心弛び(夜昼+鴆+猩影)
そこは信の置ける場所
ふらりと立ち寄っては
たわいも無い話をし
酒を酌み交わす―…
□心弛び□
スッと襖が開けられ、途端にざわざわと騒がしくなる。
今夜もこれといって真新しい報告もなく、定例となっている総会は早々にお開きとなった。
「猩影。この後、時間あるか?」
上座に座ったリクオ…夜は、帰ろうと下席を立った猩影に声をかける。
「え?はい、大丈夫ですけど…」
急にそう問われた猩影は何だ?と驚きながらも頷き返した。
「なら、少し俺に付き合え」
たった一言それだけ言って上座から下りた夜はスタスタと足を進め、猩影について来いと、その背を見せて促した。
「はぁ…?」
困惑した表情を隠しもせず、猩影はその背を追って自分も部屋を後にする。
◇◆◇
それから奴良組の本家を後にし、猩影は眼前に見えてきた屋敷を見て口を開いた。
「ここは鴆さんの…」
夜は勝手知ったる自分の家とでもいうように、遠慮も何もなく、さっさと屋敷に上がってしまう。
途中で行き合った番頭に挨拶され、それを片手で遮ると夜は屋敷の主人の状態を聞いた。
「今夜の総会、鴆の顔を見なかったが具合でも悪ぃのか?」
「いいえ、そうではありません。本人は至って元気だとおっしゃってます。ただ、どうにも朝から顔色が優れない様でしたので私がお止めしたのです」
「ほぉ、そりゃ良い。で、ふて腐れた鴆はいつもの所か」
どこか愉快そうに言った夜に番頭ははい、と生真面目に返事を返す。
夜はそれだけ聞くと再びスタスタと歩き出し、光の漏れる一室の前で足を止めた。
「邪魔するぜ、鴆」
中へ声を掛けるのと障子を開けるのが同時で、猩影があっと思う間すらなく、室内の明かりが二人を照らす。
「おぉ、リクオか。今夜は悪かったな。俺は平気だって言ってんのに番頭が煩くてよ…っと。後ろのアンタは確か狒々様ンとこの…」
何やら小難しい書物に視線を落としていた鴆は、顔を上げながら夜に返し、後ろにいた猩影に気付いて微かに驚いた。
「猩影だ」
「…ッス」
それに夜は端的に応えて、猩影も軽く頭を下げる。
「へぇ、珍しいな。お前が誰か連れてくるなんて。まっ、座れよ」
促されるままに夜はドカリと腰を下ろし、猩影は少し躊躇ってから夜の側へと座った。
鴆は手にしていた書物を畳んで端に避けると二人と向き合う。
「それで、何かあったのか?」
「いや、今夜の総会も前とそう変わらなかったぜ。なぁ、猩影」
「はぁ…、まぁ」
飄々と告げる夜と、何故自分が一緒に連れてこられたのかいまいち良く分からない猩影。
だが、鴆にはそれだけで十分なのかあっさりそうかと頷き、開いていた障子の向こうへ酒とつまみを持ってくるよう声をかけた。
「おいおい、良いのか?朝から顔色が良くねぇって聞いたぜ」
「俺の顔色はいつもこんなもんだ」
たわいもない会話を交わす二人を眺め、猩影はもしかしてと考えを巡らす。
顔を見せなかった鴆さんを心配して三代目は見舞いに?
ふと、思い至った考えに猩影は納得する。
しかし、それなら自分が連れてこられた意味は…?
「失礼します」
さほど待たず、言われる前に用意していたのか、先程廊下で合った番頭が三人分の酒とつまみを持って入ってきた。
夜と鴆はそれを当たり前のように受け取り、
「猩影?お前も飲むだろ?それとも酒は駄目だったか?」
手を出さない猩影に気付いた鴆が確認するように聞く。
「あっ、大丈夫です。いただきます」
考えに気をとられていた猩影はハッと我に返って用意された盃を手にとる。
「おぅ。遠慮なんかしねぇでいいからな。リクオなんかは毎回こうしてふらりと現れちゃ、酒飲んで帰ってくからな」
「それじゃ俺が毎回酒飲みの為に来てるみてぇじゃねぇか」
鴆の台詞に夜は盃に口付け、ゆるりと口端を吊り上げて言い返す。
「みたいじゃなくて実際そうだろぉが」
ふっと口元を緩めて笑った鴆も盃を口に運び、クィッと注がれた酒を傾けた。
そんな鴆を尻目に、夜は悪戯を思い付いた様な顔で猩影を見やる。
「猩影。酒が飲みたくなったら鴆の所に顔出すと良いらしいぞ。タダで酒が飲めるそうだ」
「え…、それは……」
戸惑う猩影に鴆が苦笑してただし、と付け加える。
「たまには持参してくれよ」
うちも無限にあるってわけじゃねぇし、最近は番頭が目を光らしてやがってな。
「そりゃおめぇの為だろうが」
間髪入れず切り返した夜に鴆はそうなんだけどよ、と笑った。
ゆるやかに流れる空気。
ここで遠慮はいらないと言う鴆。そしてそれを勧めるリクオ。
何となく連れて来られた意味が分かった様な気がして、自然と猩影の肩から力が抜けた。
二人はまるで気が置けない友人同士のように好きに言い合っている。
その様子に猩影もふっと表情を崩し、二人の中へ飛び込んだ。
「分かりました。次来る時は美味い酒持って来ます」
「ん…?おぅ、だからって無理はしなくていいからな」
「そんときゃ俺にも声かけろよ猩影」
力が抜けて軽くなった口は、するりとそう告げていた。
男三人、立場を取り払った友人同士の酒盛りは深夜まで続き、お開きになったのは空が白んで来てからだった。
特にこれといって決まった話題があるわけでもないのに、話は転々と転がり、三人はついやってしまったと言うわけで。
「楽しいのは分かるけどあまり体に良くないよ。特に鴆くんは」
眠ってしまった夜と交代して起きた昼が、片付けに部屋を訪れた番頭と共に眉を寄せる。
リクオが猩影に毛布を掛けてやり、鴆には番頭が小言を溢しながら毛布を被せた。
空になった酒瓶をお盆に乗せ、つまみの乗っていた空の皿を重ねる。
片付けを手伝おうと盃を手にしたリクオを見て番頭がその手をやんわりと押し留めた。
「これはこちらで片付けておきますので、リクオ様ももう少し休まれては如何ですか?」
「う〜ん、僕は大丈夫なんだけど…」
「まだ起きるには早い時間ですし、この様子じゃお二方も当分起きないでしょう。何時に、と仰って下されば僭越ながら手前が起こしに参りますし、それまで人払いはしておきますから」
「…じゃぁちょっとだけ頼めるかな?今日は休みだし、そんなに早く起こさなくても大丈夫だから」
心良く請け負ってくれた番頭が部屋を出ていってから、リクオも毛布にくるまりソッと目を閉じた。
◇◆◇
ひらりと流れて来た桜の花弁が柱に背を預けて眠る夜の髪に乗る。
「まったく、三人揃って…」
花弁に気付かず、気持ち良さげに眠る夜の側に立って昼は苦笑混じりの笑みを浮かべた。
「しょうがないなぁもう」
髪についた花弁を摘まみ、庭へと落とす。
昼は部屋から持ってきた毛布を夜に掛けて側に腰を下ろした。
「でも…良かった」
くすりと柔らかな笑みを溢して、静かに寝息をたてる夜を見つめる。
「昨夜みたいに夜も僕に気を使わないでもっと好きな事とかして良いんだよ?」
起きた時、リクオの体に二日酔いやらダルさといった影響が出ないのは夜の優しさだと分かっているけど。
それがたまにもどかしかった。
「鴆くんと猩影くんには感謝しなきゃ。夜に付き合ってくれて」
仲良く酒を傾け、何を話していたかまでは寝ていたので昼には分からないけど。
穏やかに寝息をたてる夜を見れば。
「楽しかったみたいだね」
じんわりと昼の心もあたたかくなる。
はらりと夜の目元に落ちた前髪に触れ、…夢現、規則正しい寝息をたてる三人に昼は笑みを溢した。
「たまにはこんな日も良いよね…」
□end□
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