02


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前述した通り、世界を越えてしまった笠松 幸男と黄瀬 涼太は海常という組織に所属している陰陽師と退魔師である。
その仕事は簡単な占いからお祓い、お清め、祝い事、退魔やボディーガート的なものも含めて多岐に渡るが(海常では人を不幸にする呪術の類いの依頼は絶対に受け付けない。解呪の方は時と場合に寄りけりだが)、その日笠松は簡単なお祓いの仕事を請け負っていた。
そこに黄瀬が付いてきたのは基本的に仕事がツーマンセルで行うこととされていたからだ。もちろん黄瀬はそれだけでなく、笠松の仕事が済んだらその後にそのままデートをしようと考えていたからだ。

本日の仕事場は骨董品店。
店の主人が亡くなり一年が経つという。 また、依頼人はその息子で骨董品にはまったく興味も無く、店の主人が亡くなって四十九日が過ぎてから骨董品店を畳んでその敷地にこじんまりとした趣味の喫茶店を開こうとしていた。

「それで未だ店も畳めずうちに話が回って来たってことは、処分しようとした骨董品の中に何か曰くありげな物でもあったってことっスか?」

「そうらしい。骨董品の半分は処理できたらしいんだが、残りの半分を店から外に出そうとすると店の中に閉じ込められたり、ポルターガイストが起こるらしい。つい先日には骨董品を回収に来た業者の一人がポルターガイストで倒れてきた柱時計の下敷きになって怪我をしてる。他にも関わった業者の何人かが原因不明の高熱で寝込んでるって話だ」

「それってもう悪戯じゃなくて悪霊の範囲じゃないっスか」

地図を頼りに依頼のあった骨董品店の前に辿り着いた笠松は店に入る前にジッと建物を見つめ、ゆっくりと辺りを見回した。
骨董品店は丁度、二本の道が交差する三角地帯に建っており、三角形の天辺になる場所に出入口があった。ちなみに骨董品店の裏側には別の建物が建っており、何の店なのかはシャッターが降りていて分からなかった。

「地図を見た時から思ってたけど最悪な場所だな、ここ」

「確か…方位的に店の出入口が鬼門の位置っスよね。邪気とか入りたい放題じゃないっスか」

「裏鬼門も建物で塞がれちまってるからこれじゃ邪気の抜け場もねぇな」

「けど依頼が来るまでは何ともなかったんスよね?」

「あぁ…これは俺の推測だが多分、店の中に何か鬼門封じの仕掛けがあったんじゃねぇかと思う」

普通こんな地形の場所を買って、 更に建物を建てて店を開くなら鬼門うんぬんの話は聞いている筈だ。その上、鬼門の位置に出入口を置くなら鬼門封じの対処は初歩中の初歩だ。

「相手は骨董品を商売にしてたぐらいだ、迷信でも何でも気にかける。だが、今回はそれを全く知らない奴らが店に入った」

分かるだろ?と笠松から投げられた視線に黄瀬はなるほどそう言うことっスかと頷く。

「鬼門封じを外しちゃったか壊したかしたんスね」

「その意味を知らない奴らからしたら鬼門封じの仕掛けも処分された骨董品と同じガラクタだからな」

止めていた足を動かし店の引き戸に手をかけた笠松は懐から墨で文字の書かれた札を取り出すと右の人差し指と中指の間に挟み込み、眉間に皺を寄せた。笠松の右手には指先から肘にかけて布と数珠が巻き付けられている。

「まだ店に入ってもねぇのに空気が澱んでんな。…お前も一応仕事道具は持ってきてるな?」

問い掛けられた黄瀬はコクリと頷き、肩にかけていた鞄の中から風呂敷に包まれた長い得物を取り出すと包みからソレを取り出す。
黒塗りの鞘に蒼い柄。いわゆる長刀だ。
鞘から刀を抜けば研ぎ澄まされた冷たい刃が光を受けてキラリと光る。

「愛銃の方は今メンテ中なんで、今日はこっちっス」

「なら良い。背中は任せたぞ――リョウタ」

「了解っス、ユキさん!」

黄瀬の言葉と重なるように笠松は目の前の引き戸を思い切り横へとスライドさせた。






「―――祓い給え、清め給え、急急如律令!」

霊力を込めて放たれた札が澱んでいた空気を切り裂き、店内に集っていた悪霊をことごとく浄化していく。

「万魔調伏、風刃招来!……疾っ!」

鞘から抜いた刀を眼前に構えた黄瀬は、霊力を帯びて淡い光を纏った刃の部分に懐から取り出した霊符を押しあてると涼やかに言霊を紡いだ。
刀を中心に生まれた無数の風の刃が四方八方へと四散し、跡形もなく悪霊を蹴散らす。
青みを帯びた浄化の霊力と黄金(きん)を帯びた退魔の霊力が薄霧のようにきらきらと店内に広がり、一時的にその場は清廉な空気に包まれる。
その隙にざっと店内に視線を走らせた笠松は、ひたりと店の奥に視線を固定するとそのまま口を開いた。

「リョウタ、右脇、八卦鏡だ」

囁かれた短い言葉の羅列に黄瀬はちらりと右脇を見ると、了解っスとこちらも短く返した。

八卦鏡とは読んで字のごとく八角形の形をした物で、中央に嵌め込まれた円形の鏡の周りに先天八卦という邪気を祓う図が描かれており、災厄を祓う、運気を上げるなど、日常生活の中で普通に使われることもある風水道具だ。また、この店の様に立地条件・家相が悪い場合、鬼門封じに八卦鏡が用いられることがある。

一部を浄化しても鬼門が開いたままでは無駄に霊力を使う鼬ごっこになりかねないので、笠松の意図を汲んだ黄瀬が鬼門封じの再建に取りかかる。
まずは穢れで濁っていた鏡を浄化し、使える状態にしなければ。さいわいな事に店内には、業者が撤去したのか動きを遮る棚や机が無く、問題なく黄瀬は自由に動き回れた。

そして笠松の視線の先には…床に敷かれた新聞紙、その上に、価値のよく分からない彫像や銅像、壺に花瓶、銅鏡。漆塗りの器に茶道具、巻物、紐のかけられた桐の箱と、年代を感じさせる様々な骨董品が並んでいた。
…なかでも笠松が視線を外せないモノが一つだけあった。

埃を被って薄汚れてはいるものの見るからに美しく、禍々しい――西洋人形。ビスクドール。
白磁器の肌に元は金色だったであろうくすんだ黄土色の髪。桃や白から変色してしまったのだろう灰色のふりふりのドレス。ぱっちりと開かれた愛らしかっただろう薄い水色の瞳はどろりと濁った狂気を浮かべ、薄紅がひかれた小さな唇が歪に歪む。
目が合った途端に人形から凄まじい邪気が流れ出し、ふつふつと肌が粟立つ。
一時的に正常な空気を取り戻した場がずしりと鉛を付けられたかのように重苦しく沈み、首を絞められたかのように呼吸がしずらくなった。

「…やっぱ…元凶はあの人形か――っ!?」

注視していた人形がいきなりカタカタと宙に浮き上がり、あっという間に笠松の眼前に迫り来る。
狂気を宿した瞳は爛々と光り、裂けた唇がぶつぶつと言葉にならぬ音を紡ぎながら黒い靄を身体から噴出させ笠松に襲いかかった。

「っ、浄散――!」

反射的に手にしていた霊符を人形に叩き付け、無理矢理詠唱を破棄した笠松は短い呪だけを口にして、襲い来る黒い靄を弾き飛ばす。

「ユキさんっ!!この…っ!」

それでもしつこく黒い靄を笠松に向けて伸ばす人形に黄瀬は八卦鏡をその場に置き、右手で握り直した刀を振るった。
黄金(きん)色に煌めいた刃は伸びてくる黒い靄を断ち切り、人形を笠松から引き離すように黄瀬は容赦無く人形の胴を刀で薙ぎ払った。

刃に触れた黄土色の長い髪の毛がはらはらと宙を舞い、灰色がかったドレスが胴ごとすっぱりと分断される。
店内を支配していた空気が僅かに軽くなり、振るわれた刀の勢いに寄って店の奥に吹き飛ばされた人形の口からけたたましい悲鳴が上がる。

「チッ…、消しそこねたか」

「お前の一撃で祓えねぇとか、思ったより強いな」

頭に響く甲高い声に脳ミソを揺さぶられながら黄瀬は忌々しそうに舌打ちをもらし、その間に体勢を整え直した笠松は右手から右肘にかけて巻いていた蒼い数珠に触れると、新たに指に挟んだ五枚の札を呪を唱えながら店の奥へと放つ。

「我、陰陽の理を司りし者なり。速やかに悪しき魔を捕らえ給え――」

言霊に合わせて呪印を結び、術を強固なものへと強化する。

「――縛!……縛!縛!」

淡い青色を纏った札は、笠松の声に呼応するように分断された人形の周りをぐるりと囲い、札から札へ伸びた光が五芒星を描き、人形をその場に縫い止める。
依然として人形は狂ったようにげらげらと声を上げ、笠松の作り上げた鎖縛の陣から抜け出そうと分断された胴回りから黒い靄を噴出させ、バタバタと身体を動かし暴れまわる。

「往生際が悪いっスね」

先程の不意打ちの件もあるし中々に、強い力を持った悪霊に万が一にでも、笠松に危険が及ばないようにと黄瀬は任されていた鬼門封じを手持ちの札で簡易的に済ませ笠松の援護に回る。

「――怨敵退散、悪鬼退散、…雷神招来っ!」

バリバリッと、どこからともなく発生した雷光が足掻く人形の身体を貫く。

「天を我が父と為し、地を我が母と為す、六合中(くになか)に南斗・北斗・三台・玉女(ぎょくじょ)在り…」

黄瀬の攻撃で黒い靄は消え去り、カタカタと動くだけになった人形に笠松は祓いの仕上げに入る。

「左には青龍、右には白虎、前には朱雀、後ろには玄武、前後扶翼す、急急如律令――浄散!」

だが祓われる直前人形は、最後の力を振り絞り八卦鏡に填められていた鏡を捉え……ニタリと歪に表情を歪めた。

―ユルサナイ、オマエラモ、ミチヅレニシテヤルッ!!

その時二人は頭の中で甲高く歪んだ女の声を聞いた。
とてつもなく不快なその声に笠松は眉をしかめ、続いて店内を浄化しようとしてぐにゃりと歪んだ視界に立っていられずに片膝を付く。

「っ、何だ?」

見れば同じように黄瀬もすぐ側で膝を折り、床に片手を付いていた。
とりあえず黄瀬の無事を確認し、周囲に目を向けた笠松は黄瀬の慌てた声に再度そちらに目を向ける。

「ユキさん!八卦鏡がっ!」

黄瀬が示した先には浄化したはずの鏡があり、それが何故かまた邪気に依って穢されていた。清廉な光を失った鏡面は赤紫色に濁り始め、どろどろと赤紫色の液体を床の上へと吐き出す。
そして笠松は青い浄化の炎に包まれて燃える人形の姿を“鏡の中に”見た。

「――っ、しまった!引き摺りこまれた!」

「え?…うそっ!?ユキさんっ!」

何を思ったのか、どろどろと得体の知れぬ赤紫色の液体を垂れ流す八卦鏡へと駆け寄った笠松は数珠を巻き付けた右手を、ぶつぶつと呪を唱えながら八卦鏡の鏡面へとずぶりと突っ込んだ。それを見て黄瀬はぎょっとして悲鳴を上げる。

「ユキさんっ!何してるんスかっ!?」

「くそっ、道が閉ざされてやがる。せめて式神だけでも…、我の声に応え、目覚めよ息吹。其は海の使い、この調べを届けよ――」

ピィンと弦を弾くような音が指先で木霊し笠松が鏡の中から右手を引き抜く。また、異変はそれだけに留まらず、黄瀬は咄嗟に後ろへと跳びすさると笠松を守るように正眼に刀を構えた。

「ちょっ、なん何すかアレ!悪霊がうようよいるんスけど!」

「そうだろな。俺達は異界の狭間に飛ばされたみてぇだ」

「えっ、それってちゃんと帰れるんスよね?」

「今は無理だ。あの人形の最期の悪足掻きか、帰る道が閉ざされてる。かといって、ここは長居するような場所じゃねぇ」

見ての通り命の危険もあるし、長居するだけ霊力も体力も消耗し精神に影響をきたす恐れがある。
笠松は冷静に周囲を見渡し、分析し、瞬時に最善の手を見出だす。

「仕方ねぇ。もう一度同じ状況を作り上げて――こっから飛ぶぞ」

「異界から異界にっスか!?」

「ちげぇ。別の出口にだ」

そもそも出口が一つしかないと誰が決めた?

「そんなこと出来るんスか?」

「出来る出来ないじゃねぇ。やるんだよ」

ただし、二人揃って飛ぶ為には必須となる条件が一つある。
それは…出口に定める世界の笠松と黄瀬の縁が強く結ばれてなければならない。 もし出口に定めた世界の二人の間に縁がなければ、ここから飛べたとしても辿り着く世界がバラバラになってしまう可能性があった。

口で説明しながら笠松は飛ぶ為の準備をし、黄瀬は話を聞きながら近付いてくる悪霊を刀を振るい片っ端から片付けていく。

「ところで、同じ状況っていつそんな状況になってたんスか?俺、まったく気付かなかったんスけど…」

濁った八卦鏡とその場ごと、飛ばされてきていた骨董品の中にあった銅鏡を拾い上げる。笠松は装飾のある面をひっくり返すと表の鏡面を出して八卦鏡と向かい合わせになるようにセットしながら黄瀬の疑問に答える。

「俺も気付いたのは飛ばされてからだが…」

あの狂った人形の眼球は硝子で出来ていた。
あの眼が鏡の役割を果たし、八卦鏡と合わせ鏡の形を作った。
奴は言葉通り最期の力を振り絞って俺達を道連れにしようと異界への道を開き、本来ならさ迷い脱出も出来ないこの空間へと俺達を飛ばした。

「なるほど。…でも、俺達には脱出する方法があるんスよね?」

笠松はまたしても右手を八卦鏡の鏡の中に突っ込み、黄瀬へと頷き返す。

「今から俺とお前の縁が一番強い場所を引き寄せる。俺が合図したらお前はそっちの銅鏡に向けて雷帝を放て。もちろん手加減してだ。――いいな?」

「了解したっス」

すっと目を閉じ呼吸を落ち着かせ、笠松は鏡の中に沈めた指先に意識を集中する。
周囲に群がっていた悪霊を一掃した黄瀬は笠松と背中合わせになり、銅鏡へ向けて刀を構えた。
琥珀色の双眸が澄み渡り、高まった霊力が刀に伝わる。口の中で呪文を呟き銅鏡を見据えて黄瀬は笠松の合図を待った。

「………」

笠松と黄瀬の結び付きが一番強い縁を探り、手繰り、引き寄せ、指先で掴む。
ほどなくして瞼を持ち上げた笠松は、懐から札を掴み出すと凛とした声を張り上げた。

「今だっ!」

「雷帝招来――っ!」

銅鏡へ向かって突き出された刀身からバチバチと雷鳴を響かせて、威力を最小まで落とした雷撃が一直線に走る。

「――っ!?」

雷撃が放たれた瞬間笠松は、邪気で穢れたままの鏡の中で縁を握り締めたまま、八卦鏡へと浄化の札を叩き付けた。絡み付いた邪気もろとも右腕が浄化の炎に晒される。

「ぐっ…ぅ…っ!」

きらりと清廉な輝きを取り戻した鏡面が重なり合い、眩い光が二人の視界を焼く。真っ白な世界でグッと強く笠松は左腕を掴まれ、足場がぐにゃりと波打った。それでも笠松は右手に掴んだ、黄瀬とを繋ぐ縁と八卦鏡を手放す事はなかった。

気付けばキンッと甲高い音が鼓膜に響き、笠松は淡い黄金(きん)を帯びた温かな光に守られるように包み込まれていて。目の前にあった真っ白な空間は黄金(きん)の霊力を宿した煌めく白刃によりスッパリと切り裂かれていた。




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