08
半兵衛が遊士脱走の報告を受けたのは秀吉と今後のことについて話し合っている最中であった。
大きな爆発音と城全体を揺らすような衝撃、すぐさま半兵衛は状況を把握する為に廊下にいた足軽を走らせた。間もなく、別の兵士が慌てた様子で半兵衛の元へ駆け込んで来た。そして、兵士は息を整える間も惜しいというように矢継ぎ早に口を開いた。
「ざ、座敷牢にいた男が…、牢を破壊し、逃げ出しました!」
「なに?彼は相当な怪我を負っていたはずだ。あんな重傷の身体で逃げられるとは思えないが」
もたらされた報告に半兵衛は眉をひそめ、今だ肩で息をする兵士に鋭い眼差しを向ける。
「他に誰か一緒にいなかったか?」
「はっ、はい!それが、忍びらしからぬ、忍び装束を身に着けた男が、一緒に走り去っていったと…」
「…武田の忍びか。いつの間に」
警戒を怠ってはいないはずだが、今回は向こうの方が一枚上手だったということか。はたまた、多方面へ兵士を動かしているせいで隙が生まれてしまった可能性もあり得る。
「だが、怪我人を連れてそう遠くへは逃げられないはずだ。必ず城内で捕縛しろ」
「はっ!」
勢い込んで返事を返してきた兵士は半兵衛の命令を携え、駆け込んで来た時と同じように全力で廊下を駆けて行く。
その背中を見送って、室内へと体を戻した半兵衛に今まで沈黙を貫いていた秀吉が声を掛けた。
「あれの価値は認めるが、生かしておく必要があるのか?」
「あぁ…何でわざわざ生け捕りにするのかって?」
半兵衛は秀吉の問いに言葉を選ぶようにして、答えを返す。
「彼を殺してしまった時の影響がどう出るか分からないというのが一番大きな理由かな」
言いながら半兵衛は机の上に広げられた日ノ本の地図を見下ろし言葉を続ける。
「彼が存在することで歴史は変わった。ならば、彼という異分子が消えたら?その後の事も見てみたい気はするけど、再び混乱に陥った世を治めるのは骨が折れそうだ」
本音を言えば、迷信であれ何であれ、半兵衛には先読みの巫女という存在にすがりたい気持ちがあった。
例え、秀吉が天下を取れない未来が用意されていようとも。その道筋さえ決まっていれば、先の見えない混沌とした戦を無闇に続けるよりかは、決まった道筋のどこか一点に狙いを定めることで逆転も可能のはずだ。
故にこれ以上の大きな混乱は避けたい。
戦を長引かせたくはない。
なぜなら……半兵衛は自身に残された時間が少ないことに気付いていた。
事実、遊士との戦闘中に咳き込んだのもその一端で。半兵衛はその身を病に冒されていた。
けれども、それは誰にも秀吉にも告げぬと決めたこと。秀吉には何の憂いもなく、強い国を造るという目標に向かって突き進んで行ってもらいたい。それが二人で描いた夢なのだ。だから…。
本心を隠したまま半兵衛は秀吉に理由を語り続ける。
「それに前の巫女のこともある。僕達は光秀君を誘導した結果、信長公を討つことには成功した。けれど、その前提に信長公自身が巫女を斬り捨てたという事実があることに変わりはない」
「お前はそんな迷信じみたものを信じるのか?」
「いいや。全てがとは思わないけど、とにかく彼の存在を掴んでいれば彼等に対して人質としても使えるだろう」
「ふむ…」
一理はあると納得してもらえたのか、半兵衛はちらりと秀吉の顔を見てから、途中で中断されてしまった話し合いを再開させるべく話を変えた。地図上に配置されていた敵軍を示す駒を指先で押し進める。
「いずれにしろ政宗君達は彼を取り戻すべくここへ来るだろう。それに併せて城門は全て閉めさせている。第一防衛陣をこの辺に敷き、第二陣をその後方に敷く。流石に全武将を相手にするのは分が悪いから、第二陣には囮になってもらって、まずは敵の戦力を分断する」
そうして大阪城では着々と敵軍を迎え撃つ為の準備が整えられて行った。
その頃、敵方である伊達軍並び長曾我部軍は半兵衛が残していった厄介な問題が足を引っ張っていた。それは伊達軍内部に紛れ込んでいた間者の事だ。
「おいおい、不穏分子を残しておくってのか?」
「そうだよ、独眼竜。そこの彼の二の舞になったら一大事じゃないか」
大阪城へ出発する直前、政宗と小十郎は未だ内部に潜んでいるかもしれない豊臣の間者に対して捨て置くことを決めた。その決定に異を唱えたのは元親と慶次で、成り行きを見守るしかない両軍の兵士達は一様に不安そうな表情を浮かべた。また、一番に声を上げそうなイメージのある幸村は珍しく口を挟まなかった。
政宗はちらりと自軍の兵と元親が率いてきた兵を一瞥し、異を唱えてきた二人に視線を戻す。
「西海の、アンタの兵にも間者が紛れ込んでる可能性もある。そんないるかも分からねぇ間者を探すのは時間の無駄だ」
「政宗様の仰る通り。このまま放置するのは癪だが、今この場で疑心暗鬼に陥り、間者探しをするのは豊臣の思うツボだ」
何の為にわざわざ兵士達が見ている前で彰吾を刺したと思う。始めから狙う人間が決まっていたなら衆人環視の中ではなく、それに適した時間と場所、環境を選択したはずだ。
「そりゃそうだが…」
「要は、自分の身は自分で守れってことだ。You see?」
強引に話を纏めにかかった政宗に、今は時間も惜しいと理解している二人は、何とかその理由で自分達を納得させる。とはいえ、今のままで連れて行くことに危険がないわけではないので、兵士達には別に小十郎から指示が出された。
「今後は今自分の隣にいる奴と必ず二人で行動しろ」
「互いに監視させるってわけか。よし、おめぇらもこれからは二人一組で動け」
小十郎を見倣って元親も自軍へと声を掛ける。
更に小十郎は内部に潜んでいるかもしれない豊臣の間者を威圧するのも忘れなかった。
「豊臣に与したところで使い捨てにされるのが落ちだ。その事を承知の上で、死にたい奴は俺にかかってこい」
不安の表情に揺れていた伊達軍の兵士達は揃って顔を引き攣らせ、顔色を悪くする者達もいた。しかしそれも数秒のことで、伊達軍兵士達は次々に口を開く。
「小十郎様に立ち向かう命知らずはいませんて!」
「そうだ、そうだ!」
「何て恐ろしい…」
「俺だったら逆に逃げる。何をおいても逃げる」
「だよなぁ」
ぼそぼそと囁く声まであり、良いのか悪いのかよく分からない反応に小十郎のドスの効いた声が落ちる。
「逃げるとは…てめぇら、やる気あんのか!」
ひぃっと本気で情けない声を上げだした兵士達を見かねてか、政宗が口を挟む。
「もう十分だろ。その辺にしといてやれ、小十郎」
「分かりました。…てめぇら、出立だ!」
小十郎の号令でちゃっちゃと出発準備を整えた騎馬と歩兵が並び、それに触発されたかのように元親の軍もずらりと整列した。
先頭を政宗と小十郎。彰吾と幸村が続き、その後を地理に疎い元親。後方を両軍の兵士が走る。
「それじゃ俺は元就に作戦変更を伝えてくるよ」
「おぅ、野郎共を頼むぜ!」
「任せといてくれ」
元親と馬を並走させていた慶次は途中で大阪城へと向かう一団から離れる。慶次は一人、毛利の元へ連絡をとる為に一度別れることにしたのだった。
「彰吾殿。怪我の方は大丈夫でござるか」
「大丈夫だと言えば嘘になるが、これぐらい遊士様に比べれば…」
遊士が連れ去られる場に居合わせた幸村なら遊士の怪我の度合いも知っているだろう。だからそれに比べればたいしたことじゃない。そう告げた彰吾に対し、幸村はそうは思わなかったらしい。
「そういうことではござらん。遊士殿は彰吾殿の身を案じておられた。ご自分が危機的状況におられたにも関わらず。お二人がどれだけ互いを思っているのか、某にも十分伝わってきもうした。だからこそ、彰吾殿はもっとご自分を大事になされよ。でないと遊士殿が悲しまれます」
一度、彰吾殿を気絶させた某が言うのも変だがと、彰吾と馬を並走させた幸村が咎めるように言葉を零した。
その様子に、心配されているのだと気づき、彰吾は強張っていた頬を微かに緩ませる。
「あぁ…分かっている。遊士、…様はそういうお方だ」
遊士は昔から人の機微に敏く、己の懐に入れた人間に対してはかなり情が深い。何かあれば自身の事のように一喜一憂するだろう。
彰吾はちらと幸村の真剣な横顔を見て、遊士のライバルである真田 幸弘の幼い顔を思い出す。
真田の人間というのは敵味方関係なく、時が移ろうとも心へと真っ直ぐ届く言葉をぶつけてくる。
「歯痒いかもしれませぬが、どうか今は佐助のことを信じて下され」
幸村も重傷を負った主、武田信玄公のことを心配していないわけがない。
なのに、その気持ちを抑えた上で彰吾に言うのだ。
人の心配をしている場合かと、焦っていた彰吾の心に反論する余裕が生まれてくる。
「俺は猿飛のこと…真田殿と同じぐらい信用してますよ」
「彰吾殿…」
それに、今は頼れる人達が自分の周りにはいる。
その最たる二人の大きな背中を追い掛ける様に彰吾は毅然と顔を上げ、真っ直ぐ前を見据える。
馬が強く地面を蹴る度に振動が傷口に響き、鈍く腰と脇腹、胸の辺りが痛んだが彰吾は口を引き結び、その背中を信じて馬を走らせ続けた。
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