、暇なのか?」

「そうだな」

それはわざわざこんな所まで足を運んでという意味も含んでいたのだろうが、大和はさらりとかわすと拓磨に気付かれぬほど薄く笑って口を開く。

「どうせだから俺も少し勉強していくか」

大和は書き込みの止まっている参考書の部分を指差して、自分の習った方法を口にした。

 




少し出てくると言って出掛けて行った大和が自宅に帰って来た頃には陽は沈んでいた。

「あ、おかえり。先に飯食ってるよ」

「あぁ」

リビングに顔を出した大和は隼人から掛けられた声に短く答えると、出掛けて行った時には手にしていなかった手提げ付のビニール袋をリビングのソファに置いた。
何それ?と声には出さずに首を傾げた隼人に大和はお前のだと言って袋の中身を取り出してみせる。

「えっ、湿布?わざわざ買ってきてくれたの?」

「貰い物だ」

置いておくから使えと大和は言うだけ言ってリビングを出て行く。

「はー…相変わらず分からないなぁ。兄貴の交遊関係ってどうなってんだろ?……ま、いっか。有り難く貰っておこ」

隼人は大和の置いて行った袋を有り難く回収させて貰った。
一方、リビングを出た大和は自室に戻ると、夕飯を食べる前にバイクに乗って冷えた身体を温めるかと着替え一式を持って風呂場へと向かった。

夕飯はリビングで、隼人の作った肉多めの野菜炒めをつつく。その間、隼人はリビングのソファに身を沈め、テレビを見ていたがその途中で思い立った様に立ち上がると、風呂へと入りに行った。
ソファの上に残されていた隼人の携帯電話が軽快な音を奏でる。

「忙しい奴だな」

大和は自分とはまるで正反対な気質を持つ弟の行動にふと唇を緩めると椅子から立ち上がり、夕飯の片付けの為にキッチンに立った。
それから隼人が風呂を上がってリビングに戻ってくるのと入れ違いで大和は二階にある自室へと引き上げる。

「隼人。明日は大丈夫だな?」

「ん。矢野達が駅で待っててくれるらしいから」

その際、大和が明日の事を確認すれば、思っていた通りの返事が返された。
弟には弟の、一人の人間としての繋がりがあり、なるべくなら兄である大和は介入しない方が良いだろう。
大和はそうかと頷いて話を終わらせる。
隼人もそれ以上は何も言わず、二階へと上がって行く大和に背を向けてリビングの扉を閉めた。



END.


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