蕾(トサカ丸×黒羽丸)
触れたい、触れてはいけない
相反する想いが胸を締め付け躊躇いを生む
けれど、伸ばされた手はいともたやすく心を奪う―…
□蕾□
ふわりと発生した風に濡れ羽色のさらさらな髪が踊る。背にある同色色の羽が風を起こし、軽やかにその体を夜空へと舞い上がらせた。
薄雲のかかった月がその姿を淡く照らす。
何て事はない、見慣れた光景。
「おい、行くぞ。トサカ」
「……おぉ」
その姿に見惚れる様になったのはいつからか。
気付いた時にはもう目が離せなくなっていた。
(けど、俺が触れていい人では…。兄貴…)
意識を切り換える様にふるりと首を横に振り、背にある翼を動かす。
空で待っていてくれる黒羽丸の隣に並び、トサカ丸は薄雲のかかる夜空を見上げた。
「今夜も忙しくなりそうだな」
そして月明かりの乏しい夜に瞳を細め、黒羽丸へとその視線を落とす。するとそこには、ぐっと眉間に皺を寄せ、こちらを見つめる黒羽丸がいた。
「兄貴?どう…」
「お前」
不思議に思って口を開けば、不意に低くなった声音。すぃと心の準備もなく顔を近付けられ、トサカ丸の鼓動がどくりと跳ねた。
「っ、あ、兄貴?どうしたんだよ?」
とくとくと馬鹿みたいに早まる鼓動に、落ち着けーと言いきかせ、トサカ丸は何とか平静を保って口を開いた。
「どうかしたのはお前の方だろう?何だかぼぅっとして、具合でも悪いのか?」
だが、そんなトサカ丸の心情など知らず、黒羽丸は錫杖を持つ手とは逆の手を伸ばしてくる。額に落ちる鮮やかな黄色い前髪を掻き上げ、躊躇もなくコツリと額同士が触れた。
「――っ」
伏せた瞼から覗く紅い瞳。黒羽丸の端正な顔が、目の前に。
そして、じわりと額から伝わる熱に、吐息さえ触れえる距離に。
「ん?やっぱり具合が悪いんじゃないか。熱があるぞお前」
すっと離れていくぬくもりに、手が…。
「おい、トサカ?具合が悪いなら帰って―…」
黒羽丸の着物の裾を掴む。
「トサカ?」
「ぁ……、悪ぃ」
思わず掴んでしまった、着物に触れる指先から力を抜き、体に籠った熱を吐き出す様にトサカ丸は細く息を吐いた。
「…何でもねぇ。大丈夫だから」
この胸に抱える想いを悟られてはいけないと誤魔化せば、間髪入れず返ってくる鋭い声。
「嘘吐け。お前が俺の服を掴んでくる時は隠し事がある時か、困ったことがある時だ」
「は…?」
「何だ、気付いてなかったのか?お前はよく俺の後を付いて来ては、置いてかないでくれって言葉の代わりに俺の着物の端をぐいぐい引っ張ってたじゃないか」
「そんなことしてたか、俺?」
きょとんと瞼を瞬かせ、どこか張り詰めた空気を霧散させて首を傾げたトサカ丸に、黒羽丸はふっと表情を緩める。
「それで今度は何だ?」
「いや、兄貴に言うようなことじゃねぇから」
むしろ言えない。本人に恋愛相談など、告白したも同じじゃねぇか。
「何だ俺には言えない事なのか?」
鈍感なくせして何気に鋭いし。
ここはいっそ思いきって…いやいや待て、早まるな俺。
う〜んう〜んと、どうすべきか本格的に悩み始めたトサカ丸に、始めから無理に聞き出すつもりもなかった黒羽丸は苦笑を浮かべる。
「言いたくないなら別にいい。言いたくなった時に言え。相談ぐらいは乗ってやるから」
「う〜ん、それじゃぁ意味ねぇんだよな。受け入れてもらわなきゃ」
ボソリと溢した言葉は空気に溶け、黒羽丸が不思議そうに首を傾げる。
その仕草を可愛いなぁと眺めながら、トサカ丸は心を決めた。
「兄貴。…言いたくなったら一番に兄貴に言う。兄貴じゃないと意味ないし。だからそれまで待っててくれるか?」
「ん?あぁ…」
向けられた眼差しがいやに真剣で、とくんと黒羽丸の鼓動が脈打つ。
(なんだ…?)
「よし。んじゃパトロール行こうぜ」
バサバサと羽を羽ばたかせ、どこかすっきりとした顔で先を飛び始めたトサカ丸。
その後ろで、雲の切れ間からのぞいた月明かりに照らされ、自身の左胸にそっと手をあてる黒羽丸がいた。
「置いてっちまうぞ、兄貴ー!」
「今行く」
互いの想いが重なるまであと少し―…。
□end□
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