10
風が追い風に変わったのを感じた毛利 元就は岸辺に構えていた敵兵に向けて一斉に矢を射かけるように指示を下す。相手方にとっては向かい風に変わったせいで射程距離も威力も殺がれたことになる。弓隊が全滅させられた所で、後方で準備していたのか銃兵が進み出てきた。弓矢と違い火薬を使って押し出される弾は、狙いはどうあれ元就の乗る船まで届いた。
しかし、元就は盾兵を用意させることで被弾する弾の数を減らし、あくまでも船を陸地に近付けさせた。
「元就様、これ以上は…」
船の中に一度姿を消した元就は机上に広げた航海図に目を落とし、瞳を細める。
「分かっておる。そう騒ぐな。…だがやはり、この地が一番手薄よな」
敵兵の数が一番少なく、海流の流れを考えても船が近付きやすいと元就は考えての事であった。また、自身の乗る船を囮としての作戦を同時進行中でもあった。
実は少し前に大型船の影に隠れるようにして二艘の小舟を海に下ろしていたのだ。その小舟には毛利の武将と元親が残していった兵が数名、二艘の小舟に分かれて乗っていた。
元就がその二部隊に出した指示は単純明快なもので、本隊を囮に元親達を敵に気付かれる事無く陸地へと上陸させた、それと同じ事をしろと命じただけだ。ただし、その後の作戦が元親達とは違い、上陸後は速やかに周囲の岸辺や沿岸に構えている敵兵を一掃することと付け加えられていた。
その指示を伝えられた時に元親達の部下は「それをアニキにやって貰った方が早かったんじゃないのか」と、ふと思ったが、まるでその思考を読んできたかのような元就の鋭い眼差しに、元親の部下達は一瞬怯んでしまい口には出来なかった。
むしろ彼らは自分達の敬愛する元親の為にも聞かなくて良かったのかも知れなかった。
まさか元就が元親達だけを先に小舟で下ろし、陸地へと向かわせた理由が現在遂行中の作戦が使えるかどうかの前もった試験的なものだったなんて…元就の部下達だけが薄々とその事に気付いてはいたが、元親を始めとして長曾我部軍はその理由を知る由もなかった。
「あやつらが問題なく陸に辿り着いたのだから大丈夫であろう」
元就は海図から目を上げると、再び甲板に姿を現し、馬鹿の一つ覚えの如く、こちらを攻撃してくる敵兵を見据え薄っすらその口元に嘲笑を刻んだ。
そうして物事は元就の思い描いた通りに進む。
沿岸から敵を排除することに成功した元就は浅瀬で船が座礁することを防ぐ為、あえて沿岸から少し離れた位置で碇を下ろさせた。
陸地に足を付けた元就はそこかしこで倒れ伏す足軽を見下ろし、秀麗な眉を寄せた。
「豊臣如きが我を弄そうとは」
陸地に転がる武器は織田の兵士が使用していた火縄銃だが、掲げていた旗は豊臣のものだ。
これだけをみれば織田と豊臣が同盟を組んだように見えなくもない。だが、元就には織田と豊臣が組むことは無いという確信があった。何故なら、元就は豊臣の将、竹中 半兵衛に一度豊臣と組まないかと勧誘されたことがあったからだ。
元就の治める安芸の恒久的な安寧の約束と長曾我部の治める四国と引き換えに打診された内容を元就は蹴っていた。あまりにも好条件過ぎる内容に元就は半兵衛の言葉を鵜呑みに出来ず、その先の目的を疑った。結果、元就が半兵衛の条件を受け入れた場合、もしそれで豊臣が天下を統一しようものなら、豊臣の庇護の下で毛利は生かされているという元就にとっては何とも屈辱的な状況が出来上がると推測が立った。
元就にしてみれば、長曾我部など豊臣の手を借りるまでもなく自軍のみで蹴散らせるし、安芸の安寧も自分の手で齎してみせると逆に更に意志を固めていた。
その元就がふらりと訪れた前田 慶次を受け入れたのにももちろん意味があってのことだ。
「元就様。この場での指示役と思われる男の身柄を拘束致しております」
考えを巡らせていた元就に、家臣が近付いてそう声を掛ける。
「そうか、良くやった。では、その男から話を聞こう」
「はっ、こちらで御座います」
元就の有能な家臣は無駄なく、元就を男の前まで案内する。
その途中で元就は長曾我部の兵達へと指示を出していく。
「長曾我部の。お主らはアレの準備をしておけ」
返事を必要としていない命令に長曾我部の兵達はお互いに顔を見合わせる。
「どうする?動かすのか?アニキがいないけど…」
「とにかく今は毛利の言う事を聞くしかないだろ」
「そうだ、アニキも理不尽な内容じゃなきゃ聞いてやれと言っていたし。どっちみちアレはアニキの所まで運ばなきゃならねぇんだ」
「おう、そうだな。もし危なくなったら逃げろとアニキも言っていたし…それまでは」
そう言い合ってさっさと結論を出した長曾我部軍は自分達の船へと戻り、一刻も早く元親達と合流すべく必要な準備や調整を進めていった。
そして、元就の元へと馬を走らせていた前田 慶次は遠目から見ても良く分かる巨大なからくり兵器の出現に気付き、元就の現在地を把握した。
「急がないとな」
擦れ違いは避けたい所だ。
「でもアレは確か、元親のからくり兵器だったよな?」
バキバキと周囲の木々を破壊しながら陸地を進む移動要塞。その名を富嶽。
元親が国費をつぎ込んで作り上げた水陸両用兵器で、砦としての運営機能もさることながら、海上からの長距離砲撃も可能とする代物だ。機動力の高い暁丸といった他のからくり兵器を乗せて出撃する事も出来き、元親曰くこれが男のロマンの結晶だとか。
近付けば近付く程そのからくり兵器の巨大さに感心する一方、地面を揺らす凄まじい振動に、馬ごと気付かれずに跳ね飛ばされやしないかと慶次は肝を冷やした。
しかし、そこは慶次の運の良さか、はたまた元親の部下の目の良さか、周囲を監視していた長曾我部軍の兵士に気付いてもらえたらしかった。
速度を落とした富嶽が少し進んだ先で停止する。それを確認してから、慶次は馬を富嶽の側へと寄せた。
間もなく富嶽の上に上がる為の梯子が下ろされる。
慶次は富嶽の後方から付いて来ていた毛利の兵士に馬の手綱を預けると、下ろされた梯子に手を掛けた。梯子を上りきるとそこには元就が、自軍の兵士と長曾我部の両軍を従えて立っていた。
「前田がまた何用ぞ。長曾我部と共に先に向かったのではないのか。…それとも長曾我部の奴がどこぞで討たれでもしたか」
顔を合わせてそうそう投げられた鋭い一瞥にも慶次は怯むこともなく、困り顔で頭に挿した羽飾りを揺らしながら元就に歩み寄る。
「いやぁ、それがさ予定が変更になっちまったんだ。もちろん元親はぴんぴんしてるから安心してくれ」
「ちっ…」
「とりあえず進路を大阪城に向けてくれ。進みながら話すよ」
やがて先に大阪城へと辿り着いた伊達軍一行は、大阪城内の敷地へと続く橋の上に豊臣の軍が待ち構えているのを目にする。
そして、その奥には堅く閉ざされた城門が聳え立っていた。
「如何致しますか、政宗様」
馬の速度を緩めて問うてきた小十郎に政宗はちらりと周囲に目を走らせると、力強く言い切る。
「向こうも俺達が来るのは分かってんだろ。…正面突破だ!門を抉じ開けろ!」
後半は自軍の兵士達に向けて指示を飛ばす。伊達軍兵士達はその声を皮切りに雄叫びを上げて、政宗達を追い越す様に次々と馬の速度を上げて橋の上を占拠していた豊臣軍に突撃して行った。
「野郎ども、後れを取るんじゃねぇぞ!」
そこへすかさず元親の檄が飛び、長曾我部軍も豊臣の兵士と交戦状態になった。
また即席の連合軍とはいえ、伊達軍と長曾我部軍はお互いの邪魔にならぬよう上手く立ち回り、仲間が危なくなればすかさず助けに入ったりと中々に良い連係を築いていた。
そうして兵達が橋の上を占拠していた豊臣軍を蹴散らし、意識が城門を守る部隊長に釘付けになった所で、敵の部隊長が何処かへと合図を出す様に右手を上げた。その不自然な動作にいち早く気付いた小十郎が鋭い声を飛ばしたのとその合図はほぼ同時だった。
「上だ!城門から離れろ!」
静かに一斉に城壁の上に立ち上がった豊臣の兵が、横一列に並び立ち、限界まで引き絞った弦を解き放つ。城門付近で豊臣の兵と刃を交えていた兵達の頭上に弓矢の雨が降り注ぐ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うぐぅ…」
「…がはっ」
弓矢の雨は無情にも敵味方関係なく降り注ぎ、その場に居た兵士達を貫いていく。
「しゃらくせぇ!」
その手段を問わないやり口に顔を顰めた元親が、手にしていた碇槍を弧を描く様に大きく振り回す。鎖の部分が伸び、上から降り注いでいた弓矢を大きく弾き飛ばした。それに伴って生まれた風圧が城壁の上に立っていた豊臣軍の兵士数名を纏めて城内へと落下させる。
その隙に城門を守っていた部隊長に幸村が急接近し、炎を纏わせた高速の連続突きを部隊長に叩き込んだ。
「うおぉぉ!烈火ァ…!」
「ぐはっ…っむ、ねん…。はん、べえ…さま」
部隊長を討ち取り、城門を開けてしまえば後はこちらのものだった。
城壁へと上がる為に掛けられた梯子を逆に利用し、場所によっては逃げ場を潰す為に梯子を落とす。
周囲の安全を確認した小十郎に促されて城門をくぐった政宗は蜘蛛の子を散らす様に背を向けて城から逃げ出した豊臣の兵士に目を止めて、自軍の兵士に声を掛ける。
「深追いはするな。逃げてぇ奴は放っておけ」
それでも豊臣に忠誠を誓い、刃向かってくる兵士は斬り捨てる。
「あれは豊臣に徴集されて来た兵達でしょう」
遊士様と共に通って来た近江の地で、女子供だけで田を耕す光景を見て来ましたと言って彰吾は瞳を細めた。
「…そうまでして得た力に何の意味があるんだか」
その瞳は何処か少し遠くを見ている眼差しであり、小十郎はそれに気付いて彰吾を現実に引き戻す様に声を掛けた。
「考えても詮の無い事だ。それよりこの先も罠が無いとは限りませぬ。政宗様、彰吾も、もどかしいでしょうが慎重に進みましょう」
政宗と彰吾に向けて掛けられた言葉に彰吾は小十郎の意見に同感ですと、その気遣いに感謝しつつ頷き返した。
馬と少数の兵士をその場に残し、先へと進む。この先には細い道もあり、建物や物見櫓、階段等といった障害物があり、馬で乗り入れるには少しばかり不向きだった。
そんな表御殿のある通りを抜け、その途中で待ち構えていた鉄棒兵や投石兵、盾兵を次々と撃破して行く。
「はっ、これじゃぁ豊臣もたいしたことねぇなぁ」
敵部隊長やその場を守護していた武将を討ち、大手門を目指して進軍する。
「む。しかし、こうも簡単に行くのも妙であるな」
長曾我部軍と幸村が先行して進んで行く。その少し後ろを小十郎は周囲を警戒しながら、政宗と彰吾は遊士が捕らわれている場所を推理しながら、万が一を考えて周囲の建物を確認して行く。
「長曾我部!真田!あまり突出するな!」
少しばかり調子に乗って先へと進み過ぎている二人に小十郎が声を上げる。
「おい、真田。ここまで来たんだ。お前の忍びと連絡は取れねぇのか」
違和感を覚えた幸村はその場で足を止め、政宗からの問いかけに背後を振り返って答える。
「某もこの場に入ってから呼んではみたのだが、何の反応もないのだ。音が届かぬ場所にいるのか、返事が出来ぬ状況なのか。後は佐助からの合図を待つより他にない」
「hum…音が届かねぇ場所と言えば地下か。返事の出来ない場所となりゃ敵の直ぐ側だが」
二つに一つか。それとも両方か。
政宗の呟きに被さる様に先行していた長曾我部から声が上がる。
「おい、この先二手に道が分かれてんぞ。どっちに行きゃいいんだ」
片方の道には盾や槍を構えた豊臣の兵が見え、もう片方の道には誰もいない。明らかにどちらか片方は罠であろう布陣だ。これには流石の長曾我部も足を止めるはずだ。
だが、そこで政宗と小十郎が判断を下すのも早かった。
「二手に分かれるしかねぇな。小十郎」
「はっ。相手の思惑に乗るようで癪ですが今はそれが最善でしょうな」
小十郎は政宗の言葉に頷き返して、二手に分かれる組み合わせを決める。とは言え、決めるまでもないことだった。竜の右目である小十郎が政宗から離れるという選択肢は無く、怪我をおしてまで参戦している彰吾の事からも目を離すつもりは無かった。
「真田、お前は長曾我部と共に行け。遊士様の顔を知っているのは他にお前だけだからな」
「分かり申した」
幸村もその点については心得ていると異存なく頷き返し、彰吾はそんな幸村に対して遊士様を見つけたら頼みますと幸村に向かって頭を下げた。
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