昼も夜もなく(夜昼+猩影)
気付いた時には手遅れで
引き返せないほどに
俺は貴方に魅せられていた―…
□昼も夜もなく□
「あっ、三代目。お久し振りです」
学校から帰ってきて、一旦自室に戻って着替えたリクオが廊下に出た時、すぐ側から声を掛けられた。
聞き慣れたその声にリクオは振り向く。
「猩影くん。久し振りだね、今日はどうしたの?」
そこには狒々の息子、猩影が立っていた。
猩影は軽く頭を下げるとリクオの問いに首を傾げ、答える。
「どうって、今夜は総会の日ですよね?」
「……あっ!うん、そうだったね。遠いところからわざわざありがとう」
リクオはあからさまに忘れてた。しまった、という顔をした後、にっこりと笑って話を誤魔化す。
それに猩影は気付いたが、苦笑を浮かべただけでいいえとゆるく首を横に振った。
「それで三代目はこれからどちらに行かれるんで?」
「あぁ、うん。ちょっと調べ物でもしようかと思って」
「…俺もついて行っていいですか?」
「え?いいけど、面白くないと思うよ」
嫌と言うわけでも無く、本当にいいの?と困ったように確認してきたリクオに猩影はあぁ、と一つ頷く。
「どっちみち夜が来るまで暇だし、そう変わらない」
「じゃぁ、行こうか」
リクオは猩影と共に廊下を歩き始めた。
◇◆◇
古びた蔵書の中から幾つか選んで机の上に置く。
「コレとアレと後は…んっ、届かない…くっ」
棚の一番上に乗せられた薄い手作りのボロボロの本を、リクオは取ろうとつま先立ちして手を伸ばした。
「コレですか三代目」
それを見兼ねてか、きょろきょろと室内を珍しそうに見回していた猩影がリクオの背後に立ち、ひょいとその本を取る。
「あっ、ありがとう。こういうとき背が高いと良いよね」
「そうですか?」
猩影にとっては普通のことだから分からないかもしれない。
「うん。僕ももう少し身長欲しいなぁ」
羨ましそうに見上げてくるリクオに猩影は何だか落ち着かなくなって視線を反らす。
「…これからじゃないですか。人間は成長期ってのがあるって」
ぶっきらぼうに告げる猩影にリクオは一瞬きょとんと目を瞬き、次にはそうだねと微笑んだ。
「ありがと猩影くん。…さっ、始めようか」
猩影に取って貰った本を机上に乗せ、リクオは畳の上に正座して、古びた書籍を捲り始める。
「ところで何を調べるんです?」
邪魔にならぬようリクオの側に猩影も腰を下ろし、今更な質問かとも思ったが猩影は投げ掛けた。
それにリクオは平素と変わらない調子で事も無げに答える。
「奴良組についてだよ。僕は三代目候補にはなったけどまだ知らないことの方が多いから」
「…!?…」
まさか学校から帰ってきて、リクオがそんなことをしてるとは思いもしなかった。猩影は目の前の小さな、けれど大きな背中を見詰めて驚いた。
鴉天狗の纏めた書物がぎっしりと棚に並ぶ和室で、猩影は目の前にある背中に声をかける。
「それなら俺も一緒に勉強させて貰って良いですか?」
自分の組のこととか、俺もまだ学ばなきゃならねぇことが山程ある。
リクオの組を想う姿勢を見て、猩影の口からは自然とそんな言葉が出ていた。
「うん、良いよ。猩影くん達を引っ張ってかなきゃいけない僕が言うのもなんだけど、一緒に頑張ろう」
「…はい」
自分を見る揺るぎない眼差しに。優しさと強さを秘めたその心に、猩影は自分でも気付かぬ内に惹かれていたのかもしれない。
◇◆◇
「猩影。おめぇはきっと良い頭になるぜ」
昼と夜が交じり始めた黄昏時。そろそろ灯りが必要かと座を立った猩影の背に、突然かけられた低い声。
その存在に、微かに体を震わせ猩影はゆっくりと後ろを振り向いた。
「え…?なんっ…」
「どうした?化けもんでも見たような面だな」
クツクツとからかうように笑ったリクオ。その姿は、猩影がほんの僅か目を離した隙に昼から夜へと変わっていた。
「…威かさないで下さいよ」
はぁ…と、猩影は自分を落ち着かせる為に一つ息を吐き、くしゃりと長い前髪に手をあてる。
「そりゃ悪かった」
まったく悪びれた様子も見せず言ってのけると、夜は昼が見ていた書面と積み重なった古本にチラリと視線を向けた。
「頑張りすぎるのも考えもんだな」
「三代目…?」
いや…、と短く返して夜は立ち上がる。
開きっぱなしの本をそのままに、夜は困惑した表情を浮かべる猩影の横を通りすぎた。
「行くぞ猩影。そろそろ総会の時間だ」
後ろを振り返らず、真っ直ぐ前を見て足を進める夜。
ふわりと肩に掛けられた羽織が靡いて、…猩影は気を引き締めた。
「はい」
振り返らない背中からは絶対の信頼が感じられる。人間の時とは違う強さ、憧れずにはいられない程の畏れ。
リクオの背を追い、一歩足を踏み出した猩影の頭の中を、生前狒々が口にした言葉が過った。
-ワシが奴良組についとるわけは、総大将に惚れたからじゃ-
………あぁ、分かった。
これが、そうなのか。
今なら親父の言っていた意味が分かる気がする。
猩影はふっと口元を緩め、前を行くリクオを瞳を細めて見つめた。
「…親父、俺はこの人についていくぜ」
俺は三代目の力になりてぇんだ。親父がそうしたように。
見ててくれよ親父。
そして、猩影は止まってしまっていた歩みを再開させ、リクオと共に総会へ向かった。
□end□
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