05
部屋を後にして、廊下を歩く政宗は振り返らずに小十郎に言葉を投げた。
「黒を付けたか」
「はい。念には念を。政宗様のお命を狙う輩やも知れませぬから」
黒とは伊達に仕える忍、黒脛巾組(くろはばきぐみ)の事だ。
そんな事はないだろうなと、不思議と確信にも近い気持ちを抱きながらも政宗は小十郎の言葉に頷いた。
「そうだな」
黒を付けられた藤次郎達がどう思うか。それも少し気になる所であった。
でもまぁアイツが俺ならきっとこの状況を楽しんでるに違いねぇ。
そしてその政宗の推測はあながち間違ってはいなかった。
「ちゃんと聞いてますか殿!」
「聞いてる聞いてる」
景綱の延々と続く小言を右から左に聞き流し藤次郎は別の事を考えていた。
「そもそも殿は普段から落ち着きというものが無くてですね、目を離すとすぐ何処かへ行ってしまわれて私がどれだけ心配したと…。今回の事もしかり。私が起こしに行く前に珍しく一人でお目覚めになられて感心していた所、女中から殿が…」
もはやBGMと化した景綱の小言。
ふむ、ここが俺のいた世界じゃない事は理解した。
俺じゃない伊達政宗がいて、景綱じゃない片倉小十郎がいる。
なら他はどうだ?
甲斐の赤い暑苦しい奴。
そのお守りをする迷彩忍。
俺、伊達政宗がいるならやっぱ居るよな?
「くくっ…だったらおもしれぇ」
こんな機会滅多に、いや百に一つもねぇ。一度会ってみてぇもんだぜ。
「何が面白いものですか!」
日が落ちて、夜…。
部屋から一歩も出してもらえない藤次郎とは別に景綱は堂々と廊下を歩いていた。
「何から何まで申し訳無いです」
御膳を運びながら景綱は隣を歩く小十郎に言う。
「…いや」
それに小十郎は口数少なく返した。
小十郎はただ、夕餉を藤次郎達と一緒にとると言った政宗の意向に従っているに過ぎない。
ちらり、と後頭部で揺れる黒髪を視界にいれながら小十郎は気付かれぬ程小さなため息を落とした。
何故だか分からないが景綱といると警戒心が薄まる。
それは意識していないと忘れてしまいそうになる程に。
やはり一歩先を歩く景綱が自分と同じ存在だからなのか。
だとしたらこれは。
「厄介だな…」
難しい顔をして呟いた小十郎の声を拾い、勘違いした景綱が肩を竦めて謝る。
「本当に申し訳ございません。私が殿を止めていられれば…」
どうにも真面目すぎる景綱に、やはり警戒心も沸かず小十郎は言葉を返した。
「過ぎた事を言ってもしょうがねぇ。どうせなら先の事を考えろ」
先の事…、帰れるかどうか以前に、景綱にとって先を考えるということは難しかった。
何故ならば、予め定められた予定、想定、それら全てを意図も容易く、もっといえば悉く覆す存在がすぐ側にいるからだ。
全ては藤次郎次第で決まるのであった。
「さて、もうそろそろいいだろ?」
夕餉を共に食べ終え、同じ存在だから気が合うのか、政宗と雑談していた藤次郎がふと外を見て切り出した。
外はもう闇に覆われている。
行灯に火を足していた小十郎も藤次郎の声につられて外へと視線を移した。
「この時分だと外にいるのは警備の者達だけですが、如何致しますか政宗様?」
「ah-、そうだな。念の為、顔を隠せる布を用意してくれ」
「はっ」
政宗の命に小十郎は布を用意すべく一旦退出する。
そのやり取りを黙って見ていた景綱は政宗の方へと体を向け、生真面目な顔をして口を開いた。
「何から何までありがとうございます政宗様」
「ん、まぁ…気にするな。それと、そんな畏まらなくて良い。堅苦しいのは好きじゃねぇ」
「そうだ景。何で俺と政じゃそんな態度が違うんだ。おかしいだろ?」
口を挟んできた藤次郎に景綱は何を言い出すかと思えば、とこっそりため息を吐く。
「当然でしょう。殿は私の主、政宗様は他国の城主。敬意を払って然るべきなのです」
「それって遠回しに、俺には敬意を払ってねぇって言ってるよな」
「え?…そう言うわけでは」
揚げ足をとり、つい景綱をからかいにいった藤次郎。それに気付かず慌てて応える景綱に政宗は二人の日常を見た気がした。
「藤、その辺にしとけ。小十郎が戻ってくる」
政宗の言葉通り、その直ぐ後、布を手にした小十郎が障子を開けた。
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