触れるべからず
数分前まで熱気の籠っていた鍛練場。今はその空気さえも凍りついた様に静まり返っていた。
「っう――」
ごとりと、右手から滑り落ちた木刀が音を立て、パタパタッと床に赤い液体が落ちる。
「遊士様!」
「遊士殿!申し訳ござらぬっ!」
離れた場所に立っていた小十郎は血相を変え慌てて遊士に駆け寄り、幸村は両手に槍を握ったまま、そのまま土下座でもするような勢いで遊士の側へ寄るとその傍らに膝をついた。
「遊士っ!…てめぇ、猿!」
何の躊躇いもなく腰に帯びた六爪が乱暴に引き抜かれ、パリパリと蒼い放電が刀を取り巻く。
「うえっ!?ちょっ、竜の旦那!?まっ―」
それを向けられた佐助はぎょっと目を見開き、助けを求めて鍛練場内に視線をさ迷わせる。が、助けてくれそうな者は見当たらない。
唯一の救いは彰吾がいない事か。
「覚悟は出来てんだろうな?」
鋭く吐き出された声音に佐助は冷や汗を浮かべ、口元を引き吊らせた。
「いや、覚悟って…ちょっと待ってよ!今のは事故だって!」
ちらちらと、右腕を抑え座り込んだ遊士に、佐助は視線を送る。
「あー…」
「遊士様。貴女様が猿飛を庇う必要はありません」
流石に可哀想だと思ったのか遊士が口を挟もうとしたのを、先を読んだ小十郎が遮った。
そして、治療を施すため移動しようと遊士の背に手を添え立って貰うと佐助を一瞥して続ける。
「政宗様、どうぞ御存分になされませ」
「えぇっ!?右目の旦那ァ!!嘘でしょ!?」
「ha、小十郎は嘘や冗談は言わねぇよ」
さぁ、死合と行こうじゃねぇか!Let's party!
「いやいや、そんな殺気立った目で言われても!旦那ァ!」
最後の最後、情けなくても良いやと佐助は幸村に助けを求めた。
だが、
「政宗殿、佐助も悪気があったわけでは御座らん。程々で勘弁してやって下され」
「ちがーう!」
望んだ言葉は返されなかった。
その日、晴天だったにも関わらず青葉城内に大きな雷が一つ落ちた。
「いてててっ…、もうちょっと優しくしてよ右目の旦那」
至るところに出来たきり傷に消毒液をたっぷり染み込ませた布を押し付けられ、佐助は文句を垂れる。
「それだけで済んで良かったじゃねぇか。政宗様に感謝するんだな」
良く見れば佐助の忍装束は薄汚れ、疲れた顔をしていた。
「………それで遊士の旦那は?」
「右腕の怪我は出血のわりにたいした怪我じゃねぇ。が、どこぞの忍の用心深さのせいで今は右腕が痺れて使いものにならねぇとよ」
「うげっ…」
嫌な顔をした佐助は、偶然が重なって起きた事故と自分の運の無さを嘆きたくなった。
そもそも遊士の怪我は佐助の投じた手裏剣のせいだが、何も遊士を狙って投げた物ではない。
あれは幸村との稽古で投じた一手であり、幸村の槍に弾かれ予想外の方向へ飛んでしまった事から起こった事故だ。
それを見てとった佐助は、咄嗟に叩き落とそうと更に手裏剣を投げた…のが間違いだった。
始めに飛んだ手裏剣は難なく遊士の木刀で叩き落とされ、後から投じた二投目が遊士の右腕を傷付けた。
まさに佐助の判断が裏目に出たといえる。
「はぁー、だからって竜の旦那も酷いと思わない?」
「思わねぇな。偶然であれ遊士様に怪我させたのは事実だ。…ほらよ、終いだ」
「っ!?…どうも」
べしりと手当てを受けた箇所を叩かれ、佐助は瞬時に半歩小十郎から離れた。
手裏剣に塗られていた痺れ薬のせいで、今日一日は使いものにならないだろう右腕に視線を落とす。
遊士は怪我を診てもらい、自室に戻ってから困った事に気付いた。
「着替えれねぇ…」
右腕が使えねぇんじゃ袖を通すどころか帯すら結べない。
遊士は女中に宛がわれている部屋に向かい、外から声をかけた。
「喜多さーん」
しかし、返事は無く中を覗いても誰もいない。
仕方なく諦めて自室に戻ろうと足を進めた先で鍛練場から戻ってきた政宗と遭遇した。
「小十郎と真田はどうした?怪我は診てもらったか?」
「あぁ、怪我はたいしたことねぇんだけど痺れがとれるまで右腕は使えねぇって」
遊士が困ったように言えば政宗は眉を寄せる。
「あの猿…」
「それで小十郎さんとは途中で別れて、真田は煩いから置いてきた」
「置いて…まぁいい。それより今日はもう自室で大人しくしてろ」
うろうろしていた事を指しての台詞だろう、遊士は実は…と相談する事にした。
「着替えようと思ったんだけどこの腕じゃ無理で」
「喜多は…確か朝から城下に使いに出てたな。彰吾もいねぇし」
そこへ近付く一つの足音。
「政宗様?遊士様も。どうなさいました。もしや傷が痛むので?」
「いや…」
カタン、と板の外れる音もして性懲りもなく佐助が現れる。
「そう言う事ならお詫びに俺様が着替えをお手伝…」
「させるわけねぇだろ。小十郎、頼めるか?」
「はっ。遊士様がよろしければ」
話を向けられた遊士はじゃ、頼むとあっさり頷き返した。
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