後の月(昼+鴆+猩影)
天上に浮かぶ名月
甘いお酒を温めて
今宵の月はお前の為に―…
□後の月□
その誘いはいきなりだった。
いつもの様に賑やかな夕食を終え、後は歯を磨いて寝るだけだと自室でのんびり寛いでいたら不意に庭に面した障子にスッと長い影が写った。
誰?と昼が口を開く前にその影はゆらりと揺れ、外から声を掛けられた。
「三代目、猩影です」
「猩影くん?どうしたの?何かあった?」
用事がない限りあまり本家には顔を出さない猩影の来訪に、寛いでいた昼は急いで座布団から立ち上がり庭に面した障子を開ける。
だが、そこには特に変わった様子はみられない、普段通りの姿の猩影が立っていた。
「お迎えに上がりました」
「え?迎えってどこに?」
言われた事に心当たりのない昼は背の高い猩影を見上げ首を傾げる。
「鴆さんの屋敷に」
「…鴆くんの?」
行き先を聞いても用事の内容がいまいちピンと来ない。だが、猩影と鴆とくればそれは飲み会か何かだろうと昼はあたりをつけ納得した。
「それなら僕じゃなくて…」
「いえっ、昼の三代目のままで来て欲しいんで」
「でも、それだとお酒飲めないよ?」
「そこは大丈夫です。さっ、行きましょう」
腕を掴まれ、引き寄せられたかと思えば、ちょっと失礼しますと頭上から声が落ちてきて膝裏に手を差し込まれた。ふわりと体が浮く。
「わっ!?」
「少しの間我慢してて下さい。朧車だと目立つんで…それと夜の三代目にはちゃんと許可はとってありますんで」
猩影の腕に横抱きにされた昼は慌てて猩影の着ているパーカーを掴み、聞きとれなかった後半の言葉を聞き返す。
「え?何?」
「…落ちないようしっかり掴まってて下さいよ」
片手で障子を閉め、廊下から庭に降りた猩影は屋敷を囲う塀に近付きグンと跳び上がった。
塀を跳び越え道路に着地した猩影はそのまま他所の家の屋根に跳び上がり、屋根から屋根へ鴆の屋敷に向かって疾走する。
「凄い…」
流れる景色を眺めながら昼は猩影の胸元で呟く。
どんどん遠くなる屋敷から前方に視線を移せば、その暗さの中に更に黒いものを見つける。
「あれは…、黒羽丸?」
それはバサバサと背にある翼を羽ばたかせ、まさに猩影の行く先を飛んでいた。
パトロール中なのだろう、口に笛をくわえている。
自分に近付く気配を感じたのか振り向いた黒羽丸と昼の視線がぶつかった。
「あ…」
そして真面目な黒羽丸のこと、屋敷を抜け出したことを咎められるかも…と、思いきや擦れ違った瞬間、真面目な声で告げられたのは…。
「お気をつけて」
「…っす」
その言葉に猩影は短く応え、タンッと力強く跳ぶ。頭上では雲に隠れていた月が顔を出し始めていた。
昼が地に足を着いたのは鴆の屋敷についてからだった。
「大丈夫ですか?」
「うん」
猩影がガラリと玄関扉を開ければ、待っていたのか番頭が頭を下げ、先に立って案内をする。
「鴆様、リクオ様と猩影様をお連れ致しました」
「おぅ。それじゃ準備してたもの持ってきてくれ」
番頭に案内され通された部屋は見慣れた鴆の私室だった。
しかし、明かりはついておらず、開け放たれた障子から入る月明かりだけが室内を照らす。
「使いっパシりみてぇな真似させちまって悪かったな猩影。ま、座れよ」
鴆に促され、猩影は心得たように鴆の側に腰を下ろす。
「リクオもいきなりで驚いたろ?」
「うん、何が何だか…」
困惑した表情を浮かべる昼に鴆はだろうなと苦笑して、まぁお前も座れと座布団を勧めた。
そして昼は座布団に腰を下ろそうと屈んだ瞬間、不意に横顔に柔らかな光を感じ、惹かれる様に庭へ視線を移した。
「……?」
視線を鴆から庭へと移した昼はその光景に目を奪われる。
何で今まで気付かなかったのか。
そこには少しだけ欠けた、満月の次に美しいとされる月が。天上を支配し、地上を明るく照らしていた。
庭の木々から薄く影が伸び、草木の中からは涼やかな虫の音。どこからか流れてきた金木犀の香りが仄かに漂い、庭に植えられた白や桃色の秋桜、秋明菊、鬼灯、秋の花ばなが月の光を受けて浮かび上がる。
外に気をとられている昼に、静かに入室してきた番頭から盆を受け取り、鴆が口を開く。
「今夜は後の月っていって、ようは十三夜だ。先月は十五夜をやったからな、今夜やらなきゃ片見月になっちまう」
「それで僕も?」
鴆を手伝う様に猩影が盆の上から何か食べ物の乗った皿と湯気の立つ湯呑みを下ろす。
その内の一つの湯呑みを昼の前に置き、猩影が鴆の言葉を継いだ。
「三代目にも楽しんでもらえる様今夜は甘酒だけにしてみたんですが…」
下ろされた皿の中身も酒の摘まみではなく、月見団子と栗饅頭だった。
「ま、細かいことは気にするな。飲もうぜ」
ひょいと自分の湯呑みを手にした鴆が、昼が何か言う前に話をぶったぎり終わらせてしまう。
それに猩影も便乗し、甘酒の入った湯呑みを右手に持った。
これが十三夜の月見の誘いだと昼が気付いたのはこの時だった。でも、
「鴆くん。普通月見団子と栗饅頭はお供えじゃないの?」
「あ?供えた所で誰かが食いに来るわけでもねぇし、食べちまっても問題ねぇだろ。なぁ、猩影」
「えぇ、特に団子は放置しとくと硬くなっちまいますから」
特に違和感もなくお供え物を食べようという二人に、昼は驚くよりそれもそうかと納得してしまう。
自分に配られた甘酒に口をつけ、その甘さを堪能してから昼も栗饅頭に手を伸ばした。
そして嬉しそうに頬を緩ませて十三夜を楽しむ昼に鴆と猩影もまた表情を崩し、先月の十五夜の夜と同じ様な時を三人で刻む。
「…鴆くん、猩影くん、ありがと。本当は夜に何か言われたんでしょ?」
「言われなくとも今夜はお前を誘ったさ。それこそ片手落ちになっちまうだろ?」
「三代目はお二人で三代目ですからね」
当たり前のように夜と昼を受け入れてくれる二人に、昼は甘いね…と呟き、誤魔化すように甘酒を飲んだ。
□end□
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