09


「おい、猿飛。お前、今何処に向かってる?」

宝物庫から城の外へと脱出する為に、時折現れる豊臣の兵士達を蹴散らしながら城の中を走り続けるその背中に遊士は鋭い声を投げる。
周囲に視線を巡らせれば、外の景色が見えるどころか、次第に周りは薄暗くなり冷たい空気が頬を切る。
また一人、捕縛に現れた豊臣の兵士を斬り捨てて、佐助はちらりと背後に目を向けた。

「遊士の旦那ももう気付いてるでしょ」

「正面突破での脱出は厳しいってことか?」

「そっ。派手に牢破りして、寄り道もしちゃったからね」

その間に城門の護りを固められ、追っ手も続々と投入されている。

「俺様一人なら空からでも逃げられるんだけど、そうはいかないからね」

目の前に現れた他とは異なる造りの鉄製の門扉を守っていた豊臣の守衛二人を、遊士は刀の柄頭を使い、素早く昏倒させた。

「…悪かったな。お荷物で」

「いやいや別にそういう意味で言ったわけじゃないから。アンタのことは真田の旦那に頼まれてるし、そこで落ち込まれると後が怖いから止めて」

無駄話をしながらも、遊士が昏倒させた豊臣の兵士達の懐から門扉の鍵を抜き出した佐助は正確な手付きで門扉の鍵を開ける。
そして、二人は扉を潜った後、時間稼ぎも兼ねて再び門扉の鍵をかけた。

「で、上からの脱出に見切りをつけて、地下からの脱出に切り換えたってわけか」

ちゃっかり門扉の鍵を懐に納めた佐助は遊士の言葉に頷き返す。

「当然地上への出口も警戒されてるとは思うけど、こっちの方が出口の数が多いからね」

そう考えると敵の戦力もいくらかは分散せざるおえないだろう。

「なるほどな」

佐助の説明に遊士も納得した顔で頷き、更に薄暗くなった通路へと目を向ける。
周囲は石壁で舗装されており、等間隔に設置された篝火の火が揺れる。

「ここで少し体力回復も兼ねて歩こう」

ちっとも息切れなどしていない佐助の提案に遊士は感謝の意も込めて同意を示す。

「そうだな。この先もまだ何があるか分からねぇし、出来るだけ体力は温存しておきたい」

何故なら、佐助の提案は遊士の為の言葉であった。その気遣いに気付かないほど遊士は鈍い人間ではない。
元から違う体力差に加えて、忍である佐助の方が何かと動き回る分、体力はあるだろう。
しかし、ここでお礼の言葉を口にするのは何か違う気がして遊士は口を閉ざした。

二人は警戒を怠らぬまま地下通路の中を進む。

「それにしてもよく地下の構造まで手に入ったな。…さすがは猿飛佐助」

地下通路というのは主に城の城主や主要な人間が危機が迫った折に使用する、言わば脱出経路だ。抜け穴とも言う。
感心した声で呟かれた内容に佐助はにやりと得意気に口の端を吊り上げる。

「そこはまぁ、蛇の道は蛇ってね」

何をしてきたのかは知らないが、佐助が武田信玄の命を受けて豊臣方を調べていたことは知っている。今回はそのことが幸いした形だ。
脱出用とあって複雑に入り組んだ道を進みながら、時折佐助が立ち止まっては頭の中にある情報と行く先を照らし合わせる。
まだ追っ手の姿は見えなかった。
また、追っ手がいないこと自体は良い事なのだが、陽の射し込まない地下空間では時間の経過が掴みにくいという問題があった。

 

そうして…どれほど歩いたか、二人は自分達以外の人の気配に気付いて足を止める。
壁に設えられた篝火があるとはいえ、視界が薄暗いことに変わりはなく、佐助と遊士は顔を見合わせると互いに真剣な表情で頷き合う。
佐助は苦無を片手に、遊士は刀の柄に手を掛け、そろそろと気配を殺して人の気配のする先へと足を進めた。

「いつになったらここから出られるのだ」

「それは…竹千代様のご判断次第であろう」

「しかし、我が徳川家が豊臣ごときに降るなど!」

「私共のことなど捨て置いて下されば良いが…」

「いや、あの方は将として些か優しすぎる嫌いがある」

篝火に照らされた人影が複数、ゆらゆらと石壁に揺れる。
近付いたことで男達の会話が遊士達の耳にも届いた。
佐助が遊士を振り返り、小声で問うてくる。

「どうする、この道を迂回するか」

男達の話から察するに、この先で囚われている人間は徳川の人間であるらしかった。
遊士は問いかけてくる眼差しの中に冷たい光を見た。

「確かにオレ達には今、面倒な荷物を背負いこむ余裕はない」

「なら―」

「荷物じゃなくすればいい」

佐助の言葉を遮って遊士は言葉を続ける。

「とりあえず開放してやって恩を売る。後は自己責任で脱出するなり何なり自分達で頑張ってもらう」

「…それは助けるのとどう違うのさ」

佐助は反対なのか依然として冷めた眼差しを遊士に向けてくる。
その眼差しを遊士は正面から受け止め、不敵な笑みを形作った。

「大違いだ。別にオレだって善人じゃない。人数が増えれば敵の目も欺けるかも知れないだろ?アイツ等には勝手に囮になってもらう。それにそれならオレ達が守ってやる必要もない」

助けたわけではないのだ。万一彼らがやられてもこちらの懐は一切痛まない。

じっと遊士の顔を見て、告げられた内容を吟味した佐助は浮かべていた冷たい光を消し去ると、溜め息を吐いた。

「屁理屈な気もするけど、一理ないわけじゃないね」

「だろ?」

方針を固めた二人は未だ話し声のする先の道へと足を進めた。

「むっ、何奴!」

そこは地下通路の中でも少しばかり開けた造りになっており、鉄柵の付いた牢屋が二つ存在していた。見張りの人間がいたような形跡は見られたが、何故か今はその姿が見えなかった。こちらとしては好都合だが。
牢屋の前に姿を現した遊士に牢屋の中に閉じ込められていた男達が口を開く。

「何者だ!?」

「豊臣の新しい見張りか?」

「我らを何時まで此処に閉じ込めておくつもりだ!」

「家康様は御無事なのか!」

「…悪いが、そう一斉に囀られても聞き取れねぇよ」

やれやれと余裕を感じさせる動作で肩を竦めた遊士に、牢屋の中にいた男達は目配せで意志の疎通を図る。この辺りを見るに一致団結した集団であり、馬鹿ではない事が窺えた。その中から代表者として選ばれた男が、改めて遊士に話しかけてきた。

「貴殿は何者だ?豊臣の者か?」

「ha、馬鹿言っちゃいけねぇよ。誰があんな男の下につくか」

「では、何者なのだ。何故ここに…」

「そんなことはどうでもいいからさ、早くここから移動しないと豊臣の奴らに見つかるよ」

何処からか、牢屋の鍵を見つけてきた佐助が遊士の隣に立つ。
その姿に代表者の男が目を見開いた。

「そなたはあの時の、武田の忍!」

「ん?会ったことあったっけ?」

「そなたが竹千代様に同盟の話を持ってきた折り、私も同席していたのだ」

「ふぅん」

ま、良いけどと佐助は興味を無くした様子で話を流し、遊士に目線で先を促す。

「先に一つ、お前達に教えておいてやる。…徳川は豊臣にはつかないぞ」

「なにっ?」

遊士の一言に牢屋の中に居た数十名の男達がざわつきだす。
佐助が何事か言いたげに遊士に視線を向けてきたが、遊士はあえてその視線を無視した。

「信じるかどうかはお前達次第だ。…ここの鍵は通りがかったついでに開けておいてやる。後は好きにしろ」

ざわめきが収まらぬ中に投げ込まれた台詞に、慌てて代表者が聞き返す。

「何故、武田が我らを助けると申すか…」

徳川は武田からの再三の同盟を断り、織田方に付いた。それには徳川方にも様々な理由があってのことだったが。
困惑と疑惑を隠せない代表者の男の顔を見て、遊士はハッと鼻で笑う。

「残念だが、その答えも外れだ。こいつは確かに武田の忍だが、オレは武田の人間じゃねぇ」

「なに?では何処の者なのだ」

「…さぁな。今はオレの事よりも他に考えることがあるだろ」

遊士からの目配せで佐助が牢屋の鍵に手をかける。
本当に解放してくれるのかと牢屋の中から佐助の手元に突き刺す様な視線が集まった。
そして、数秒と経たずに鍵を外した佐助に男達から歓声が上がる。

「アンタらさぁ、ここがまだ敵の本拠地の中だってこと忘れてないよね」

その様子に佐助が呆れた様な眼差しでぼやき、遊士は気を引き締めさせる為に男達を一喝した。

「牢から出れたぐらいで気を抜くな。この先、油断してる人間から死んでいくことになるぞ」

一瞬にして静まり返った男達から視線を外した遊士は佐助に声を掛け、牢屋にもう用はないと背を向ける。佐助も倣うように背を向けて、先に進むべく歩みを再開させた。

「おい、どうする?」

「どうするったって…」

「今はあの者達を信じて脱出するしかあるまい」

「罠かも知れないのだぞ」

背後で囁かれる会話を聞き流しながら、その場を離れて行った遊士に佐助は先程意図的に無視されて切り出せなかった台詞を口にする。

「どうして徳川は豊臣に付かないなんて言った?」

現状、徳川がどちらに付くかなんて誰も知る由がない。それとも…。

「何を言いたいのか知らないが…オレには先読みの力もなければ、夢見の力もない。自分の持て得る手段と武器でただ必死に今を生きてるだけの人間だ」

腰に佩刀している刀に触れ、遊士は薄暗い視界を切り裂くような鋭い声で言い切る。それは同時に目の前の現状を口にしている様でもあり、どこか遠くを睨み据えての言葉でもあるように聞こえた。

「どちらにしろ此処から出なきゃ何も出来ない。その間に背後から刺されるのだけは御免だからな」

敵は豊臣だと意識を統一させることで、背後の安全を確保する意味もあった。だからと言って警戒を緩めるつもりは更々ないが。
そう述べた遊士の言葉、行動一つをとっても実は様々な思惑が隠されていた事実に佐助はふぅんと気の無い返事を返しつつ、内心では遊士への評価を変えていた。

(中々に侮れない御仁だ。さすが伊達の姫君と、言えばいいのか…。本当にこの人は何者なんだ?)

そして、そんな二人の後方を距離をおいて徳川方の人質だった面々が付いてきていた。






「家康様」

知らず俯いていた家康は、襖越しに掛けられた声にハッと顔を上げる。
素早く立ち上がると自ら襖の前に立ち、急く心を抑えつつ襖を開け放つ。続き間となっていた部屋の中心に寝かされていた者に足早に近付くと、その者の枕元で膝を着いた。

「忠勝…」

その部屋で寝かされていたのは、鎧兜を脱がされ、全身に包帯や白い布を巻かれて手当てを施されて眠る徳川の将、本多 忠勝であった。
枕元で忠勝の名前を呼び、膝の上で両の拳を握り締めて項垂れた家康に最初から同じ部屋にいた老齢の薬師が気遣うような視線を向ける。

「それで、忠勝は…どうなのだ?」

その視線を感じたのか、家康は忠勝に視線を落としたまま薬師に問い掛ける。

「はっ、…本多様はご覧の通り、絶対安静の身なれば。また、表面上の事を申し上げるならば、鎧兜のお陰で切り傷などの致命傷となる深いものはございません。火傷も私共の治療で何とかなりましょう。ですが、身体の中はそうはいきません。強い衝撃を受けたことで、骨が何本か折れております」

「それは治るものなのか?」

「時間はかかりましょうが、何とか治してみせます」

薬師の言葉には力強い意志が込められていた。家康はそのことにはっと息を吐く。
薬師がここまで言い切っているのに、自分ときたら何という体たらくなのだ。

「…そうか。忠勝を頼む」

「はっ。我が身命を賭して」

家康は眠る忠勝から視線を無理矢理剥がすと、足腰に力を入れて枕元から立ち上がる。
その足で、自室へとは戻らず、無人の大広間へと向かった。
誰も居ない大広間に用意された上座に腰を下ろし、暫し目を瞑る。
すっと呼吸を整えると静かに目を開けた。

「半蔵、いるか?」

家康の声に応じて一人の忍が何処からともなく大広間に姿を現す。
佐助の様に人目を引く服装ではなく、その者は完全に闇に溶け込む様な黒い服で全身を覆っていた。
目の前で片膝を着き、頭を下げて待機する服部 半蔵に家康は声を掛ける。

「あれからどうなった?信玄公は、竹中 半兵衛は…」

「武田 信玄は重症。竹中 半兵衛は撤退。真田 幸村がその追撃に出た模様。また、別方面に放った者より上杉も重症との知らせがあり、そちらも豊臣の手による者かと」

「何と!謙信公までか」

驚きに目を見開く家康の前に、半蔵は懐から地図を取り出すと開いて差し出す。

「その間に伊達が進軍している模様。現在部下に調査させております」

家康は半蔵からもたらされた情報を元に地図を目線でなぞった。
元より武田から持ち掛けられていた同盟の話を思いおこし、家康は現在日ノ本中を巻き込んで起こっているであろう戦を想像する。

「わしはどうしたら…」

徳川は戦国の世を生き抜く為に、これまで織田と同盟を結び、その約束として徳川に所縁のある人間や家臣を人質にとられていた。
また、その彼らの事を指してか竹中半兵衛は憂いは排除したと。徳川は晴れて自由の身だと言った。
いつの日にか、豊臣が持ち掛けて来た、豊臣の軍門に降る話を投げ掛けられた。

『約束通り豊臣に降ってくれるね?』

しかし、その言葉を鵜呑みに出来るほど家康も楽天的ではない。
かと言って、悩んでいる時間もない家康の元に結論を急くように半蔵の部下が慌てた様子で飛び込んできた。

「家康様、火急の知らせに御座ります!」

「何だ」

「はっ!織田 信長が本能寺にて討死。また仔細は不明ですが、伊達と思わしき軍勢が本能寺から大阪に向けて進軍中」

「なんじゃと!信長公が!?」

次々と舞い込んでくる新たな情報に家康は一刻の猶予もないのかと頭を悩ませる。
まさに時は今…、そう言わんばかりに様々な事が動いている。

地図を睨んだまま黙りこんでしまった家康に、何かに気付いた半蔵とその部下は家康に一言断りを入れて、素早くその場から姿を消す。
間もなく大広間に人が押し寄せてきた。

「竹千代様!お加減はもう宜しいのですか」

「軍義を開くのならばワシも呼んで下され」

「とうとう御決心成されたか。我ら一同、何処までも竹千代様に付いていく所存で御座りますぞ」

「お前達…いや、しかし、お前達も怪我を…」

ぞろぞろと現れた家臣達に家康は戸惑いながら皆を見回す。

「こんなもの本多殿に比べれば怪我のうちには入りませんぞ」

「そうじゃ、そうじゃ。竹千代様が何やら険しい顔で大広間に向かったと小姓や女中達から聞いたら居ても立っても居られず」

「ここが天下の分かれ目と、誰もが感じているのです」

集った家臣達の頼もしい言葉に家康はグッと瞼を閉じる。

「こんなわしにまだ付いてきてくれると言うか…」

「何を今更!我らだけでなく、此処にはいない彼らも思いはきっと同じで御座います!」

竹千代様と、家康が幼い頃から遣えてくれている家臣達が家康の幼名を呼ぶ。
同時にそれだけの期間、家康と苦楽を共にしてきた証でもあった。
家康は再び目を開けると力強い光を灯した眼差しで、自分の言葉を待つ家臣達の顔を見回して上座から立ち上がった。



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