懐旧(昼+総珱)
ぽかぽかと…
春の匂いに包まれて
幸せな日々は紡がれる―…
□懐旧□
広大な敷地をコンクリート塀で囲った、歴史を感じさせる大きな屋敷。
その一角で、暖かな春の陽射しを受けて今年もまた凛と垂れ桜が咲き誇る。
「あら…」
ゆるりと吹いた風に乗って薄紅色の花弁が舞う。その行く先を目で追っていた珱姫は小さな声と共に笑みを溢した。
「ふふっ…」
そして桃色の袖から覗く白く滑らかな指先を持ち上げ、膝の上に乗せられた栗色の柔らかな髪に触れる。
すぅすぅと規則正しく漏れる寝息に笑みを溢したまま、珱姫は髪の上へと着地した花弁をそっと摘まみ上げた。
その花弁を、腰かけた縁側の外側へ落とし、己の膝の上で無防備に眠るリクオに視線を戻して、栗色の髪を優しく撫でる。
その瞳は深い愛情に満ちていた。
「鯉伴も昔は可愛かったのに、いつの間にか妖様に似て…」
むにゃむにゃと小さく動いたリクオのあどけない顔を見つめ、ふと昔を思い出す。
「…ぅ…かぁ…さん…?」
少し物思いに耽っていた珱姫は下から聞こえた声に意識を戻し、春の陽射しの様に暖かな声音で応えた。
「もうすぐ帰って来るからね。大丈夫」
ぽんぽんと安心させる様に小さなその背を軽く叩けば、ぼんやり開いていた瞼が再び落ちる。
「…すぅ…すぅ…」
そんな二人の様子をちょうど廊下の先からやってきたぬらりひょんが見ていた。
静かに珱姫の側まで足を進め、何も言わずに珱姫の隣に腰を下ろす。
「妖様…」
「リクオの奴、良く寝ておるのぅ」
珱姫の膝を占領して眠るリクオに苦笑し、ぬらりひょんは栗色の柔らかな髪に手を伸ばすとくしゃりと撫でた。
「若菜さんはどうした?」
「若菜様は鯉伴と一緒に買い物に」
「なるほど。それでお珱とリクオは留守番か」
リクオの頭を撫でていた手を引っ込め、ぬらりひょんは穏やかな眼差しで珱姫を見る。
「こうしておるとなんだか鯉伴のガキの頃を思い出すのぉ」
「妖様もですか?」
「何じゃお珱もか」
きょとんと瞬いた切れ長の金の瞳と丸い漆黒の瞳がぶつかる。
それがどこか可笑しくて、懐かしくて、二人はどちらからともなくリクオを起こさぬよう静かに笑った。
「…ま、もっとも鯉伴にはリクオの様な可愛らしさはなかったがの」
自分と同じ様な事を言うぬらりひょんに珱姫がくすりと笑みを溢して言い添える。
「えぇ、妖様に似て…」
「なんじゃそれは」
些か心外だと眉を寄せたぬらりひょんに気付く間もなく、ぬらりひょんから視線を外した珱姫は僅かに瞼を伏せて言葉を重ねた。
「格好良くなりましたね。良いお嫁さんを貰い承けて、こんなに可愛い子にも恵まれて」
ふんわりと緩んだ横顔と思いがけず耳にした想いにぬらりひょんの目元も和らぐ。
「そうじゃな…。鯉伴も家庭を持ってやっと一人前になりおったわ」
「あの子の相手は少し大変かも知れませんけど、若菜さんなら。私もこうして少しならお手伝い出来ますし」
安心した顔で眠るリクオを見つめた珱姫の肩に優しくぬらりひょんの手が添えられ、抱き寄せられる。
「お珱…」
低い吐息が耳を掠め、ぴくりと珱姫の肩が跳ねる。
「っ、妖様…?」
「お主は今幸せか?」
「何を…、私は今も昔も幸せですよ」
貴方の隣に居られて。
「そうか…」
「はい」
淡く染まった桜色の頬に瞳を細めて、ぬらりひょんはワシもじゃと囁き返す。そんな二人の間ですやすやと…健やかな寝息が春の暖かな空気に溶けて消えた。
□end□
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