02
海常高校男子バスケットボール部、夏のインターハイベスト8。
その結果が優勝以外であれば、こうなるんじゃないかと薄々は思っていた。
部活に向かう途中で捕まった笠松は、元海常バスケ部OBの二人と一緒に校舎の一階にある面会室という名の応接室にいた。
テーブルを間に挟み、OB達と向かい合うようにソファに座った笠松は何の感情も浮かばない眼差しで静かにOB達を眺め、話し出すのを待つ。
「俺達の言いたいことは分るな?」
「………」
「去年もそうだが、結局今年も優勝出来なかったじゃねぇか。インハイベスト8、それがどうした?優勝できなきゃ意味ねぇよな」
「………」
「しかも今年はキセキの世代って奴がいたんだろ。なのに、負けるとか…やっぱお前バスケ辞めろよ」
「宝の持ち腐れってやつだね。どんなにキセキが凄かろうと、それを上手く生かせる人間じゃないと意味がないよね」
去年と同じように降り注ぐ批難の声は去年聞き飽きたし、OBを相手に振れる感情はとうに磨り減ってしまっていた。
「………」
笠松が何も言わないのをいいことに、OB達は尚も棘を含んだ言葉で笠松を責め続ける。
「そもそもキセキだって持て囃されてるだけで、蓋を開けてみればこんなもんかよ」
「黄瀬、とか言ったっけ?あいつも最後にパスミスして…」
ピクリと、面会室に入ってから微動だにしなかった笠松が肩を揺らす。
「ーーーじゃない」
ぼそりと割り込んだ低い声にOB二人は笠松を見て口を閉じる。
「…あれはパスミスなんかじゃない」
自分のことだけなら笠松も我慢出来た。
けれどもOB達は笠松の触れてはならないものにまで無遠慮に触れてこようとする。
笠松が守りたくて勝手に守っている、まだまだ成長途中で目が離せない可愛い後輩。
「なんだそりゃ。去年のお前と同じミスだろ。あれさえなけりゃ、うちは勝ってたんだよ」
「お前自身が一番分かってるはずだよね。それを庇うなんて、だからお前は駄目な…」
「っ、俺の事ならいくらでも批難してくれてかまわない!」
ここぞとばかりにつついて来るOB達に、笠松は膝の上に置いていた拳をぎゅっと握り締めるとOB達を睨み付けるようにして言葉を被せた。
「けど、黄瀬は…。あのパスは、黄瀬が考え抜いて出した最良の手だ。それを何も知らない奴が勝手に否定するな!」
入部当初の黄瀬はチームプレイもろくに出来なかった。する気もなかったんだろうが。
そんな黄瀬がいつしかチームを信じるようになり、一番大事な局面でパスを出した。
…そのパスが、ミスのわけがない。
森山も小堀も早川も、誰もあの時、黄瀬を責めたりはしなかった。
「お前がそ…」
OBの一人が何か口を開こうとしたが、聞き取る前にノックもなしにいきなり面会室の扉が開く。
「センパイっ!」
バァンと勢い良く開いた扉から黄色い頭が飛び込んできて、笠松の元へと駆け寄ると足を止めた。
「…きせ。何しに来た?」
驚きで見開いた目は直ぐに射抜くような鋭い眼差しに戻り、黄瀬を見上げて笠松は問い質す。けれども黄瀬は笠松に答えずOB達に向き直ると、すっと静かに頭を下げた。
「すいませんしたっ!インハイ、優勝出来なくて。俺の力が足りなくて」
「やめろ、きせ!それはお前がすることじゃねぇ!」
「なんでっスか?センパイが主将だから?そんなのおかいしいっスよ。戦ったのは俺も森山先輩達も皆一緒なのに。センパイが主将だからって全部一人で背負うのは間違ってると思うっス!俺はまだエースとして頼りないかもしれないけど、少しぐらいセンパイの抱えてるもの預けてほしいっス!」
下げた頭を持ち上げ、黄瀬が笠松を振り向く。
黄瀬を睨み付けていた薄墨色の瞳がゆらりと揺らめき、不安定に揺れる。
「……黄瀬、なんでお前は」
笠松が覚えていられたのは自分を見つめてきた真摯な琥珀色の瞳に、自分の唇が紡いだ目の前の後輩の名前だけだった。
ふっと虚ろになった薄墨色の瞳が瞼の裏に隠れる。
ふらりと傾いだ身体を黄瀬は慌てて抱き止めた。
「センパイ!?大丈夫っスか、センパイ!」
完全に意識を落とし、ぐったりとした笠松に黄瀬は声をかけ続ける。
さすがに目の前で倒れた後輩にOB達も慌て出した。
そこから保険医を呼んだり、武内監督が駆け付けたりと慌ただしく時は過ぎ、笠松は精神的な疲労から来る睡眠不足で保健室のベッドに一時的に寝かされることになった。
「……センパイ」
ベッド脇に置かれたパイプ椅子に座った黄瀬は、寝息を立てる笠松の穏やかな顔を見て小さく呟く。
「…俺にも守らせて欲しいっス。センパイから見たら俺なんてまったく頼りにならないかも知れないっスけど…」
「ンなことねぇよ」
「っ、センパイ!目、覚めたんスか?大丈夫っスか?」
緩慢な動作でベッドの上で身体を起こした笠松に黄瀬は心配そうに声をかける。
笠松はいつかと同じように右手で目元を覆うと、指の隙間から黄瀬の姿を確認して顔から手を離した。
「お前は頼りなくなんてねぇだろ。あの日も、今日も、"幸男"の為に駆けつけてくれた」
オレがせっかく追い払ってやったのに。バカだなお前は。自ら敵意を浴びに飛び込んでくるなんて、本当バカでしょうがねぇ。
「は…っ、ンなバカ、オレは嫌いじゃねぇけどな」
なんて言いながら肩を竦めてクツクツと笠松は口端を吊り上げ、低く笑った。
「え、あ…れ…?ゆきお…?センパイ…?」
今までそれらを違和感として感じ取っていた黄瀬は、唐突に目の前に突き付けられた違和感の正体に気付き、酷く戸惑う。
黄瀬がインターハイ後から感じていた妙な違和感は、常に無い笠松の雰囲気に言動、自分に向けられた温度の低い眼差し。
「きせ」
加えて、名前を呼ばれる時に混じる僅かな甘さ。いつもは真っ直ぐに清廉とした響きを持って黄瀬と、名前を呼ばれるのに。
「――っ、あんた、誰っスか?」
「誰って、お前の大好きな先輩。笠松 幸男だろ?」
混乱した頭を無理矢理収めて、黄瀬は愉快そうにこちらを見つめる笠松を真剣な眼差しで睨み据えた。
「俺のセンパイはあんたじゃない。センパイはそんなこと言わない」
睨まれた笠松は笑みを崩さぬまま、可笑しそうに言う。
「俺のセンパイ、ね。まぁいい。苛めるとオレが恨まれそうだから種明かししてやるよ」
すっと笑みを引っ込めた笠松に二人を取り巻く空気がガラリと変わる。
一瞬で張り詰めた空気に黄瀬にも緊張が走る。
「オレが誰か。そんなもの笠松 幸男以外の誰でもねぇ」
「だから、センパイは…っ!」
「いいから最後まで聞け。…オレは確かに笠松 幸男だが、幸男じゃない。オレは幸男の心を守る為に生まれた所謂副人格って奴だ」
「ふくじんかく…?」
耳慣れぬ単語を繰り返した黄瀬に、笠松は自分の胸元に右手をあて、話を続ける。
「オレが生まれたのは、去年の夏の終わり頃だ」
その頃の幸男はインハイの負けを責められ、大好きだったバスケをすることすら苦痛に感じていた。
「人一倍責任感の強い幸男はオレが目覚めた時、既にぼろぼろだった」
森山や小堀といった友人、二年、一年は幸男の味方だったが、最高学年である三年に表立って楯突くことも出来ずにいた。部を支援してくれているOB達になんてもってのほかで、何も言えずに、森山達は批難される幸男を庇うどころか見守ることしか出来なかった。
「その様子をナカから見てたオレは歯痒かった。だからオレが幸男に代わり、退部届けを書いた」
「え?」
「不思議か?確かに幸男も退部は考えてたみてぇだけどな。幸男はバスケをするのが苦痛になっただけで、別にバスケが嫌いになったわけじゃねぇ」
なのにそこへタイミング悪く、武内が幸男を次の主将に指名してきた。
「結局、幸男はそれを受け入れたけどオレは反対だった」
夏で三年は部活を引退したけど、三月の卒業までは同じ校舎内にいるんだ。幸男が主将を引き継いだら、それこそ格好の餌食じゃねぇか。何でお前が、ってな。
「まぁその辺は、森山達が頑張ってくれたけどな」
「………」
「って、なにお前が泣きそうになってんだ。もうとっくに終わった話だぞ」
情けない顔をする黄瀬に笠松は苦笑を浮かべ、右手で黄瀬の頭を優しく撫でる。
「だって…、何で急に俺にそんな話…」
「ん?そうだな……、守ってくれンだろ?お前が幸男を」
くしゃりと黄瀬の頭を撫でた手が、黄瀬の頬へと滑り落ちる。
「幸男は滅多に弱音を吐かねぇからな。オレに気付いたお前にだけ、特別に少し教えてやっただけだ」
幸男の抱えてるものを、少しだけお前に預けてやるよ。
「んで…、なんであんたは、そんなに上から目線なんスか」
「さぁな。そういう仕様だろ。じゃ、オレはそろそろ退散するわ」
「えっ、ちょっ、いきなり!?まだ訊きたいことが…っ!」
瞼を落とした笠松は黄瀬の方へと倒れ込む。
慌てて腕を伸ばして支えようとした黄瀬は、頬を掠めて囁かれた言葉にカッと頬を赤く染め上げた。
「〜〜っ先にご褒美って、なんなんスかもうっ!」
頬を掠めた柔らかな唇が、倒れ込んだ黄瀬の肩口で小さな寝息を溢す。
「…ん…ぅ?」
しかし、直ぐ側で思わず叫んだ黄瀬の声が眠りへと落ちていた笠松の意識を浮上させる。
「…あ?…あ、…黄瀬?」
寝起きは悪くないのか黄瀬の肩口から顔を上げた笠松は身体を起こすと、きょろきょろと周囲を見回し何か納得したように頷いた。
「悪い。俺、面会室で倒れたんだな」
「いえっ、別に!それより…」
笠松は副人格とやらの存在を知っているんだろうか?
言葉尻を濁した黄瀬の表情を見て、色々と悟った笠松は深い溜め息を一つ落とすと自ら話を黄瀬に切り出した。
「その様子だとお前"ユキ"に会ったな」
「…!」
「アイツが迷惑かけたみたいで悪い。忘れてくれていいから。…気持ち悪かっただろ」
ふぃと黄瀬から目を離して、笠松はベッドから降りようと床に足を下ろす。そのまま話を畳もうとした笠松に黄瀬は首を横に振って、なかったことにはしないと会話を繋げた。
「そんなことないっス!忘れるとか絶対ないし、そのユキさん?センパイのこと心配してたっスよ」
「お前…俺がおかしいと思わないのか?」
平然とユキの存在を受け入れる黄瀬に笠松は戸惑い、黄瀬を見つめ返す。
「そりゃぁ初めは驚いたっスけど、センパイはセンパイでしょ。ユキさんがいてもセンパイに変わりはないんスから」
むしろ初めてセンパイの新しい面、見つけたなって。嬉しいぐらいっスよ!
へにゃりと崩れた温かな笑みに、笠松も釣られて気が抜けたような呆れたような表情を浮かべる。
「…物好きだな」
「センパイだからっス!」
「…そうか」
「そうっスよ」
床に足を着いて立ち上がった笠松は椅子に座ったままこちらを見上げてくる黄色い頭を、持ち上げた右手でくしゃりと優しく一度だけ撫でた。
「バカだなお前…」
「そんなことないっス」
あ…。これ、ユキさんと同じ撫で方だ。
「黄瀬。そこにあんの俺の荷物か?」
「あ、はい!森山先輩達が纏めて持って来たっス。センパイが起きたらそのまま帰せって」
「あー、あいつらにも迷惑かけたな」
そっと離れていった手を目で追い黄瀬は口許を緩める。
やっぱりユキさんもセンパイには変わりないっスね。
「じゃぁ帰るか。黄瀬、お前も帰るだろ?」
「はいっス」
青と白を基調にしたエナメルのバッグを肩にかけ、振り向いた笠松に黄瀬も自分の荷物を持って立ち上がる。
先に背を向け歩き出した笠松は続けて当たり前のように送ってってやる、と口にした。
「へ!?ちょっと待って下さい!送るのは俺の方っスよ!」
「あ?何でだよ?」
「何 でって、センパイこそ何でっスか?今日ぐらいは俺に送らせて欲しいっス!」
「…アイツに何か言われたか?」
「言われてないっスけど、ちょこっとセンパイを守る許可は貰ったっス」
にへっと嬉しそうに笑った黄瀬は可愛かったが、告げられた内容が笠松的には気に入らなかった。
守る許可って何だ。
そう思いはしたが笠松は嬉しそうに言う黄瀬の笑顔を壊さないことを選んだ。
「それはまた今度でいい。今日は俺が送ってく」
「うー、じゃぁ次は絶対っスよ」
「おぅ。楽しみにしてる」
次なんてねぇけどな、と黄瀬を送る気はあってもその逆はない笠松は密かに心の中でそう呟いていた。
そんな二人の様子を一番近くで眺めていたユキは、仕方がねぇ二人だなと呆れたように笑う。
お前らは互いに守って守られてるって早く気付けよ。そしたらオレもお役御免で、おさらば出来るだろ。
『ま、オレは幸男と違って気は長い方だからな。暫くはのんびりナカから二人を見守っててやるよ』
くぁっと欠伸をもらしながら、家路へ向かう黄瀬と笠松を、ユキは眠たげな眼差しで見守っていた。
□end□
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