02
「きつくはありませんか?」
締めた帯から手を離し、小十郎は遊士に声をかけた。
「ん、大丈夫。ありがと小十郎さん。こんなことさせて悪いね」
「いえ、何か困った事がありましたら遠慮せず申して下さい」
では、と退出した小十郎を見送り遊士は室内を振り返った。
「ふぅ。政宗の言う通り今日はもう大人しくしてるか」
栞を挟んで机の上に置いてあった書物に手を伸ばし、遊士はその本を持って廊下に出る。
自室前の濡れ縁に腰を下ろし、背を柱に凭れかけると片手で書物を開いた。
「たまには悪くねぇか」
遠くで真田と政宗の声が微かに聞こえる。
書物に視線を落とした遊士は、口元に小さく笑みを浮かべ綴られた文字を読み始めた。
◇◆◇
「片倉殿!遊士殿のご様子は如何で?」
心配そうに聞いてくる幸村に小十郎は痺れ薬さえ抜ければ軽傷だ、と一言返す。
「そうでござるか。良かった…」
ホッと安堵の息を吐く幸村はこのご時世の中、珍しく真っ直ぐな心を持った男だった。
「別に真田、お前が悪いわけじゃねぇ。が、気になるなら夕餉の時にでも謝っておけ」
「そうでござるな」
「何か俺様の時とえらくちがくない、右目の旦那ー?」
幸村の傍らに何時から居たのか佐助が不満そうに口を挟む。そこへ政宗が言葉を被せた。
「ha、日頃の行いのせいだろ。それより小十郎、夕餉は食べやすい物にしてやれ」
左手もある程度使えるとは聞いてるが、細かい物は掴みにくいだろ。
「そうですな、多少行儀は悪くなりますが箸で刺せるような物などに致しましょう」
「夕餉…片倉殿の作る野菜はどれも美味いでござるからな、某も楽しみでござる」
隣で夕餉に思いを馳せる幸村と、その夕餉の相談をし始めた伊達主従の側で、佐助は一人やれやれと肩を竦めた。
ぱらりと、風に煽られて紙が捲れる。
遊士の膝の上に開かれたままの書物を手に取り、側に置かれた栞を挟むとその書物を閉じた。
「遊士、こんな所で寝てると風邪引くぜ」
「…ん…ぅ」
うっすらと持ち上がった瞼の下から、まだ眠そうな瞳が現れる。
「Get up.小十郎が夕餉の仕度をして待ってる」(起きろ)
「こじゅーろさんが?」
だんだん意識がハッキリしてきたのか、遊士は小さく欠伸を溢して、目の縁に溜まった滴を払おうと腕を動かす。
「―っ、…そうだった」
しかし、まだ痺れはとれておらずピリピリと指先に走った痺れに遊士は動きを止めた。
「どうした?まだ痛むか?」
「や、大丈夫」
痺れがとれないだけ、と遊士はゆっくり立ち上がり、政宗の手から書物を受けとる。
それを机の上に戻すと遊士は政宗と共に客間へ向かった。
幸村達が来た時は朝餉は別として、夕餉を共にとることが最近では通例となってきていた。
◇◆◇
席に着き、遊士は左手で箸を持つ。
そして、御膳に置かれた料理を一目見て、これが自分の怪我を考慮して作られた物だと気付いた。
そんな些細な気遣いに遊士は嬉しくなり、考えてくれただろう政宗と小十郎をチラリと見やる。
視線には気付いてるだろうが何も言わない二人に遊士は視線を御膳に戻した。
「Thanks...いただきます」
食事中は静かなもので、いつもは煩い幸村も料理に舌鼓を打ち、客間は暫く穏やかな空気に包まれた。
その後、夕餉を終えた遊士が客間を後にしようとしたところ幸村に捕まった。
「遊士殿、昼間は本当に申し訳なかった。わざとで無いと言え怪我を…」
「ah-、そう気にすんな。鍛練に怪我は付きものだろ?オレが未熟だったせいもある」
だからそう謝られても困る、と遊士が言えば何故か幸村は感動した様に拳を握った。
「何と、お心の広い!まるで御館様のような…!」
なんたらかんたらと幸村の言葉は続いたが遊士は聞き流した。
「おい真田。武田のおっさんと遊士を一緒にするんじゃねぇよ」
同じく自室に戻ろうと座を立った政宗は一人自分の世界に入ってしまった幸村に鋭い声を投げる。
「あはー、こうなったら旦那は暫く戻って来ないから放っといて良いよ」
そんな幸村をフォローするように佐助が口を挟み、佐助の視線は遊士の右腕で止まった。
「………」
「ah?」
自分に向けられた視線を敏感に感じ取った遊士は佐助を見返す。
すると佐助は遊士の視線から逃げるようにふいと視線を反らした。
何だ?
遊士が首を傾げ、ジッと見れば佐助は罰の悪そうな表情を浮かべる。そして、
「…俺様も悪かったよ」
ポツリと溢した。
一応気にしてくれていたらしい。
遊士は苦笑を溢し、幸村に言ったのと同じ言葉に一言付け足して返した。
「気にしてねぇよ。ただ…彰吾の奴は自力で何とかしてくれ」
「あぁ。そろそろ戻って…来たな」
政宗の台詞の直ぐ後、廊下から声がかかる。
「政宗様、遊士様はこちらに居られますか?」
まだ残されていた難関に佐助が固まる。
「無事奥州から出たけりゃ腹をくくるこったな」
間を置かず無情にも小十郎の手により障子は開けられた。
「お、お久しぶり…?」
「…!、遊士様そのお怪我は!?―っ、てめぇか猿飛!!」
説明も無く、状況を正しく理解した彰吾は刀を抜き放つ。
「わっ、彰吾の旦那!?まずは落ち着いて話し合いから…」
「やっぱりてめぇだな!遊士様に怪我させたのは!」
遊士は巻き込まれる前に静かに部屋から抜け出し、政宗と小十郎は彰吾を止めもせずに眺める。
「はっ!?お待ち下され彰吾殿ー!」
それは幸村が止めに入るまで繰り広げられたのだった。
end.
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