それからどれだけ走っただろう。
宛てもなく長屋を飛び出して学園内を駆け回った。
あぁ本当に厄介だ。
あの扇は、あの扇の手元には、
そこで目の前にその扇を手にした生徒達を見かけた。
誰も来ないような…私の長屋の裏に居たのか。
灯台下暗しとはよく言ったものだ。
その生徒達は扇を広げて、そして…
『ッそれを扇いでは駄目だ!!』
「もがっ?!」
「むぐぐっ!!」
ゆらりと扇が揺れるが早いか、こちらが速いか。
二人と一気に距離を詰め、急いで懐に忍ばせていた布で鼻と口を塞ぐ。
「ふががが!!」
『黙って。毒薬が舞っているんだ、これ以上吸えば身体に害があるぞ。』
「ふが?!」
耳元で脅すように言えば二人は抵抗しなくなった。
幸い散った毒は少量だったので頃合いを見計らって解放してやる。
目の前でぜーはーと荒い呼吸を繰り返している青色を見遣る。
辛そうだな、と手を伸ばしたら大袈裟な位避けられた。
(後輩に避けられるのは中々精神的にくるものだな。)
『大丈夫だったか?三郎次、久作。』
「な、なんとか…。」
「というかそれはこっちの台詞ですよ!!」
ズアッと三郎次が食いかかってくる。
距離をとったかと思えば詰め寄ってきて、この年頃の子供は難しいな。
可愛い後輩には違いないのだが。
しかしコイツは何を怒っているんだ。
「だから!普通に毒吸ってたじゃないですか!!」
『あぁ、あれは私が作った薬だからな。自身を実験体にして完成したものだ、少々なら効かん。それより、他に言うべきことがあるんじゃないか?』
「…扇お返しします。」
『あぁ、ありがとう。で?』
「………助けて下さってありがとうございます。」
『よろしい。だが私が言いたいのはそこじゃない。』
まだ何を謝らせる気だ、というところだろうか。
三郎次と久作の眉間に皺が寄る。
「言っときますけど。」
『何だ、三郎次。』
「部屋を荒らしたことは謝りませんから!」
『別に悪いと思っていないのなら謝る必要はない。』
「あーもう!結局何が言いたいんですか!」
私の意図が汲み取れず久作が怒鳴る。
そうキレるなよ。
忍は冷静さを欠いたら終わりだぞ。
『私の言い付けを破ったな?』
「「は…?」」
『ずっと前に私の扇には触れてはならないと言っただろう。薬が仕込んであるから、と。なぜそれを破った!』
「だ、だって…。」
『…はぁ。もういい。これで懲りたろう。次からは無闇に扇に触れないことだな。』
二人に小瓶に入った液体を渡す。
念のため持って来た解毒剤だ。
手にしていた扇を懐に忍ばせ、また部屋へと歩き出した。
(この扇は封印しておこう。)
固く固く封じ込み、決して誰も開けることの出来ないように。
『ケホッ。』
咳が出る。
咄嗟に出した手にはべっとりと赤い血が着いていた。
『解毒剤、か…。』
自分を被験体に、なんて嘘だ。
いつもは実践で試しつつ研究を進めている。
まさか自身に毒を盛るようなことになってしまうとは。
生憎ながら解毒剤は二人に渡したもので最後だ。
また作り足しておかないといけないな。
「ケホ、ゲホッ。」
内からじわじわと侵食されていく。
この毒に即効性は無く、相手を最大限苦しめながら殺す物だ。
解毒剤の調合も難しく、作ることが出来るのは私だけだろう。
あるいは、誰かが調合の仕方を記した紙を見付けてくれれば…。
駄目だ、視界が揺れる。
力が入らず地に伏せてしまった。
(ちくしょう…。)
ちくしょう。
まだ皆に言いたいことが沢山あるんだ。
こんな所で死んでたまるか、死ぬものか。
「―――椿?」
もう目も開かない。
体が重い。
何も聞こえない。
「椿?え、ちょ…椿!!」
あぁ駄目だ。
もう何も分からない。
そこでプツリ、と意識は途切れた。
(誰かが私を呼んだ気がした。)
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