03


「危なかった…」

《すまねぇ昼。守るとか言っときながら俺が危険な目に遭わせるところだった》

庭園から離れリクオはほっと安堵の息を吐く。
落ち込んだ声を出す夜にリクオは首を横に振った。

「僕の方こそ。夜は僕を守ろうとしてくれただけで、僕は何も…」

《そんなことねぇよ。その気持ちだけで十分》

互いに守ろうとする想いが重なり、胸が温かくなる。髪を揺らす冷たい風に乗り、赤く色付いた葉がひらりと舞った。

もうじき陽が沈む。

外で待つには寒いので、リクオは旅館の一階にあるお土産屋を覗きながら清継達が戻ってくるのを待つことにした。

「あれ…?」

そのお土産屋で、部屋で休んでいる筈の二人に遭遇する。

「あ、奴良」

向こうもリクオに気付いたのか声をかけてくる。

「巻さんもう大丈夫なの?」

リクオは近くへ寄り、旅館に着いた時より元気そうな巻の姿を視界に入れた。

「もうばっちし。それよか清継とカナは?」

「二人は山の方を見に行ってるよ」

巻の隣でお土産物のストラップを見ていた夏実が、不意に何かに気付いた様に顔を上げ、巻の肩を叩く。

「ねぇ巻、あの人…」

「ん?どうした?」

夏実の指差した方向、旅館の出入り口を見た巻は大きく目を見開いた。

「嘘…」

そして呆然と溢れた声にリクオもそちらを見やる。が、特に何もない。ただ、眼鏡をかけた若い男の人がにこやかに何か旅館の人と話をしているだけで。

「本物、かな?」

「う〜ん…?」

見極めるように瞳を細め腕を組んだ巻に、リクオは不思議に思って口を開いた。

「あの人がどうかしたの?」

「え?奴良、アンタ知らないの?名取 周一」

「今一番人気の俳優さんだよ」

俳優…そう思って見れば確かにそんな雰囲気がある様な感じはするが、リクオにはあまり興味がなかった。

《あの男も陰陽師か何かだ。近付くなよ昼》

(うん…)

そのうち本物かどうかも分からないまま、その人は旅館から出て行ってしまう。

代わりに清継とカナが入ってきて、今日はもう外に出ることは無かった。

夜は外出禁止、それが約束だ。

夕食時にはゆらも戻ってきて、六人は清継とリクオの泊まる部屋で賑やかに夕食をとる。

「食べ終わったらさっそくゆらくんに陰陽師とは何たるかをレクチャーしてもらおう」

「ほんまにやるんか?」

「もちろんだとも!会合の様子を見るのは断念したが、ここには本物の陰陽師がいる!」

云々かんぬん…続く清継の言葉通り、夕食後はまったりしながらゆらによる陰陽師講義がなされた。



◇◆◇



もくもくと昇る湯気を視界に納め、リクオはほぅと熱い息を吐く。

ぱしゃりと両手で掬い上げた湯は白く、濁り湯になっている。

「夜も入れれば良いんだけど…」

ゆらによる陰陽師講義が終わった後、リクオは一人、旅館内にある露天風呂に来ていた。
浴場内にはひとっ子一人いないが、ここが花開院家お抱えとなるとそう簡単に入れ代わる事も出来ず。

《気にするな。俺はお前のお陰で十分温かい》

ふわりふわりと桜の舞う世界は今宵も昼の温もりに満ちている。

定位置とかした垂れ桜の枝に腰掛け、昼から伝わる想いに夜は表情を緩めた。

「っ、そうじゃなくて…」

恥ずかしげもなくさらりと気障な台詞を吐く夜に、昼は薄く染まった頬を隠すようにブクブクとお湯に顔を沈める。

《…ん?誰か来たな》

その声に昼が意識を向けるのと同時にカラカラと脱衣所と湯殿を仕切る引き戸を開ける音が響き、湯気が切り裂かれる様に揺れた。
そう認識したリクオの直ぐ側に、勢い良く何かが飛び込んでくる。

…ドボンッ!

「っわ!?何っ!」

《昼っ!》

ばしゃんと上がった飛沫の向こうに、それを慌てて追い掛ける人の気配と声。

「こらっ!先生!他の人に迷惑だろ!あっ、すみませ……ん?」

「……あ!」

湯気の向こうから現れたその人は、リクオの姿に気付くと微かに目を見開いた。そして、リクオもまた。

その横で、ざばりと暢気に湯から顔を出した猫が気持ち良さげににゃんと一声鳴いた。


すぃすぃと湯の中を短い手足を使い泳ぐ猫…もといニャンコ先生。それをやや疲れたような顔で夏目が眺める。

「夏目さんはどうしてここに?」

一人分間を開けて湯に浸かった夏目にリクオは声をかけた。

「え?あぁ…、知り合いに連れてこられたんだ。気分転換にどうかって」

「フン、どうだかな。あの小僧、本当はここが陰陽師の宿と知ってたんじゃないのか?…信用ならん。お前は騙されやすいからな」

すぃ〜と平泳ぎから、クルリと体を反転させるとニャンコ先生はお腹を上に向けぷかぷかとその場を漂う。

「そんなこと……」

押し黙った夏目をニャンコ先生は片目を瞑ってチラリと見やり、その視線をリクオへと移す。

「それでお主は何故ここにいるのだ?」

「僕は部活の合宿で…」

それが清十字怪奇探偵団という名の怪しい部活だとまでは説明せず、リクオは言葉を濁して答えた。

「ふむ…」

しかし、ニャンコ先生は聞いておきながら興味は無いのか深くは聞いてこない。それどころか唐突な質問をしてきた。

「ところでお主、今変化出来るか?」

「え?一応出来るけど…」

《何がしてぇんだ?》

「先生?」

ニャンコ先生の問いかけに疑問を持ったのはリクオだけでなく、夏目も訝しげにぷかぷかと浮くニャンコ先生を見やる。

「お前も夏目の様に頭が堅そうだからな。ほら、変化しろ」

「えっと…意味が良く分からないんだけど、ここではちょっと入れ代われないかな」

「いきなり何言ってんだよ先生。リクオくんを困らせるなよ」

困った様に言うリクオと呆れた眼差しを向けてくる夏目の前でニャンコ先生はくるりと身体を反転させ、再び短い手足を使いすぃすぃとお湯の中を泳ぎ出す。そしてリクオの前まで来ると泳ぐのを止めた。

「祓い屋を気にしておるなら問題はない。アヤツ等は今この宿には一人とていない」

そういえば陰陽師の会合が…って。花開院さんは数には入らないんだ…。

どこから取り出したのかニャンコ先生の手には白いお猪口が握られており、湯にたゆたう檜の桶にはいつの間にか銚子が二本。

「うわっ!先生、それどこから盗ってきたんだ!返して来い!」

「ふふん、こんなもの私にかかれば朝飯前よ」

得意気な顔をし、器用に手に持った猪口をニャンコ先生はクッとあおる。…恐ろしいぐらい違和感がないのは何故だろうか。

「…どうする夜?代わろうか?」

夜にも僕と同じ様に楽しんでもらいたい、そう思っていた気持ちを後押しする様に持ち掛けられた誘い。昼は夜へと話を振った。

《お前は良いのか?》

「うん。やっぱり夜にも一緒に楽しんでもらいたいし…」

同じものを見て、感じて欲しい。

言いながらそっと瞼を閉じれば身体を包む夜のぬくもり。
薄紅色の花弁が舞う垂れ桜の下で、優しく抱き締められ、昼は夜と入れ代わった。



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