秘密(上柳×銀河)


シンと静まり返った廊下を何とも言い難い気分で歩く。隣を歩く、俺よりも頭一つ分高い位置にある男の整った顔をちらりと窺う。

こいつは一体誰だろうか?
俺が知らないだけで教師かとも思ったが、職員室までの案内を頼まれた時点でその線は消えた。ならば誰かの保護者か兄貴か。

「そういえば、案内を頼んでおいてまだ名乗っていなかったな」

ふとこちらを見返してきた眼差しと視線が絡み、男の横顔を盗み見していた俺は焦って咄嗟に男から視線を反らす。
自分でも不自然過ぎるだろと内心で呟いた行いに、しかし、男は気にした様子もなく話を続ける。

「私は上柳 裕一(かみやなぎ ゆういち)という」

君は?と訊かれ、相手が名乗っている以上は答えないわけにはいかないかと渋々答える。

「栗山 銀河(くりやま ぎんが)、…二年」

「二年生か。学校生活はどんな感じだ?」

「別に、普通っす」

「最近良くその普通という言葉を聞くが、自分の普通と他人の普通が必ずしも共通しているわけじゃないだろう?」

君の感じている普通の学校生活の話を訊いてもいいか?

反らしていた目線を戻せば、上柳は真剣な表情を浮かべていた。

「…なんで、そんなこと気にするんすか?あんた、ここに入ってる誰かの保護者?」

「まぁ…そんな所だ。だから少し気になっている」

「ふぅん…。なら、俺の話は参考にならないっすよ」

「どうして?」

どうしてって…、ふっと自嘲気味な笑みが零れる。
目線を下に落とした銀河を上柳は双眸を細めて見つめる。それには気付かず、銀河は視線を前へと向けてポツポツと話し出した。

「見ての通り俺は普通の生徒と違うんで。派手な銀髪に、片耳にはピアス。制服だってマトモに着てない。売られれば喧嘩だってするし……教師からは目をつけられてる」

そんな俺がマトモな学校生活の話なんかできるわけないっすよ。

「だから、話を聞きたいなら他の人を捕まえて…」

「俺は、君の学校生活がどうかを訊きたいんだ」

生徒玄関から伸びる長い廊下を歩き、上階へと上がる階段に足をかける。職員室は校舎の三階にあり、先に階段に上がった銀河はそこで足を止めて、まだ階下にいた上柳を振り返り見た。

「−−あんた、変わってるっすね」

「これが俺にとっては普通のことだ」

一人称が私から俺に変わり、上柳との間にあった距離が僅かに縮まった気がした。
そして、なんだか悪い気もしなかった。
教師でもない、誰かの保護者としてでもなく、上柳という一人の人間が、問題児でもある俺なんかの話しを真剣に聞きたいと言う。それはなんて、珍しい。
だからか俺は普段仲間内にしかしない話を上柳相手に話していた。

「俺の学校生活は仲間がいるから毎日面白おかしく過ごせてる。今日だってくだらねぇことで騒いで…」

階段を昇りながら、散り散りになった仲間の姿を思い出して笑みを浮かべ、次の瞬間にはその笑みを曇らせる。

「どうした?」

その変化を敏感に感じ取った上柳が口を挟み、銀河は右手で襟足で切られた銀髪に指を絡ませる。

「…俺は教師に目を付けられるのは慣れてるけど、俺の仲間は違うんすよ。あいつらは俺のせいで」

「どういう意味だ?」

階段で並んだ上柳が真っ直ぐな眼差しで銀河を見下ろしてくる。何故だか逆らえない空気に銀河は隠すことでもないしと、これまでマトモに話を聞いてくれなかった教師達に話したことと同じことを上柳にも聞かせる。

「俺のこの派手な銀髪、地毛なんすよ。俺の祖父が外国人で」

「そうか、それで綺麗なんだな」

「っ……、周りは俺が染めてると思ってるらしくて、必ず教師に目を付けられるんす。俺の素行が悪いからってのもあるけど、いくら否定しても聞く耳持ってくれる教師なんて少ないし。否定するのもいい加減面倒臭くて、放置してたらあいつらが」

仲間がある日突然、カラフルな色に髪を染めてきた。
堂島は金髪。虎野は赤髪。神楽は茶髪。
祥太郎は赤茶色。結人は青メッシュ。

「あいつら馬鹿だから…これで銀河だけ目立てねぇだろって。わざわざ教師から目ぇ付けられるようなことすることねぇのに。馬鹿っすよ、ほんと」

その気持ちを嬉しいと感じてしまった自分が一番の馬鹿だけど。
ゆるりと自嘲的な笑みが崩れる。

「良い仲間を持ってるじゃないか」

「え…」

話している間に三階への階段を昇り終え、今度は先に上柳が足を踏み出した。三階の廊下に出れば、職員室とプレートの掲げられた部屋はすぐそこだ。

「確かに勉強も大事だけどな、今しか築けない大切なこともある。その仲間達を大事にしろ。一生の宝物になるかもしれないからな」

ふわりとすぐ真横で動いた空気が、持ち上げられた上柳の右手がくしゃりと銀髪を撫でていく。

「上柳…」

「さん、をつけろ。最低でも。俺は気にしないが周囲の目がうるさいからな。こんな些細なことでお前との楽しい時間にケチが付いたら面白くない」

「…上柳、さん」

するりとすぐ離れていった右手が今度はひらりと横に振られる。

「ここまでで良い。案内ありがとう。お前はちゃんと教室に戻れ」

それじゃぁ、またな。と、上柳の視線が銀河から離れていく。

「またなって、…次いつ会うつもりだよ?」

教師でもなく、誰かの保護者らしい上柳の背中が職員室の中に消えていくのを階段の上がり口に佇んだまま見つめて、銀河が落とした呟きは誰にも聞かれることなく空気に溶けた。






「…ってことが、あったんだけど。どう思う堂島?」

その夜、寮の談話室に集まったのは六人。祥太郎は生徒会長の武長と勉強する為に不参加。メンバーの中でもリーダーである堂島に銀河は今日の出来事を話し、意見を聞く。

「どうって言われてもな…。コイツよりかはマシで良かったなとしか」

保健室で新任の最上に喰われそうになった虎野は昼休みのことをまだ引き摺っているのか、憤りを隠せずに最上について文句を垂れている。だが、この時点でもう最上の思う壺に嵌まっている気がしなくもなかった。
虎野の頭の中は最上のことでいっぱいだ。

「行かなきゃ良かったんだがな。お前ら、好奇心は猫をも殺すって注意してやっただろーが」

「んなことより堂島!何か最上の奴を返り討ちにする方法とかねぇのかよ!」

「ったく、お前は。…考えておく」

「虎野。多分、反発したら反発した分だけ自分に返ってくると思うぞ」

むしろ余計、最上が喜ぶ。
そう口を挟んだのは一癖も二癖もある教師、立浪と恋人関係にある神楽だった。

「んなの、分かってんけど…。やられっぱなしじゃ俺のプライドが許さねぇ」

堂島に続いて冷静な分析をした神楽は虎野の言い分に、それは分からなくもないなと肩を竦める。

「はぁ…悪かったな、虎野。お前一人置いてきちまったから面倒なことに」

「いや、悪ぃのは最上の奴だから。別に結人のせいじゃねぇし、結人だって風紀に目ぇつけられたんだろ?」

それも委員長に。最悪じゃねぇか。と、言った虎野に神楽と銀河が同意する。しかし、結人は微妙に顔を強張らせ、複雑そうな表情を浮かべただけだった。

「まぁ…な」

返答も歯切れが悪く、結人は深く突っ込まれる前に話の矛先を自ら変える。

「その点、祥太郎は大好きな生徒会長に飛び付いていったけどな」

「あー…あれか…」

銀河が遠い目をし、見なくても想像できる祥太郎の生徒会長へのなつきっぷりに他の面子も呆れを通り越して生温い表情を浮かべた。ただ一人を除いて。

「堂島先輩、それに先輩方も。あれはあれでいいんじゃないですか。それに人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死にますよ」

「柚木」

「だから先輩方も俺の邪魔はしないで下さいね」

堂島の隣に堂々と座り、二年組の中に混じって顔を出していた一年、柚木が堂島の腕に自分の腕を絡めてにこりと笑う。
それに堂島はしょうがねぇなと苦笑を浮かべ、柚木の頭に空いている方の手を乗せるとその髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

「ま、そういうことだ。何事もなるようになるだろ」

むしろ、なるようにしかならないとも言うが。

「虎野、神楽、結人、銀河」

それぞれの名前を呼んで視線を集めた堂島は四人の顔を見かえして、真剣な表情で告げる。

「それでももし助けが必要だと思ったら、手に負えないと思ったら遠慮なく頼れよ。俺も遠慮なくお前らに頼るし、一人で抱え込むなよ。…特に結人」

「言われるまでもねぇ」

「ん」

「……分かった」

「おぅ」

「堂島先輩、格好良い」

それから少しばかり雑談をして、その夜は解散となった。
堂島に自室まで送られながら柚木は先程別れた銀河の背中を思い出し、隣を歩く堂島に声をかける。

「ねぇ、先輩」

「なんだ?」

「俺、銀河先輩が会ったっていう男、実は一人だけ心当たりあるんですけど…先輩はどう思います?」

「俺も一人だけな。けど、まさかなぁとは思ってる」

それに偶然にしてはタチが悪すぎる相手だ。
一年の部屋が並ぶフロアへと降りる為に階下から上がってきた空のエレベータに堂島が乗り込み、柚木も続いて足を踏み入れる。

「先輩、それってやっぱり…」

「俺の記憶違いじゃなきゃ、この学校の理事長がそんな名前だった気がする」

柚木と堂島の会話は閉じていくエレベータの中へと消えていき、他に誰も聞く者はいなかった。






後日…


「二年D組 栗山 銀河くん?」

仲間達と階段の途中で別れ、生徒玄関近くに設置されている自販機に飲み物を買いに来ていた銀河は、気配もなくいきなり後ろから掛けられた声にびくりと肩を跳ねさせて、勢いよく背後を振り返った。

「っ!……って、あんたは!」

ガチャンと、選んだ飲み物が取り出し口に落ちた音が響く。
銀河の目の前には数日前に一度会ったきりの男、上柳が立っていた。
今日もスーツ姿で柄物のお洒落なネクタイとネクタイピンを付けている。
振り返って視線を合わせてきた銀河に上柳は精悍な相貌を緩ませると、ふと笑みを刻んだ唇を開く。

「また、会ったな」

「あっ…あぁ。てか、あんたまた迷子になってるとかじゃないっすよね?」

不意打ちで大人の男性に柔らかく微笑まれ、どきりと音を立てた心臓を誤魔化すように銀河は努めて平静を装って返す。

「迷子だと言ったら、また案内してくれるかい?」

「聞いてるの俺だし。…からかうなら他をあたれよ」

返ってきた返事が何だか気に入らず、銀河は冷めた声を出し、体ごと上柳から視線を外す。自販機に向き直り、缶ジュースを取り出す銀河の背中を上柳は双眸を細めて見つめた。

「悪かった。今のは意地の悪い言い方だった」

「………」

「君に会えて少し浮かれてしまった」

「…はぁ?何だそれ」

上柳の可笑しな切り返しに銀河はふっと軽くなった心をそのままに口元を緩ませ、缶ジュースを片手に上柳を振り返る。
同時に銀河の視界を横切るように伸ばされた上柳の右手が、振り向いた銀河の顔の真横、自動販売機のつるりとした面にとんと置かれる。

「冗談でもないんだけどな」

近付けられた端整な顔が穏やかに微笑み、真っ直ぐに見つめてくる。

「…っ!…ぁ、あんた、趣味が悪いんじゃないのか」

間近で絡んだ視線に堪えきれず視線を反らせば、思わず真剣な声が返された。

「この前もそうだが、君は自己評価が低すぎる」

「は…?」

いきなり何言ってと視線を上柳に戻せば、穏やかな笑みなど一切消し去った真剣な眼差しにぶつかる。どきりとする様な甘さではなく、何故かひやりと背筋が冷えるような悪寒で身体が震えた。
ゆっくりと持ち上げられた上柳の左手が、銀河の天然の銀髪に触れてくる。

「君はこんなにも真っ直ぐで綺麗なのに」

そうして銀髪に絡めた指先を持ち上げ、自然な動作で唇を寄せると熱を宿した眼差しで銀河を流し見て、髪から離した指先で銀河の頬に触れる。

「とりあえず外見で人を判断する教師は俺の権限で飛ばしておいたから、君はこれからも君らしさを失わず、俺の箱庭で伸び伸びと飛び回ってくれ」

「…は?えっ?俺の?」

唐突に与えられたこの目の前の男の情報とさらりと告げられた内容に理解が追い付かず、銀河は目を白黒させる。先程から寒気が止まらない。

上柳は一体何を言っているんだ?

混乱する銀河を他所に、頬に添えられていた手が優しく銀河の唇に触れた。

「大丈夫、安心してくれ。俺は他の教師達とは違って、君が仲間だと楽しそうに教えてくれた堂島君達から君を引き離す気はないよ」

言ったろう?
確かに勉強も大事だけど、今しか築けない大切なこともある。仲間達を大事にしろ。一生の宝物になるかもしれない。

「今まで、君が君らしくいられたのは仲間達のおかげでもあるだろう」

「…あ、あぁ」

上柳の話に理解が追い付く前に、問い掛けられた言葉に、それだけは間違いないと銀河が頷き返せば上柳は満足気に頷いて、銀河の唇から手を離した。

「さて、名残惜しいが今日はこの辺でタイムアップだ。ーー銀河くん」

「はっ…」

「次に会う時はもう少し歓迎してくれると嬉しい」

そう言って穏やかに微笑んだ上柳は、右腕に着けていた腕時計に目を向けると自動販売機に付いていた右手を下ろし、その囲いを解く。そして、本当にこの後に何か用事でもあるのか銀河に背を向けた。

「あっ、おい!上柳!」

「最低限、さんを付けろと教えたはず何だが…」

「っ、上柳さん!アンタ、まさかここの…」

「栗山 銀河くん」

さっと顔色を変えて叫んだ銀河の言葉を遮り、背後を振り返った上柳はふっと笑って唇の前に人差し指を立てる。

「私が職権濫用したことは秘密だよ」

有無を言わせぬ眼差しに銀河はただ頷くしか選択肢がなかった。
そうして上柳が去った後、銀河はいつから緊張していたのか大きく息を吐いた。

また、その日の夜。
寮の談話室に集まった仲間達から数名の教師が急に異動となった話を聞いて銀河は脳裏に上柳の顔を思い浮かべたのだった。




end.


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