地元の人気者(笠黄+海常)
しんしんと土曜日の未明から静かに降り出した雪は乾いた地面をあっという間に薄く白く染め上げていく。
見上げた空まで白く、ごうごうと吹き出した風が降り続ける雪と積もった雪の表面を浚って視界をも白く奪っていった。
東京では何十年か振りの大雪を観測した翌日。ここ神奈川でも近年希にみる大雪となっていた。
「うぅ〜、寒いっス」
「身体動かしゃ少しはマシになるだろ」
「俺、朝起きるの辛かったわ。でも二度寝しようにも外が気になっちゃってさ」
「あぁ…なんとなく分かる」
「おぇも早く起きたっす!それで家の前、雪掻きしてきたっす!」
「今日も元気だな早川は。俺の所は起きたらもう父さんが雪掻きしてた」
ぞろぞろとこの辺ではお馴染みの、青色に白が入ったジャージを着た集団が手にはスコップや箒を持って雪の積もった歩道を歩いていた。
「んじゃ、この辺からざっとやるぞ」
先頭を歩いていた笠松が足を止め、後ろをついてきていた面々を振り返って言う。
すると揃ってはーいという、良い子の返事が返ってきた。
「あ…そういえば俺、雪掻きするの初めてっス!」
「そうなのか?」
各々手にしていた道具で歩道の雪掻きを始めながらお喋りを続ける。
黄瀬に聞き返した笠松に続き、小堀が口を開く。
「そっか、黄瀬の実家って確か東京だって言ってたよね。それなら雪はあまり積もらないだろうし、雪掻きするまではいかないか」
「っス。なんで、雪が降った時はやたらはしゃいでたと思うっス」
子供は大人の苦労を知らずに積もった雪に喜んで遊び回っている。
ざくっと雪の中にスコップを突っ込んだ森山は掬い上げた雪を歩道の脇に退けながらふっと悟ったような眼差しで三人の方を見た。
「それが無くなった時点で俺達は成長したってことだ。大人になったんだ」
「あっ、ちょっと早川!そんなとこで雪ダルマなんか作ってどうするんだ」
「いやだって、ただ雪のかたまぃを置いとくだけよぃもこうした方が皆楽しいだろ?」
スコップを脇に置いて手袋をした手でバシバシと積み上げた雪の塊を叩く早川に自然と皆の視線が集まる。
「森山センパイ…」
「おい、森山。あれは大人って言うのか?」
笠松は雪掻きの手を止め、ちらりと森山に視線を投げる。すると森山はあーだとか意味のない声を漏らして、それをフォローするように小堀が口を挟んだ。
「早川は朝から家の雪掻きして来たみたいだから、少し飽きちゃったのかもね。邪魔にはなってないし、良いんじゃないの?」
「まぁそうだけどよ」
飽きたというよりも、早川は楽しそうに雪ダルマ作りにせっせと勤しんでいた。
そして今更ながら何故雪掻きかというと…雪が積もった翌日、つまり本日日曜日に海常高校男子バスケットボール部は午後から部活が予定されていた。
しかし、雪が降り積もろうと中止の連絡は無く、ただ安全に来られる者だけが来るようにと主将である笠松から部員達へとメールが一斉送信されただけだった。
そうして無事来られた面々は予め用意されていた雪掻きの道具を体育館で手渡され、体育館周辺といつも走っている外周の二班に分けられた。それはバスケ部だけでなく、周りを見れば他に部活が予定されていた所の部員達も同様で、本日の部活は部員達の知らぬところで雪掻きへと変更になっていたのだった。
「大変でしょう、雪掻き」
時おり休憩を挟みながら歩道の雪をもくもくと退かしていた面々は不意に掛けられた声に顔を上げる。
その声の持ち主の一番近くにいた笠松が顔を上げた先に居たのはしわくちゃな顔を緩めた優しそうなおばあさんだった。
「こんにちは。確かに雪掻きは不馴れなのでちょっと大変ですね」
笠松はスコップに乗った雪を落として苦笑気味に答えた。
あばあさんはそうでしょうと口許を緩めると、大変だけど頑張ってねと言い、手提げの中から袋を取り出す。
「疲れた時にでも食べて」
そう言って笠松へとお煎餅の入った袋を差し出してきた。
「いえっ、そんな!頂くわけには…」
これに慌てたのは笠松の方だ。
何もしていないのに貰うわけにはいかないと、首を横に振った笠松に森山が後ろから言う。
「笠松ー、折角下さるっていうんだから、受け取らなきゃ失礼だろう」
「そうは言っても…」
「その子の言う通り。遠慮しないで。私もこの道を通るから、雪掻きしてくれて本当に助かるわ」
感謝の印に貰っておいて。
そこまで言われて笠松は困ったような顔から、真っ直ぐにおばあさんを見て軽く頭を下げた。
「ありがたく頂きます」
「えぇ、そうしてちょうだい」
ふわりと嬉しそうに笑っておばあさんは通り過ぎて行った。
がさりと手元に残された袋を見て笠松は困ったなと呟く。
「何貰ったんスかセンパイ」
袋の中身が気になるのか側に寄って来た黄瀬が、ひょぃと笠松の後ろから袋の中を覗き込む。
どれどれと森山も近付いて来て、横か ら覗いた。
「後で監督に言わなきゃね」
「あっ!こぼぃ先輩!後ろ!」
その様子をのんびり見ていた小堀は背後から聞こえた早川の焦ったような声に振り返るより先に、いきなり後ろから足元に来た衝撃に僅かによろめき驚く。
「っ…」
「海常の兄ちゃん!こんなとこで何してんだ?一緒に遊ぼうぜ!」
足元を見れば元気いっぱいな小学生の男の子が小堀の足元に突撃していた。
その後を待ってよと一人の小学生の女の子が走って追ってくる。
「危なっ!」
当然雪道で走ると滑るわけで、転びそうになった女の子を慌てて中村が支えた。
「大丈夫か?」
「うっ…うん。ありがとっ」
ぱっと中村から離れた女の子は小堀の元へと向かう。
「雪道を走ったら危ないだろ。それに女の子を置いてきぼりにしちゃダメだよ」
遊ぶどころか怒ったような顔をして、目線を合わせる為にしゃがんだ小堀に男の子は言葉を詰まらせた。
「だって…」
「だってじゃないぞ。そんなことしてたら女の子にモテなくなるぞ」
笠松から離れた森山が男の子の所業を聞き付けて、女の子とは何足るかを説明し始める。
「小堀、森山を止めろ」
「小学生相手に何言ってんスか森山センパイは。ほら、男の子なんかぽかんとしてるじゃないっスか」
小堀に森山を止めてもらい、今は部活中だからと小学生には言って、彼らにはお引き取り願った。
とりあえず持っていた袋は雪を落とした消火栓の上に置き、残り少しだと笠松は雪掻きを再開させる。
「あら、海常の子達じゃない!」
その矢先に今度は森山と黄瀬が若い女の人達に声を掛けられた。
相手は海常高校の周辺に住む若い奥様方だ。
外周を走っている時などにちょくちょくと顔を合わせることがある。
「…小堀、悪いが交代してくれ」
「はは…いいよ」
笠松は密かに彼女達から距離をとろうと小堀と立ち位置を代えてもらう。
黄瀬達の方を見ない振りで雪掻きを進める。
「今日も格好良いわねぇ黄瀬くん。この間出た雑誌見たわよー」
「ありがとうございますっス」
「これは麗しのお姉様方。今日も美しいですね」
「やっだ、森山くんったら。お世辞でも嬉しい」
きゃらきゃらと弾む高い声に背を向け、笠松はその声が遠ざかるのを静かに待つ、…が。
「ところで…笠松くんは?」
「えっ…とっスね」
ちらりと背中に感じた視線に笠松はふるりと首を横に振る。それが分かっていた黄瀬はどうしようと言い淀み、けれどもその隣で無情にも森山が言った。
「笠松ならあそこにいますよ」
「っ…!?」
微笑み付きで笠松を振り返った森山に笠松はぴしりと身体を強張らせる。
笠松くんと名指しで呼ばれて無視することも出来ずに、笠松はぎこちなく彼女達の方を向いた。
もちろん目線なんて合わせたりしない。相当失礼なことだが彼女達は誰一人気にしたりはしなかった。むしろその反応にこそ喜んだ。
「笠松くんは今日も可愛いわねぇ」
「真っ赤になっちゃってつい苛めたくなるのよねー」
「あ、それ私も分かる!」
そう彼女達は笠松が異性を苦手としていることを知っていて、その反応を見たいが為にちょっかいをかけているのだ。
「あー、あんまセンパイにちょっかいかけないで欲しいっス。それにセンパイは可愛いだけじゃなくて超男前で格好良いんスからね!」
「ちょっ…黄瀬!何言い出してんだお前は」
笠松を背中に庇うように間に入った黄瀬が何故か対抗するように言う。
それを聞いた彼女達はくすくすと笑い出した。
「それはちゃんと分かってるわよ。立派なキャプテンだものね」
「黄瀬くんは本当に笠松くんが大好きよね」
「うっ…そ、尊敬してるんス!」
ストレー トに返された純粋過ぎる台詞に黄瀬はかぁっと頬を赤く染める。
青春だわと微笑ましく眺め、ひとしきりからかって満足した彼女達は手に提げていた可愛らしい紙袋の中から、これまた可愛らしい包装に水色のリボンが巻かれた長方形の包みを黄瀬に差し出す。
「そうだ。良かったらこれ貰って」
「へ…?」
「少し早いんだけどバレンタインと雪掻きのお礼」
君達が雪掻きしてるこの道、うちの子達の通学路なの。だからそのお礼。
中身は義理で買ったバレンタインチョコの詰め合わせだから皆で分けて食べてね。
「…あ、の。本当に…いいんですか?」
包みを受け取った黄瀬の背中からこっそり顔を出して笠松は遠慮気味に声を出した。
「いいの、いいの。私達が貰って欲しいの。それとも皆は彼女以外からのチョコは受け取らない主義かな?」
「いいえ!女の子からのチョコならば大歓迎ですよ!特に美しい貴女方からなんて…!」
「ふふっ、森山くんは大袈裟だなぁ」
くすくすと最後にまた笑われて、奥様方はじゃぁ頑張ってねとエールを送って立ち去った。
気が抜けたのか背中に頭を押し付けてきた笠松に黄瀬は包みに視線を落として苦笑を浮かべる。
「センパイ、このチョコどうします?」
「…さっき貰った煎餅の袋に一緒にしまっとけ」
「はーい」
黄瀬から離れて笠松は、チョコを貰ったことで浮かれている森山の足を軽く蹴りつけた。
「いたっ…!」
「ふん…」
その様子を仕方なさそうに見ていた小堀は先程よりも静かなことに気付いて首を巡らせる。
すると少し離れた所で、早川と中村が同年代と思わしき私服姿の女子二人組になにやら話し掛けられていた。
「えー、何これ可愛い!」
「写メってもいいですか?」
歩道の雪掻きも大体終わりに近付き、六体目の雪ダルマを作っていた早川は中村に雪ダルマの出来を見てもらっていた。
そこへ通りがかった女の子達からいきなり声をかけられた。
後ろを振り返った早川は自分の作った雪ダルマを褒められて、寒さで赤くなった頬を緩めてにかっと笑う。
「写メ、いいよ!なっ、なかむぁ」
「作ったのは早川だし、早川が良いなら良いんじゃないか」
下りた許可に女の子はさっそく自分のスマホを構える。歩道の脇に並べて作られた六体の雪ダルマを画面の中に納める。
「んー、ん…?」
パシャリと一枚撮ってから女の子は微かに首を傾げた。どうしたの?とそれに不思議そうに声をかけた友達に撮ったばかりの写メを見せ、女の子はぱっと華やかに笑った。
「この雪ダルマ、そこにいる男子達じゃない?」
「えっ…あっ、本当だ!ちゃんと六人いる」
背の高さは大小大きさの異なる雪ダルマで分かるし、雪の重みで折れた小枝や落ちた葉っぱ、指でなぞって描いた髪の形などスマホの画面と雪掻きをする面子を見比べて女の子達は楽しそうにはしゃいだ声を出す。
「おぇの(り)きさく!」
早川はえっへんと自慢気に胸を張った。
それから女の子達も立ち去った所で雪ダルマの回りに皆が集まる。
「わっ、本当だ!センパイの隣にある雪ダルマ俺っスよね?」
「みてぇだな。てか、良くまぁこんなの作ったな早川」
「ほぅ…胴体に掘ってある数字は背番号か。早川にしては中々やるな」
「うん、何かちょっと照れるけど良いね」
「一応雪掻きはちゃんとやらせましたので」
「おぇ、がんばぃましたっ!」
それぞれ自分の雪ダルマの前に立ってあーでもないこーでもないと言い合って盛り上がる。
その内に記念に写メりましょと黄瀬が言い出し、雪ダルマを撮って、 皆を入れて撮る。
撮った写メは後で皆にメールで送るっス!ときらきらと楽し気に瞳を輝かせた黄瀬に笠松もふっと優しく表情を緩めた。
「黄瀬ー、お前のスマホちょっと貸してくれ」
「はい?いいっスけど…何するんスか森山センパイ?」
「ほら、お前は笠松の横にいけ。二人で撮ってやるから」
「…!」
俺って優しいと自画自賛する森山に呆れながらも笠松は分かりやすく顔を赤くした黄瀬を側に呼ぶ。
「ま、あんまこういう機会ねぇからな。たまにはいいだろ」
寄ってきた黄瀬の黄色い頭を笠松は手を伸ばしてくしゃりと撫でた。
「…っス」
「おーい、俺がムカつくからいちゃつくな!撮ってやらねーぞ」
「そしたら代わりに俺が撮ってあげるよ」
森山の隣に立った小堀がにこにこと見守るような眼差しで笑う。
結局、笠松と黄瀬は森山に撮って貰った。
外周の雪掻きを終わらせて体育館に戻った笠松達は体育館で待っていた武内に妙な顔で迎えられた。
「その手にあるのは何だ?」
雪掻き道具を下ろし、進み出た笠松に武内は眉を寄せる。
「雪掻きをしていたら近所の人達から頂きました」
黄瀬、と振り返って呼んだ笠松に黄瀬も前へと進み出る。その両手には笠松と同じくパンパンに膨らんだ袋と紙袋。
実はあれからも何人かの人に話し掛けられ、その度に頑張って、ご苦労様、ありがとう、と食べ物や飲み物を貰ってしまっていた。
「ううむ…」
自分の教え子達がこうも近所から人気があるのは喜ぶべきことではあるが果たして物を貰っても良かったのか。
武内は暫し思案した後、ここは素直に好意を受けとるべきかと心の中で決着をつけた。
「まぁいい。頑張った褒美として感謝して受け取っておけ。ただし、部室では食べるなよ」
持って帰ってから食べろと、分配は笠松に任せると言って武内は部員達に労いの言葉をかけてから解散とした。
分配を任された笠松だが、実のところ雪のせいで集まった部員は数えるほどしかいない。そこで笠松は部員達に後ろを向くように言い、貰ったものに簡単に番号を振っていく。
「右端の奴から好きな番号言え」
「えっじゃぁ…八番で」
「八番な」
簡単に割り振って八と書かれたお菓子を部員の後ろに置く。それを何度か繰り返して、笠松の分は公平に小堀に番号を言ってもらい、余ったお菓子は欲しい奴らでじゃんけんして分けさせた。
「よし、今日はこれで解散!お前ら足元には気を付けて帰れよ」
「はいっ!お疲れっしたー」
笠松の号令に部員達は頭を下げて、ぞろぞろと体育館を出て行く。
その場には自然とレギュラー陣が残り、手にしたお菓子を見せ合い森山が黄瀬を見た。
「んじゃ俺達も行くか。黄瀬ん家に」
「え…っ、まぁた俺ん家っスか?はぁ…別にいいんスけどね」
「ごめんね黄瀬。黄瀬って一人暮らしだから、集まりやすいんだよね」
「小堀センパイが謝ることじゃないっスよ!」
「悪いな、黄瀬。家は両親もいるし場所を提供できるほど広くないから」
「おぇん家も無理!」
黄瀬を中心にわいわいと騒ぎ始めた面々に笠松は仕方ねぇなと小さく息を吐き、動かない背中を蹴飛ばすように声を出した。
「行くなら行くでさっさと出ろ!体育館の鍵閉めれねぇだろ」
普段怒鳴られている数人が笠松の声にビクリと肩を揺らし、条件反射のように歩き出す。行き先はもちろん黄瀬が一人暮らしをしているマンションだ。
校門を出て歩いている内に自然と隣に並んで来た黄瀬に笠松は前を向いたまま気遣うように言う。
「お前、本当に嫌だったら断れよ」
「森山センパイのことっスか?」
「強引なとこもあるけどはっきり言えばアイツも引くからな」
勝手知ったる黄瀬の家へと迷わず前を歩く四人の後ろ姿に黄瀬は口許を緩めた。
「いいんスよ。俺も笠松センパイ達とこうやってわいわい騒ぐの結構好きっスから」
気に入ってるんスよと、笠松の横顔を見下ろし黄瀬はへにゃりと緩みきった顔で笑った。
「そうか。それなら良い」
「そうっス。……俺は笠松センパイだけでも大歓迎なんスからね」
「…あぁ。じゃぁそれはまた今度な」
「…!はいっス!」
その後黄瀬の家で、貰ってきた飲み物とお菓子を広げてちょっとしたお菓子パーティが開催された。
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