魅せる空気
受け取った刀を腰に帯び、左手を軽く鞘に添える。右手を刀の柄にかけ、心持ち右足を前に。
一度瞼を下ろし、細く息を吐き出すと、ゆっくりと瞼を押し上げ、
「ふっ―…!」
一気に抜刀。
抜いた時の速度を落とさぬまま、左から右へ横一閃。鞘に添えていた左手を離し、両手で柄を持つ。そうして、流れるように刀を上段、左斜め上へと斬り上げ、垂直に鋭く振り下ろす。
「はっ―…!」
振り下ろした刃を返し、今度は左下から右斜め上へ。刀を頭上に、刃先を真っ直ぐ、真正面に来るよう振り上げ、ヒュンと鋭い音を立てて振るう。
襷掛けした袖からすらりと無駄のない、程よい筋肉がついた腕が覗く。きゅっ、と踏み締めた床が小さく鳴り、ピンと引き締まった空気がこの場を外界から切り離す。
一歩、足を動かすごとに紺色の袴が揺れ、研ぎ澄まされた刃が空を切る。
それは、普段の遊士からは想像出来ない、静かで細やかな洗練された剣技。
政宗同様、遊士も文武両道で大抵の事は出来るが、その中でも遊士が得意とするのはこの剣舞だった。
「………」
言葉も無く、政宗と小十郎は遊士の剣舞を見つめる。
激しく、それでいてどこか優美な。
洗練された凛とした空気が鍛練場を支配していた。
ポタリと、顎を伝って汗が落ちる。
「ふ―…っ」
静かに細く息を吐き、瞼を少し伏せながら、遊士は刀をゆっくりと鞘へ納めた。
同時にこの場を支配していた空気も霧散する。
けれど、誰もが動けずに暫し遊士の魅せた余韻に浸っていた。
「彰吾」
まず動いたのはこの場を支配していた遊士で。
差し出された手の上へ、彰吾は持っていた手拭いを渡した。
遊士はこめかみから落ちてきた汗を、彰吾から受け取った手拭いで拭う。
そして、こちらを見ていた政宗と小十郎に視線を投げた。
ふっと緩んだいつもの空気に、政宗は知らずの内に詰めていた息を吐き出す。鍛練場の中央に立つ遊士の元へ足を進めながら政宗は漸く口を開いた。
「ha-…、言葉になんねぇな。それぐらいすげぇ」
「えぇ、一つ一つの動作が洗練されていてとても綺麗でした」
小十郎も政宗の言葉に頷き、感嘆した様に続けて言う。
「ん…Thanks」
得意なことで褒められたのはもちろん、政宗と小十郎二人に褒められたことが嬉しくて遊士は上気した頬を緩ませた。
それを彰吾も優しげな瞳で見る。
「それにしても剣舞とは…」
「意外だったか?まぁ、得意だって言っても人前でやる機会なんて早々ねぇから知らない奴の方が多いしな」
遊士は政宗にそう返しながら腰に挿していた刀を鞘ごと抜きとった。
それに政宗はふむと一つ頷き、何か閃いたように口端を吊り上げる。
「ないならその機会を作りゃ良いだけだ。なぁ、小十郎?遊士の剣舞、そのままにしておくのはもったいねぇとお前も思うだろ?」
「そうですな。これ程のもの…何かの折りに披露しては如何でしょうか」
「そうだな、考えておくか」
本人をよそに真剣に話を進めていく政宗と小十郎。側で聞いていた遊士は途端、面映ゆくなって、彰吾に助けを求めるように視線を移した。
「良いではありませんか。それにその方があの御方も喜ばれるでしょう」
「…そうかな」
「はい、きっと」
遊士の背を押すように彰吾は力強く頷く。
「…それならいいが」
褒めすぎだと思えるほどの言葉に、見せる機会がないと知れば惜しいと言って、その機会を作ってくれようとしている二人。
そんな二人を見つめ、遊士はいつもの自信に満ち溢れた笑みではなく、ふわりと女性らしさを感じさせる柔和な笑みを溢した。
「政宗」
手にした刀へ視線を落とし、遊士は柔らかな声音で名を呼ぶ。
「ん、どうした?」
この剣舞は父上から継いだ刀と同じぐらいオレにとってはかけがえのないもの。大切な人の為に舞う…だから、
「次の、戦勝の宴なんかどうだ?披露するなら皆を驚かせて、魅せてやろうぜ」
政宗と小十郎さん、二人のいるこの伊達軍がオレは好きだから。大切と思える。
顔を上げた遊士はニッと悪戯を思い付いた子供の様に、無邪気な笑みを浮かべてそう言った。
「…hum.そりゃ良いな。OK、決まりだ」
悪戯染みた笑みを見せる遊士に政宗もニヤリと同じ性質の笑みを返す。
「では、それまでに剣舞用の衣装を用意しておきましょう」
「え?いや、別にそこまでしなくても。この格好で十分…」
真面目な表情で告げた小十郎に遊士は慌てて首を横に振る。
「遠慮すんな遊士。こういう小十郎は珍しいんだぜ。素直に受け取っとけ」
ふっと口元に、楽しげに弧を描いた政宗は遊士の頭にポンと手を乗せると続けて言う。
「俺も見てみてぇしな」
「政宗、小十郎さん…」
戸惑う遊士を、彰吾は口を挟まずに見守っていた。
その後、結局剣舞用の衣装を用意して貰うことになり、遊士は衣装の打ち合わせを小十郎とする為に一旦着替えに戻る。
その姿が鍛練場から見えなくなってから、政宗は今まで成り行きを見守っていた彰吾へと声をかけた。
「ところであの剣舞は一体誰から教わったんだ?」
「あれは奥方様、…遊士様の母君が」
「それでか…」
剣舞とはいえいつもと違う空気、視線の置き方、刀捌き。どれ一つとっても透明感溢れる優美なもので、そこに姫としての遊士本来の姿を見た気がした。
「政宗様?」
ふと呟いた政宗の呟きを拾って彰吾が聞き返す。
「いや、何でもねぇ。それより遊士のファンがまた増えそうだな」
けれど政宗は彰吾に応えず、別の事を口にして話を反らしたのだった。
遊士の剣舞、披露しないのも勿体無いが、披露するのも少し惜しかったか。なんて、…政宗が後々思ったのはここだけの秘密である。
end.
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