04
ざわりと揺れた空気にニャンコ先生は瞳を細め、夏目とリクオの間にあった空間に丸々としたその体で割って入る。
「何だよ先生、狭いだろ」
「しっ!」
栗色の髪が闇夜に映える銀に変わり、幼さを残していた輪郭が大人びた容貌へと変化する。溢れ出す強い気、存在感に、ニャンコ先生の後ろにいた夏目も異変に気付いた。
「リクオくん…?」
スッと開いた瞼の下から切れ長の金の瞳が現れ、ニャンコ先生と夏目を写す。
ちゃぷりと濁り湯の中から持ち上げられた指先がニャンコ先生に向けられた。
「ニャンコ、ソレくれるんだろう?」
夜の指差した先にはニャンコ先生が持ち込んだ猪口と銚子。
先程と違い遠慮のないリクオの低い声に、反射的に夏目を庇うように動いていたニャンコ先生は体から力を抜いた。
そしてリクオへと猪口を手渡す。
「お主、飲める口か?」
「まぁな。…夏目、アンタは飲まないのかい?」
リクオはニャンコ先生に応えながらその後ろで戸惑っている夏目へと声をかける。
「あ、いや。俺は未成年だから…って、リクオくんもだよね?」
大人びた姿に変わってしまったけれど、と夏目に言われてリクオは悪びれた様子もなく言葉を返す。
「昼に影響は出さねぇよう気をつける」
果たしてそれでいいんだろうか?と思うものの、リクオが自ら入れ代わったのならば自分が言うことでも無いかと判断し、夏目は口を閉ざした。
そして月明かりに照らされた紅葉と湧き出るお湯の音、虫の音に耳を傾けながらリクオとニャンコ先生は猪口に口を付け、静かに酒を傾ける。
身体に染み渡る温泉の温かさに夏目もふと表情を和らげ、緩やかに流れて行く時を楽しんだ。
◇◆◇
湯から上がり、浴衣に腕を通したリクオは隣でしゃがんでいる夏目にちらりと視線を落とす。
ぽたりと薄茶の髪から落ちた滴が首にかけたタオルに吸い込まれる。リクオと同じデザインの浴衣を身に着けた夏目は手にしたタオルでわしゃわしゃとニャンコ先生の体を拭いていた。
「こらっ、暴れるな!」
「ならばもっと優しく拭かんか!私の美しい毛が痛んでしまうではないか!」
「はいはい…」
文句を口にするニャンコ先生を慣れたようにあしらう夏目を見てリクオはポツリと溢す。
「…夏目さんとニャンコ先生って仲良いですね」
ちなみに夜はニャンコ先生と酒を酌み交わし、銚子の中身が空になって暫くした後、あとは昼が楽しめと言って内に引っ込んでしまった。
あらかた水分を拭きとり終えた夏目はタオルを手に立ち上がり、リクオの溢した言葉に苦笑して返す。
「そうかな?」
そこへ、ふるふると体を振るわせてスッキリしたニャンコ先生が間髪入れず口を挟んだ。
「私が夏目の面倒を見てやってるのだ」
けれども夏目はニャンコ先生の言い分に言い返す気も起きないのか、まったく…と言って肩を竦めた。だが、どう見ても夏目がニャンコ先生の面倒を見ている様にしか見えないこの構図にリクオも何も言わずただ苦笑を浮かべた。
《仲良いじゃねぇか》
(そうだね)
ひょいとニャンコ先生の体を持ち上げ、片腕に抱いた夏目は、脱いだ服の入った袋をもう片方の手に持ってリクオを振り向く。
「俺はもう行くけど…」
「あっ、途中まで一緒に行きます」
同じ様にリクオも脱衣籠に入れていた袋を掴み、夏目と共に露天風呂を後にした。
旅館の廊下を、話を交わしながら並んで歩く。自然と会話は初めて出会ったあの日の事になり、夏祭りは楽しかった、あの屋台は…などと共通の話題を見つけては表情を緩める。
やがて階段に差し掛かりリクオは足を止めた。
「それじゃ、僕は部屋に戻るのでここで」
「うん。俺はちょっとロビーに用があるから」
夏目の指差した先には夕方、リクオ達が覗いていたお土産屋。
きっと誰かにお土産を買っていくのだろう。
思わぬ再会を果たしてあたたかくなった心に、ほんの少し名残惜しさを感じつつ、リクオはふわりと笑った。
「じゃぁ、また」
どこかで会えたら。
「あぁ、また…」
どこかで会えたら。
リクオが口にしなかった言葉を夏目も心の中で呟き、リクオと同じ言葉を返す。
約束も何もない、偶然に頼った再会。それでも連絡先を聞こうとは思わなかった。
それで良いと思える、不思議な関係。また、と別れて、また会ったねと言える、そんな予感がするから。
互いに背を向け歩き出す。
「…塔子さんと滋さんのお土産、何を買っていったらいいんだろ?」
「塔子も滋もお前からなら何を貰っても喜んでくれるだろ」
遠ざかる声を背に聞きながら、リクオも階段を一段一段上がる。
「そういえば、おじいちゃんの言ってた修行やるの?」
《あ?あのふざけた奴か。…やらねぇ。どうせジジィも本気で言ったわけじゃねぇだろうしな》
花開院家に行って飯でも食ってきてやれ、と。
花開院家には今、術者が集まっている。そして、戦うばかりが守ることではないと、時として逃げることも守る手段となり得るのだと、的場と対峙した夜は身を持って知った。
《昼…、お前は俺が絶対守るから》
「いきなりどうしたの?もしかして、まだ昼間のこと気にしてる?」
階段を上がり終わり、今夜泊まる予定の部屋を視界に写しながらリクオは足を止める。
《いや…、言っておきたかっただけだ》
「そう、それならいいけど」
止めていた足を動かし、リクオは清継のいる部屋の前に立つと扉に手をかけ、真っ直ぐ前を見て凛とした声で言った。
「…僕は十分過ぎるほど夜には守られてるよ。だから、…たまには僕にも夜を守らせてね」
《昼…、―――…》
ガラリと扉を開けた音に、中から聞こえる騒がしい声に混じって夜が何かを言ったけれど、リクオは何も応えなかった。
「酷いじゃないか、奴良くん!僕を置いていくなんて」
「なんか清継くん忙しそうにしてたから、ごめん」
「それよりもう部屋戻ろー。鳥居、行くよ」
「うん。ゆらちゃんと家長さんは?」
「ほな、うちも」
「じゃぁ、私も」
ぞろぞろと部屋を出ていく女性陣を見送り、リクオは清継の向かいに座る。
「おっ、そうだ奴良くん!明日はゆらくんが昼間なら花開院家を見せてくれるって言うんで行くことになったから」
「へ、へぇー…そうなんだ」
誰かが淹れたのだろう急須を傾け、湯飲みにお茶を注ぐ。
嬉々として明日の予定を話し始めた清継にリクオは胸にある思いを強くした。
(大切な人を守りたいと思うのは夜だけじゃないんだから)
僕は僕の持てる全てでキミを守ってみせるよ―。
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