バレンタインはチョコより甘く(黄笠)

※幸せの温度設定
※黄笠、未来捏造



ガサガサと両手に提げた紙袋をちょっと邪魔だなと思いながら、マンションの廊下を歩く。
恋人の今日の予定はと、朝食の席で聞いた話を思い返して腕時計で時間を確認する。
よし、今日は俺の方が早かった!と内心でガッツポーズをして、見えてきた自宅の扉に頬を緩めた。

「今日こそは俺が幸男さんにご飯作るっスよ」

ここ最近自分は大学とバスケ、モデルの撮影のみならず、ちょっとしたCMにも起用されて、その撮影に追われていた。
だか、それも今日で終わり。少しファンの女の子達に囲まれるハプニングはあったものの、バレンタインという日付故に予め想定していてくれたマネージャーが女の子達を上手く捌いてくれたので大きな問題になることもなく、こうして早く帰ってくることが出来たわけだが…。

「えっ…?」

玄関の鍵を外そうとして差し込んだ鍵を回したら、ガチャリと鍵のかかる音がした。驚いて、慌てて逆に回せば今度は鍵が外れる。
まさかと思ってそろそろと玄関の扉を開ければ、玄関には朝笠松が履いていった靴がちょこんと並べられていた。

「…どうして幸男さんが先に帰ってるんスかっ!」

朝、聞いた話では笠松は19時を過ぎると言っていたのに。今はまだ18時を15分ぐらい過ぎた所だ。
嘆いた声が聞こえたのかリビングのドアが開く。

「何だ?どうした…って、涼太じゃねぇか。早いな、おかえり」

「あっ、ただいまっス」

じゃなくて!と、鍵と念の為チェーンをかけて黄瀬は靴を脱ぎながら恨めしそうに、私服姿でエプロンを身に着けた笠松を見る。

「何で幸男さんがいるんスか!今日こそ俺の方が早いと思ったのに!」

「あぁ…。俺、今日17時上がりだったから」

「幸男さん、朝、俺に19時過ぎるって言ったじゃないっスか」

「あー、まぁ…」

笠松にしては歯切れの悪い返事に、黄瀬はもしかしてと、紙袋を揺らしながら近付く。

「俺に嘘吐いたんスか?」

「嘘って言うか、まぁ…。とりあえず、落ち着けよ」

背を向けてリビングに戻っていく笠松の背中を追って、黄瀬もリビングに足を踏み入れる。リビングのソファには黄瀬が持ち帰った紙袋と似たような袋が一袋置かれていた。中身はわざわざ見なくても分かる。可愛らしいリボンの巻かれたチョコレート達だ。
その横に黄瀬も持っていた紙袋を下ろす。

「今年もお前は凄い量だな」

「そんなことないっスよ。幸男さんだって今年もいっぱい貰ってるじゃないっスか」

プロバスケ選手として第一線で活躍する笠松は、黄瀬には負けるが人気がある。ほぼ女性からの黄瀬と違い、笠松は女性からも男性からも子供からも貰っている。笠松というプロバスケ選手に憧れる者は性別を問わない。
お互いファンからのチョコにヤキモチを妬くのは止めようと、いつだったか二人で決めた。その分前向きに、恋人が頑張ってる証拠なんだと。

「それで、何で俺に嘘吐いたんスか?」

荷物をソファに下ろした黄瀬は、話を元に戻す。
すると腹を括った様子の笠松はエプロンを椅子の背に掛けながら、黄瀬を真っ直ぐに見返して言った。

「今日、バレンタインだろ。本当はチョコでも用意してやろうかと思ったんだけど、俺の性には合わねぇからさ」

「はぁ…」

そう言えば、笠松と付き合ってからのバレンタインはお互い日程が合わなかったり、自分からチョコを贈ったことはあるけれど、笠松からは然り気無さを装ったココアだったり、チョコアイスやチョコチップクッキーだったり、と…いうことはあった。
それで今年は思い切ってチョコレートを、と思ってくれたことが既に嬉しいんだけど。何やら笠松の言葉には続きがあるらしい。
黄瀬は大人しく笠松の言葉を待った。

「だから、今日は俺なりに出来ることにした。…涼太」

「はい」

「腹、減ってるか?ご飯はもう少ししたら炊けると思うんだけど」

「いや、まだ大丈夫っス」

そうかと頷いた笠松の意図がよく分からない。嘘を吐いた、その答えはバレンタインだから。早く帰ってチョコを用意するつもりだった?でも、性に合わないから、別のことにした。…までは、分かる。分かるのだけれど、別のことって何だ?

首を傾げる黄瀬に笠松はマイペースに話を続けてくる。

「なら、風呂だな。さっき沸いたって言ってたから調度良いだろ」

ほら行くぞと、背中を軽く叩かれる。
笠松と黄瀬の寝室は一緒なので、着替えも一緒に寝室のクローゼットにしまわれている。
着替えを用意する黄瀬の隣で笠松も替えの下着を準備していた。

「あの、幸男さん」

「ん?」

バスルームに着いて、隣で服を脱ぎ始めた笠松に流石に黄瀬も笠松の意図に気付いた。
確かにチョコレートよりも嬉しいけれど、笠松が無理をしてまで欲しいものではない。
話しかけた黄瀬を見上げた笠松は一瞬きょとりと瞼を瞬かせたが、黄瀬の考えていることを見透かしたのか、次にはにやりと強気な笑みを閃かせていた。

「勘違いすんなよ。俺がそうしたいんだ」

「−っ、相変わらず男前っスね、幸男さん」

「ばーか。先に入ってるから早く来いよ」

ボタンの多い服を慌てて脱ぎ、黄瀬は笠松の後を追った。

どちらも男子としては平均身長を越えている男なのでマンションを選んだ時の基準には広めのバスルームをと選んだが。流石に平均以上の男二人では湯船は少し狭く感じた。
ちゃぽんと、お湯が跳ねる。
身体を洗って後から湯船に浸かった黄瀬は両足の間に笠松を抱き締め、自分と同じ匂いのする短い黒髪に後ろから頬を寄せた。

「幸男さんからお風呂の誘いがあるとは…。もうこれだけで十分嬉しいっス」

笠松のお腹に回した腕で笠松をぎゅぅっと胸の中に閉じ込め、うっとりとした声で囁く。

「俺からの誘いなんて年に一回あるかないかなんだからな」

貴重だぞと言いながら、黄瀬に凭れるように体重を預けてくる笠松の耳はほんのり赤く染まっている。
先程までは男らしく格好良かったのに、今になって照れているのか。幸男さん、可愛いと黄瀬は頬を緩める。でも。

「幸男さんの嘘吐き。俺、覚えてるっスよ」

「…何を…?」

他に誰が聞いているわけでもなく、二人きりなのに、黄瀬はひっそりと内緒話をするように笠松の耳元に唇を寄せた。

「今日以外に、俺の誕生日とクリスマス。去年、俺を誘ってくれたっスよね」

「−−っ」

「今年はまだあと二回。楽しみにしてるっス」

ちゅっと熱を持った耳朶に口付ける。
びくりと肩を揺らしながらも笠松が腕の中から逃げ出す様子はない。
変わりに俯いた笠松はまたも可愛いことを言ってくれた。

「夕飯、作ったんだから…今はやめろよ」

それはご飯を食べた後であれば良いという遠回しな笠松からの誘いだった。
俯いて露になった首筋も赤く染まっている。
それはきっと自分も同じだろう。お湯のせいではなく顔が熱い。

「そろそろ出ましょっか。これ以上は逆上せそうっス」

「あぁ…」










お風呂から上がれば、笠松はそそくさと
キッチンに入っていく。
手伝おうかと思い、着いて行こうとしたらお前は座ってろと言われたので大人しく黄瀬はリビングの椅子に座った。

「あ、そうだ。俺も…」

笠松がまだキッチンから出てこないのを確認して一旦席を立ち、紙袋と一緒にソファに置いていたカバンの中を漁る。
そして中から青いリボンの巻かれた袋を取り出すと、椅子に戻って、袋を膝の上に置いた。

ほどなくしてテーブルの上にご飯が並べられる。

「って、俺の好きなオニオングラタンスープ!」

「おぅ」

「わざわざ作ってくれたんスか」

「ついでだ、ついで。俺も自分の好きな肉じゃが作ったしな」

今夜の食卓は、ご飯に塩麻婆豆腐。肉じゃがに、大根とカニカマの和風マヨサラダ、オニオングラタンスープ。
嬉しいこと続きで頬は緩みっぱなしだ。

「んじゃ、食うか」

「その前に。幸男さん、これ俺からのバレンタインっス」

机の下から青いリボンの掛けられた袋を取り出して笠松に差し出す。
笠松は袋と黄瀬を交互に見て、困ったように眉を下げた。

「別にいいのに」

「俺の気持ちっス。受け取って下さい」

「まぁ…、お前の気持ちなら受け取らねぇわけにはいかねぇか。ありがとな」

それからちょっと照れたように笑って、笠松は差し出した袋を受け取った。

「開けて良いか?」

「はい」

にこにこと笑顔で頷いて笠松の反応を待つ。
喜んでくれると良いな。
袋に掛かっていたリボンを解いて、袋の口を開けた笠松は中身を手に取り、ふっと瞳を和ませた。

「靴下か。それも茶色の」

「チョコレート色っスよ。幸男さん、寒がりだし。本当は手袋と迷ったんスけど、靴下の方が使う頻度は高いし、寒くなくても靴下なら履くじゃないっスか」

「そうだな。ありがたく使わせてもらうわ」

「っス」

喜んで貰えたようで良かった。
袋に戻した靴下をテーブルの端に避け、それから二人は頂きますと声を揃えてご飯を食べ始めた。

「んー、今日も幸男さんの作るご飯は美味しいっス」

「そっか?」

「そうです!…それに今日はバレンタインのせいか撮影の差し入れもチョコ関係が多くて、正直さっぱりしたものが食べたかったんスよね」

「だろうな。実はそう思って塩気のあるメニューにしたんだ」

「えっ、そうなんスか」

「おぅ。…だから言っただろ。今日は俺なりに考えたお前へのバレンタインだって」

こんなんだけど気に入ってくれたか?と向けられた眼差しに黄瀬はこくこくと頷く。

「もちろんっス!チョコよりも何倍も、何百倍も幸男さんのその気持ちが嬉しいっス!」

「大袈裟だな…」

「本当のことっスもん」

「ま…俺もお前のこと言えねぇけど」

ぽそりと呟いた笠松はテーブルの端に避けた袋にちらりと視線を滑らせた。
チョコレートよりも、寒がりな笠松を思って選んでくれた靴下には黄瀬の優しい気遣いと想いが籠っている。
いつもはほのぼのとした穏やかな食卓も今日は少しだけ、どきどきとした甘い空気に包まれていた。








「幸男さん、今日も愛してるっス」

「俺も…。愛してる、涼太」

その後は互いにしか見せない顔で、チョコレートよりも甘い、甘い夜へと溺れるように沈んでいった。



Happy Valentine!




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