幸せの温度(黄笠)


※黄笠、未来捏造



段々と陽が落ちるのも早くなり、風が冷たさを含み始めた晩秋。
この時期になると黄瀬の元に一匹の猫が現れる。
…とは言えそれは本物の動物の猫のことではなく、黄瀬が高校卒業と同時に同棲し始めたカッコ可愛い恋人のことである。

恋人の名前は笠松 幸男。現在二十三才。黄瀬が高校一年の時のバスケ部の主将で、黄瀬より二歳年上。笠松が高校を卒業する日に玉砕覚悟で、それでも諦めるつもりは毛頭なかったけど、好きですと黄瀬が告白して、付き合い始めてかれこれ四年目。黄瀬は現在大学生兼モデルとして、笠松はプロバスケ選手として、それぞれの舞台で活躍していた。

まだ自由な時間が取れる黄瀬とは違い、笠松は来月から始まるリーグ戦に向けて先週まで家を空けており、会社の持ち物である県外の合宿場で合宿を行っていた。今週は軽い練習とファンに向けてのファン感謝デーというイベントが週末にあるだけだと昨日家に帰って来た笠松は言っていた。

家の鍵を開けた黄瀬は、玄関に笠松の靴があることを確認して、ただいまーと中に向かって声を発する。
すると中からお帰りーと声が返ってきて、笠松がひょっこりとリビングのドアから顔を出した。

「お疲れ。外、寒かっただろ。風呂、沸かしてあるから先に入って来いよ」

リビングから顔を出した笠松に黄瀬は頬を緩めて近付く。

「ただいまっス。もう冬みたいに寒いっスよ」

ほら、と黄瀬は笠松の頬に冷たくなった手を伸ばす。しかし、その手は笠松の頬に触れる前にサッと身を引いた笠松によって避けられる。

「…っ、だから、さっさと風呂入ってこい!」

その間に飯、用意してやるからと半ばリビングから追い出されるように黄瀬はバスルームに向かわされる。
その理由を知っている黄瀬は苦笑を浮かべて、バスルームに入る前に自室に寄って荷物を下ろし、ジャケットを脱いでハンガーにかけた。

付き合い出して知ったことだが、笠松は極度の寒がりだ。
バスケや身体を動かしてる時は全く気にならないらしいが、秋から春にかけて、笠松は暖を求めて無意識にも意識的にも黄瀬にくっついてくることが増える。
それはまるで猫のようにすり寄ってくる。
だが、黄瀬とてそんなに子供体温なわけではない。それを前に一度笠松に聞いたら、笠松自身もそんなに理由が分かっているわけじゃないらしく、「お前の側が一番温かいからだ」と笠松は黄瀬の肩に頭を預けたままそう宣った。それはつまり笠松にとって黄瀬の隣が一番居心地が良くて、心身ともに満たされて、幸せだと言うことじゃないだろうかと黄瀬は勝手に解釈して嬉しそうに笑った。

身体と髪を洗い、ゆっくりとお風呂に浸かった黄瀬は指先がふやけない程度にまで温まったらお風呂から上がってバスタオルで身体を拭き、寝間着がわりにしているスウェットを身に付ける。
そうしたら次に洗面所に置いているドライヤーで髪をかわして、準備は万端だ。

ほかほかに温まった身体を冷まさないようにリビングに移動すれば、ちょうど笠松がご飯を盛るところだった。

「座って待ってろよ」

「はぁい」

リビングのドアが開いた音で笠松が黄瀬に気付き、黄瀬はそのままリビングで待機を命じられる。
今日の笠松は合宿後ということもあり、休養日として会社から二日間の休みを出されていた。なのでどうやら今日は笠松が家事をしてくれるらしい。基本的に家事は分担制だが、それでももし出来ない時は予め相手に言っておくか、冷蔵庫に貼り付けられたボードにメモを残しておくことが二人の間での約束ごとになっていた。

「はぁ…何度見ても良いもんスねー」

食事の支度をする笠松の姿をリビングの椅子に座り、テーブルに頬杖をついて、黄瀬は緩んだ顔で眺める。

家に帰れば笠松がお帰りと迎えてくれて、自分の為に笠松がご飯を用意してくれている。当然その逆でも黄瀬は幸せを感じる。自分が笠松をお帰りと出迎えて、笠松の為に美味しいご飯を作る。他にもあれやこれやと恋人の世話を焼くのも黄瀬的には幸せを感じられるから、好きだったりする。

「お前はなにを一人でにやけてんだ」

トレイを手にご飯を運んで来た笠松は黄瀬の緩みきった顔に、呆れたような顔をした。

「んー、幸せだなぁって」

「またそれか。お前、それ何度目だよ」

「いいじゃないっスか、何度だって。幸男さんだってそう思うでしょ?」

「…まぁ、そうだけど。俺はお前と違ってそんなあからさまにはしねぇよ」

コトリと黄瀬の前に湯気の立ち上るお皿が置かれ、向かい側の席にも同じ皿が下ろされる。

「あれ?幸男さんも一緒に食べるんスか?先に食わなかったんスか?」

「お前が昨日、『明日夜八時には帰って来れるっス』って言って喜んでたし、帰ってくるの分かってたからな。…一緒に食おうと思って待ってた」

言いながらふいと反らされた目線に黄瀬はますます頬が緩むのを感じる。

「嬉しいっス!」

「あっそ…」

ぶっきらぼうな返事だが笠松が照れているだけなのは髪の間から覗く赤くなった耳を見れば直ぐに分かる。
最後にサラダボウルとスプーン、水の注がれたコップが並べられ、笠松が向かい側の椅子を引いて座った。

「わぁ、今日はビーフシチューっスか」

「と、マカロニサラダな。寒くなってきたから温かいものが良いかと思って。良かったか?」

伺いを立ててくる笠松に黄瀬はスプーンを右手に持ち、にこにこと笑って答える。

「良いも何も無いっスよ。幸男さんが作ってくれるものなら何でも。美味しそうっスね。食べましょ?」

「おぅ、…いただきます」

「いただきます」

二人揃ってちょっとだけ遅い夕食を食べ始める。
毎回ちらっと黄瀬の様子を然り気無く確認してくる笠松に黄瀬はくすりと心の中で笑みを溢して、美味しいっスと笠松に伝える。
笠松はそれにん、と一言応えて、ホッと口端を緩めるとビーフシチューをスプーンで掬った。



「それで、その時高尾くんが言ってくれたんスよ」

「なんて?」

食事をしながらお互いに近況や世間話、時には愚痴を言い合う。愚痴を溢すのは主に黄瀬だが。
黄瀬は大学であった出来事を笠松に包み隠さず、面白おかしく話していく。
ちなみ黄瀬の進学した大学は笠松が二年前まで在籍していた大学で、他に高尾と氷室が通っている。

「黄瀬にはアンタなんか目じゃないぐらい格好良い恋人がいるんだって、言ってくれたんスよ」

高尾くんってば良く分かってる!
幸男さんは可愛いっスけど、基本的には格好良いんスよねー。

しつこく黄瀬に言い寄ってきていた、噂の余り良くない三年女子に対して高尾が自ら嫌な役を引き受けてくれた。ファンに対して余りキツい対応が出来ない黄瀬に代わり高尾が言いたいことを言ってくれたのだ。笠松と黄瀬の関係は信頼の出来る人間だけが知っている。

「あれは高尾くんに感謝っスねー」

「おま、そんなこと言ったらお前が…」

「大丈夫っスよ」

黄瀬の口から直接出た言葉じゃなければ、たとえ噂になったとしても後でどうとでも出来る。
笠松の隣に立っても不釣り合いにならない様に黄瀬は笠松と付き合い出してから努力を惜しんだことはない。ゆくゆくは誰にも文句が言えないぐらい確りとした地位を築いて、自分の恋人は笠松 幸男ただ一人だと堂々と言ってやりたいと、黄瀬は密かな野望を胸に抱いていた。
でもその前にと、黄瀬は笠松へと話を振る。

「幸男さんこそ、今度のファン感謝デーで女の子に迫られないか心配っス」

「はぁ?何言ってんだ。そんなことありえねぇよ」

あらかたご飯を食べ終えた笠松はコップに口を付け、水を飲む。
黄瀬はマカロニサラダに手を付けながら、半眼になった笠松を見つめ返して小さくため息を吐く。

「まったく無自覚なんだから…」

「何がだよ。お前が妙に警戒し過ぎてるだけだろ」

笠松は高校の時から月バスで取り上げられる程の実力を持っており、大学でのインカレでも氷室や黄瀬とのコンビ、高尾と…天性の司令塔としての力を遺憾なく発揮して好成績を残した。同時に大学二年時からキャプテンを任された笠松は尚更スポーツ雑誌にも取り上げられることが多くなり、知名度も上がり、笠松のインタビュー記事を読んだ女性達がそのさっぱりした男前な性格が良い!と言って笠松のファンは増えるばかりだ。困ったことに女子に限らず。
また、バスケ選手としては笠松は背が低い部類に入るが、日常生活の中では笠松も十分高身長だ。彼氏にするのには魅力的な物件だろう。

「むぅ……」

「むくれてんなよ。まぁ…無いだろうけど、万が一そんなことになっても、俺にはお前がいるからちゃんと断るって」

そろそろ足元が冷えてきたのか、笠松の足が黄瀬の足に触れる。すりすりとテーブルの下で暖を求め始めた笠松の足を黄瀬は両足の間に挟む。

「後で宮地さんにメール入れとくっス」

どんな偶然か笠松の同僚には元秀徳高校バスケ部の宮地がいる。笠松と高尾、それぞれを通じて黄瀬も宮地と親しくさせて貰っていた。

「心配症だな」

「保険はかけとくに限るっス」

ご馳走さまでしたと、空になった皿は各自で運ぶ。
キッチンに入った笠松がエプロンを身に着けようとするのを黄瀬は止め、お風呂に促す。

「片付けは俺がするっスから、幸男さんもお風呂に入って来ると良いっス。まだ入ってないんでしょ?」

「いや、でもお前疲れてるんじゃないのか?」

「今日はそんなに疲れてないから大丈夫っスよ。俺に任せて下さいっス」

先程とは逆に黄瀬が笠松をバスルームへと向かわせる。

「ゆっくり温まってから出てきて下さいねー」

「じゃぁ悪いけど片付け頼むな」

笠松がお風呂に入っている間に黄瀬はキッチンに立って夕飯の後片付けをする。ふんふんと鼻歌を歌いながらスポンジに洗剤を垂らし、食器を洗う。
ざぁざぁとお湯で皿に付いた洗剤を綺麗に流し、水を切って洗い桶に伏せる。
暫くの間キッチンには鼻歌と水音、食器が触れるカチャカチャという小さな音がしていた。

「うーんと、明日は…」

そして、後片付けが終わったら冷蔵庫の中を覗いて黄瀬は明日の朝御飯の献立を考える。
とりあえずご飯は必要だなと、米を研いで炊飯器にセットしておく。
それから黄色と青色のラインが入ったマグカップを二つ、食器棚から取り出してお湯で洗う。

それら一連の作業を終える頃にお風呂から上がった笠松がリビングに顔を出す。
さっぱりしたと、温まった身体にどことなく笠松の表情も無防備なものになる。
そんな些細な瞬間が黄瀬は好きだったりする。

笠松にとって黄瀬と二人で暮らすこの家は、それだけ安心して無防備でいられる場所なんだと言われている様で胸の奥がじんわりと温かくなるのだ。

完全に寛ぎモードに入った笠松がリビングにあるソファに腰を落ち着けたのを見計らって、黄瀬は湯気の立つマグカップを両手にリビングに入る。

「幸男さん」

ソファの真ん中に座っていた笠松の側で足を止めて、僅かに身を屈めて左手に持っていたマグカップを笠松に差し出す。

「はい、熱いから気を付けて下さいっス」

「ん、さんきゅ」

黄瀬からマグカップを受け取った笠松は座っていた腰を浮かし、右側に寄る。
当たり前の様に空けた左手側を見て、笠松は目線で黄瀬に隣に座るように促した。
黄瀬もそれが自然のことのようにマグカップを片手に持ったまま笠松が空けた空間に腰を下ろす。途端にふわりと笠松の髪から黄瀬と同じ匂いが香ってきた。

「お、今日はココアか」

「…っス。たまに甘いのも良いかなって思ってこの間買って置いたんス」

マグカップの中から香る甘い匂いに笠松が嬉しそうに瞳を細める。

「…良い匂いっスよね」

「あぁ」

ふぅふぅとマグカップに息を吹きかけ、カップの縁に口を付けてコクリと喉元を上下させる笠松の横顔を黄瀬はじっと愛しそうに見つめる。

「本当、良い匂いがするっスね」

すんと鼻を動かして、笠松から視線を外した黄瀬もマグカップに口を付けた。
その横顔を今度は笠松がちらりと上げた目線で盗み見ていた。

「でもちょっと甘過ぎるかな?」

「そうか?俺には調度良いけどな。美味しいし」

話ながらマグカップを持っていない笠松の左手が、膝の上に置かれていた黄瀬の手の甲に触れる。ちょんと軽く触れてきた笠松の手に黄瀬は応えるようにするりと右手の指を絡める。

「じゃぁ明日もココアでいいっスか?他にリクエストがあれば変えるっスけど」

「この前のあの美味かったの、何だっけ?蜂蜜が入ってて…」

息を吹きかけ、ココアを冷ましながら笠松が首を傾げる。

「この前…のは、ホットレモンのことっスか?」

「そう、それ。あれも良かったんだよなー」

話ながら合間に黄瀬もマグカップを傾け、ココアを飲む。
風が冷たくなりだした夜から黄瀬は笠松用にあれこれと温かい飲み物を用意して寝る前の一時に出すようにしていた。
今の所、笠松のお気に入りは蜂蜜入りのホットレモンかと、頭の中にメモをする。

「ココアは今日飲んだから、明日はホットレモンにするっスか?」

「うーん、明日…お前、帰り何時?」

ちょうどいい感じに冷めたココアをこくこくと飲んで笠松はマグカップを空にする。黄瀬は思い返すように中空を見て、口を動した。

「明日は仕事も入ってないし大学だけで、バスケ部の練習が終われば普通に帰って来れるっス」

テーブルの上にマグカップを置いた笠松はソファに背を凭れ、黄瀬の肩になつくように頭を預ける。

「なら明日も一緒に夕飯食べれるんだな」

「明日は俺が作るっスよ」

右肩に乗せられた笠松の頭に黄瀬は鼻先を寄せる。

「いいよ、鍋が食いたいから俺が作る。お前は明日、寝る前にホットレモンとココア両方作ってくれよ」

「えっ、両方飲むんスか?」

空になったマグカップを黄瀬も手を伸ばしてテーブルの上に置く。

「ちげぇよ。片方お前ので、もう片方が俺の。そうすりゃ両方飲めるだろ」

反論する為に持ち上げられた笠松の頭に、黄瀬は少しだけ顎を引いて、露になった笠松の額にそっと唇を落とす。

「そういうことっスか。了解っス」

「ん…」

落とされる唇の感触に擽ったそうに瞼を伏せた笠松の瞼の上にも唇で触れる。
ソファから身を起こして笠松の肩を抱くと、黄瀬は甘い匂いのする唇を自分の唇で塞いだ。

「…ん」

黄瀬の背中に笠松の手が回され、隙間を埋めるように引き寄せられる。ちゅっちゅっと黄瀬はバードキスを繰り返し、ソファの上で二人くっついたままじゃれあう。

「涼太」

「ん、なんスか幸男さん」

その後洗面所で仲良く肩を並べて歯を磨き、一緒のベッドに入る。
腕の中に抱き締めた笠松がもぞもぞと動いて、黄瀬の胸元に顔を埋めてくる。するりと黄瀬の足に冷たい足が絡む。

「寒いんスか?」

「寒くはねぇんだけど何か足が冷たい」

すりすりと足を触れ合わせ、黄瀬からも足を絡める。温もりを分け合うように緩く抱き締めあって、互いに相手から伝わる温度に幸せそうにふっと柔く表情を綻ばせる。

「明日が休みだったら、もっと温かくしてあげれるんスけどね」

「…っバカ。俺は今のままで十分だ」

「そっスか?俺もそろそろ寒くなってきたんで、次の休みあたり考えといて下さいっス」

人間湯タンポになるのは良いけど、毎日好きな人にくっついてこられちゃ我慢の限界もそろそろ切れそうっス。何てったって俺もまだ若くて健全な男子大学生っスから。

「…そりゃ、俺だって」

「ん?」

「…分かった。次の休みの日にな」

小さな声で呟いて笠松は黄瀬の胸元に顔を押し付け、顔を隠してしまう。けれども髪の間から覗く赤い耳までは隠せずに、いつまでたっても初々しいその反応に黄瀬は嬉しそうに笑う。

「幸男さん、お休みなさいっス」

「あぁ…おやすみ、涼太」

互いにちょっとだけ体温の上がった気がする身体を抱き締め合い、静かに瞼を下ろす。
もう冷たい秋の空気も気にならなくなっていた。




end


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