12
「奥方様は今朝、身罷られました」
母上の寝所。床につく母上はいつもと変わらず綺麗で穏やかな顔で眠っていた。その顔の上へ、白い布がかけられる。
「そんなっ…、柚葉(ユズハ)!」
父上は母上の側でキツく拳を握り、絞り出すような声で母上の名を何度も繰り返し呼んでいた。
「奥方様…」
その場には母上の病気を診ていた薬師と父上の伊達 貴政(タカマサ)。遊士の他に、貴政の側役をしている彰吾の父・片倉 総司(ソウジ)とその妻・美里(ミサト)、そして彰吾がいた。
「彰吾、遊士様を」
「はい。…遊士、外に行こう」
オレは彰吾に手を引かれ、ソッと母上の寝所を後にした。
「ねぇ、彰吾。みまかるってなに?」
「それは………」
彰吾がどう説明しようか言葉を探している時、その会話は遊士達の元へ飛び込んできた。
「やっと亡くなってくれたわね。これで正室の座が空いたわ」
「これで殿の目も覚めれば宜しいが。何処の女とも知れぬ者を正室にすえ、あげく側室はいらぬなど申されて。あの時は酷くがっかりさせられましたからな」
「ふふ、大丈夫よ。殿には後継ぎとなる御嫡子がいないもの。居るのは片目の女の子だけで、どうとでもなるわ」
遊士達がいるのに気付かず、その声は次第に遠ざかる。
「彰吾…ははうえは…」
じわじわと溢れだした悲しみが、遊士の視界を滲ませる。彰吾は去って行った連中の方を睨み付けると遊士の手を引いて、自室に入った。
「遊士、泣いて良いよ。ここには俺しかいないし、遊士が嫌なら俺向こう向いてるから」
ひくりと遊士の声帯が震える。繋いだ手を離さぬまま、遊士はぼろぼろと泣き出した。
「殿はまだ臥せっておられるのか」
「奥方様が亡くなられて半月。悲しいのは分かるが、このままでは…」
口々に囁かれる言葉は当然遊士の耳にも入ってくる。
けれどまだ五歳の遊士にはどうすることも出来ず、ただ聞いていることしか出来なかった。
「彰吾、わたし…」
そんな折り、とうとう痺れを切らした分家の連中が行動に出た。
「此度の奥方様の事、私共家臣もとても残念に思っております。殿におかれましてはさぞ御心痛と存じます。…ですが、伊達家存続の為にもどうか新たな御正室をお迎え頂きたく」
「殿さえよろしければ分家の中から殿のお好きな女子を…」
「―黙れっ!アイツとの仲を良く思わなかったお前等に何が分かる!俺は、アイツ以外の者を正室に迎えるつもりは無い!」
分家の老中達に貴政は鋭い眼差しを向け、分家の連中を視線だけで縫い止めると続けて言い放つ。
「それに、俺の後は遊士に継がせる!」
「で、ですが遊士様は女子。当主には…」
「それがどうした?女子だろうが遊士にはその資質がある。それにてめぇ等の拘る血筋の問題も、当主である俺と正室の子だから問題はねぇ筈だ。その上でまだ何かあるなら聞いてやる」
「…い、いえ。御座いません」
反論できず悔しさに唇を噛んだ分家連中が部屋を退出して行く。
「殿、奥方様が亡くなられてから遊士様に会い行ったか?」
「いや、会ってねぇ。遊士を見ると柚葉を思い出しちまって…」
側役の総司の声に貴政は頭を振って答える。
「でしたら早めに会いに行くことだな。彰吾の話では遊士様は伸ばしていた髪を小太刀でばっさり斬ってしまわれたとか」
「何だと!?」
総司の報告、正確にはその総司の息子からの報告に貴政は声を荒らげた。
小太刀で切った髪は不揃いで、遊士は彰吾と彰吾の母・美里に酷く怒られた。
「何でまたこんな真似を…」
「折角綺麗な髪でしたのに。殿が見たら何と言うか」
美里に髪を整えて貰い、遊士は小さな拳をグッと握って俯く。
「ちちうえ、…かわいそう。だからわたしがまもろうとおもって。ちちうえのとなりは、ははうえだけのものなのに」
周囲で囁かれる話を遊士なりに理解しての事だろう。
遊士は遊士なりに父と母を守ろうと思ったのだ。母を想う父の心を、亡き母の居場所を。
そして、
「彰吾!わたしにもかたなとかばじゅつおしえて!わたしが、ううん…おれがとうしゅになれば、ちちうえとははうえをまもれるんだろ!」
その為だったら何だってする、と遊士は迷いのない瞳で二人を見上げた。
「…それは私共としても大変喜ばしい事ですが。何も髪を切ることは、それにその言葉遣いは一体」
困ったような顔をした美里に遊士はきっぱりと答える。
「だって、かみはじゃまになるから。とうしゅになるのに、おれがおなごじゃだめだって」
大人達が言っていた。
遊士が女子だから父上は新しい母上を迎えなきゃいけない。
遊士が男児だったなら。
だからといって性別は変えられない。
なら、どうすれば良い?
それは、
オレが誰にも文句をつけられないくらい、男の子らしくなればいい。
遊士はその時、本気でそう思った。
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